19 聖者の指輪
続々と現れるクロコディルの群れ。数えている余裕はないが、恐らく百体近くはいるだろう。
Gの狙いは、俺たちを消したうえで大司教とマリーを連れ去ること。ふたりの命は保証されていることになるが、油断はできない。リーズを含めた三人は、後方へかくまうしかないだろう。
一番の問題は、左腕を痛めているシルヴィさんが、どこまで戦えるかということだ。打開策は浮かんでいるものの、それが上手くいく保証はない。
そうしている間にも、魔獣の群れは確実に距離を詰めてきている。うかうかしていれば、打つ手がなくなる。
すると、真っ先に動いたのはレオンだった。静かに歩み出ると、ソードブレイカーを水平に構える。
『母なる大地、恵みの証。この身へ宿りて隆起せよ! 裂破創造!』
直後、レオンの眼前で大地が大きく波打った。地面の一角が海面のように激しくうねり、迫り来る魔獣たちの巨体を次々と高く突き上げる。
そして、宙へ投げ出されたクロコディルを待ち受けていたのは、うねる大地から突き出した無数の岩だった。つららのように尖った岩へ、魔獣たちが次々と串刺しになる。
巨体が地面へ落ちる頃には、その大半が息絶えていた。小規模の魔法に見えるが、二十体は巻き込んだだろう。
「すげぇ……」
感嘆の息しか出ない。二物の神者という二つ名も、飾りじゃないということか。
「奇襲が通じるのはここまで。後は各自で」
魔法の効果が途切れ、大地は何事もなかったかのように静まり返る。
だが、そこに積み重なったクロコディルの死骸だけが、ほんの一瞬前まで何が起こっていたのかを如実に物語っていた。
ソードブレイカーを構えたレオンに続き、モーリスも長剣を手に身構える。
「アルバン、俺たちも行くぞ。リーズに、恥ずかしいところは見せられないだろ」
「大丈夫……心配いらないよ……」
俺は咄嗟にふたりへ声を掛けていた。
「おまえらも頼んだぞ」
アルバンには危うさを感じるが、今は戦力のひとりとして数えるしかない。
闇の向こうで両腕を広げ、Gは愉悦に満ちた笑みを浮かべている。
「カスどもが何人束になろうと無駄だ。魔獣はまだまだいるぞ」
「アルバン、モーリス。見ての通り、レオンは魔法剣士だ。こいつが魔法を使えるように、詠唱時間を稼ぐ盾役を頼む!」
前線を彼らに任せ、俺は背後にいる三人を気にしながら、速やかに後退した。
捕らえられていた大司教とマリーには、疲労の色が濃く浮かんでいる。
だが、それを気遣っている余裕はない。すぐに次の手が必要だ。
救いを乞う存在となった俺は、神の使いと見紛うほどの少女へ目を向ける。
「マリー。悪いけど、すぐに癒やしの力を使えるか。シルヴィさんを治して欲しいんだ」
あの人が満足に戦えるようになれば、こちらの勝利はより確実になる。
「え、私!? 無理よ。魔導触媒があれば何とかなるだろうけど……」
うろたえる様子が手に取るように伝わってくるが、今は彼女だけが唯一の希望だ。
「無理だなんて後ろ向きな発言は聞きたくねぇ。どうにかするんだよ」
絶対に、諦めるわけにはいかない。
「私の心配をしてくれてるわけ? 大丈夫よ。リュシーが熱い口づけをしてくれたら、すぐ元気になっちゃうんだから」
唇に人差し指を当て、物欲しそうな顔をするシルヴィさんを無視する。俺は、腰の革袋から銀の指輪を取り出した。
「触媒ならある。これを使ってくれ」
「それは私の……聖者の指輪」
大司教がすかさず声を上げる。
無理もない。これは寺院での戦いの際、こいつから奪った物だ。
「あんたが持つには過ぎた物だ。マリーに譲ってやれ」
「大司教様の持ち物でしょ。畏れ多くて、私には受け取れません」
「いいから早く。このままじゃ、全滅しちまうだろうが」
マリーは困ったように大司教を見つめる。すると彼も覚悟を決めたのか、少女へひとつ頷いた。
「指輪は、マリー君が使いなさい」
それを待つまでもなく、俺はマリーの細い腕を掴んだ。
色白の指先へ目を向ける。華奢と言えるほど細い指だ。指輪は明らかに緩い。
「とりあえず、中指にでも填めておけ」
無理矢理に指輪を填めると、マリーは観念したように溜め息をついた。
「緊急なのはわかるけど、強引で高圧的な人は苦手なの。詠唱に集中したいから、静かにして」
年下からこんな風に怒られるのは屈辱だった。
しかし今は緊急事態だ。何より、顔が可愛いという不純な理由で、どうにか怒りを静めた。
そしてマリーは、祈りを捧げるように両手を組み、そっと目を閉じる。
その立ち姿だけで、彫刻にしたくなるほどの美しさと神々しさに満ちていた。あと五年もすれば、聖女という呼び名が相応しい女性になるだろう。
『静寂の水、生命の証。この身へ宿りて傷癒やせ。命癒創造!』
組み合わされた両手が、ほのかな水色の光に包まれる。その直後だった。
「えっ!? なに? なんなの!?」
一番驚いているのは魔法を使ったマリー本人だが、それは俺も同じだ。
魔法の発動に呼応するように、マリーの首飾りが強い光を放ち始めた。
あれはセリーヌが渡した物だ。成人の祝いに長老から貰ったと言っていたが、特殊な力を持つ魔導触媒だったということだろうか。
それにしても、これほどの物をどうしてセリーヌはマリーへ簡単に譲ったのか。
「なんなの、これ!? すっごい……」
苦しげに眉根を寄せたマリーの華奢な体が、小刻みに震え始めた。
「ダメ……奥から、なんか来る」
背中を丸めた聖女は、上目気味に潤んだ瞳を向けてくる。
大人でも子どもでもない、その妙な色気に思わずたじろいでしまう。
「ダメだってば……あぁぁぁぁっ!」
叫びとともに、マリーはたまらず天を仰いだ。
その体から青白い光が溢れ出し、波紋が広がるように周囲へ拡散していく。
すると、俺の全身を包んでいた倦怠感が、嘘のように消え去っていた。
「まさか……首飾りが、癒やしの魔法の効果を増幅させたのか?」
シルヴィさんの傷を治してもらうつもりが、思いがけない方向へ展開している。
惜しむらくは、マリーが攻撃魔法を使えないことだ。この力に攻撃魔法まで加われば、魔獣を一掃できたはずだ。
そんなことを考えていると、マリーはそのまま意識を失った。
膝から崩れ落ちた彼女を、シルヴィさんが咄嗟に抱きかかえる。
「シルヴィさん、ここはひとまず頼みます。俺はあいつを……」
「ねぇ、ちょっと待ってよ。あぁん! あたしも一緒に行きたいのに」
声を無視して長剣を強く握る。そのまま前方を見据えた時だった。
「がうっ!?」
ラグの間抜けな声とともに、紋章が刻まれた右手の甲が大きく疼いた。
「ぐっ!」
顔をしかめるほどの強烈な痛みに、思わず剣を取り落としそうになる。
こんな時に、一体なんだというのか。
「静まれ……」
左手で右手首を押さえると、確かに、それは頭の中へ響いた。
“人間を許さぬ……灼熱の炎を浴びせ、魂までも焼き尽くしてくれよう……”
聞き覚えのある声だ。
「赤竜なのか?」
|竜骨魔剣シャドラス・ベインとともに消滅したと思っていたのに、まだしっかりと思念が根付いていたとは意外だった。こいつの恨みは、どれほど深いのだろう。
ムスティア大森林での戦いで、俺は赤竜の記憶を垣間見た。
共存など夢物語と嘆き、そんな彼を生け捕りにしようと押し寄せる騎士たち。そこから流れ込んできたのは、人間に対する激しい憎悪だった。
人類を滅ぼしたいと願うほどの深い恨み。そこまで彼を追い詰めたものは何だったのか。
それにしても、どうしてこんな時に呪いが蘇ったのだろうか。竜臨活性の力も使い切ってしまったこの時に。
不意に、ひとつの理由が頭を過ぎった。思わず、背後のマリーを振り返る。
「ひょっとして、さっきの力か?」
強力な癒やしの力が、俺の奥底で消えかけていた赤竜を呼び起こしたとでもいうのだろうか。
右腕が燃えるように熱い。目を向ければ、紋章が赤い光を放っている。その光は徐々に強さを増し、右腕全体を飲み込むように広がっていく。
「まずい。このままじゃ……」
受け止めきれないほどの魔力が暴走し、体の奥底から込み上げている。今すぐこの力を解放しなければ、俺自身が壊れてしまいそうだ。
「魔力を移す、触媒があれば……」
指輪はマリーに渡してしまった。ここで無闇に力を解放すれば、みんなを巻き込んでしまう。かといって、Gの下へ進むにも遠すぎる。
「そうだ」
カロルが持っていた魔導武器の短剣を拝借していたことを思い出した。
長剣を地面へ落とし、痛む右手でどうにか短剣を取り出す。待っていたかのように、腕を覆っていた赤い光が短剣へ吸い込まれてゆく。
だが、このままではすぐに破裂する。短剣に吸収された力は、並みの攻撃魔法を遥かに越えている。
即座に、前線で戦う三人を探す。並み居るクロコディルに押されるアルバンとモーリス。それでもふたりは、後方のレオンを庇いながら必死に戦っている。
「レオン、すぐに魔力結界を展開してくれ。みんなも伏せろ」
祈るように叫び、魔獣の群れの中央を見据える。Gの頭上を目掛け、短剣を放り投げた。
短剣は中空で激しく回転しながら、赤い尾を引いて夕闇を駆け抜けていく。
そして、凄まじい赤い爆発巻き起こった。
まるで小型の太陽が立ち昇ったかのように、周囲へ激しい閃光が拡散した。





