31 賢聖レリアの妙案
「何か、妙案がございますか」
レリアの発言を耳にしたセリーヌは、すがるように賢聖を見つめた。
「そんな勢いで来られると戸惑っちゃうけど、魔導師たちを集めたらどうかしら」
「魔導師、ですか?」
「そう。氷の魔法で洞窟の上に屋根を作って、滝の流れを遮れないかと思って」
レリアは水平にした右手を目元まで持ち上げ、いらずらめいた笑みを見せた。
「洞窟を丸裸にしてしまえばこっちのものでしょ。煙幕玉を放り込むなんてどうかしら。魔法をまとめて打ち込んでもいいわよね。爆発系の魔法で入口を壊して生き埋めにする。なんていう嫌がらせもできるけど」
「がっはっはっ。君は、相変わらず意地の悪い攻め方を思い付くものだな」
拳聖マルクは腕を組み、滝の轟音を打ち負かす勢いで豪快に笑った。
「意地が悪い、って失礼な物言いね……だったら私が思い付く以上に素晴らしい考えがあるっていうことよね?」
「いや、すまん。決して君をけなしたわけではなく、褒め言葉としてだな……」
しどろもどろになったマルクを救おうと、剣豪アクセルがすかさず間に入った。
「まぁまぁまぁ。ここは、レリアさんの妙案に乗るしかありませんって。俺は早速、魔導師を集めてきますから。なんなら王国軍にも声を掛けて、魔導隊を連れてきますけど」
「王国軍を?」
レリアは驚きの声を上げた。
「皆さんを待ってる間に、隊長たちと顔見知りになったんで。掃討戦でも貸しを作ってあるし、力を貸してくれると思いますよ」
「あら。マルクより有能じゃない」
皮肉がたっぷり込められたレリアの視線に、拳聖は渋い顔で頭を掻いた。
「アクセル君、私も一緒に行こう」
マルクは、剣豪が着る紺の鎧の肩当てに手を置き、逃げるように立ち去ってゆく。
「拳聖が形無しですね。今の顔をカードにしたら、賭博場でも人気が出そう」
意地の悪い笑みを浮かべるイリスを見て、レリアが釣られて顔をほころばせた。
「それ、いいわね。マルクの弟子たちも来ているはずだけど、近くにいなくて良かったわよ」
そうして、ふたりの働きかけが功を奏し、数十人規模の魔導師が滝の前に集まった。
周囲には、灯りを放つ魔力灯の石が撒かれている。頼りない明るさだが、辺りの様子を把握するには充分な光量だ。
「おふたりは後ろで見ていてください。雑務は私たちでやりますから」
自身も魔導師であるイリスの仕切りによって、セリーヌとレリアは後方待機を命じられた。ふたりの力を温存したいというイリスの意見に、逆らう魔導師はいなかった。
とはいえ、魔法の有効範囲は十メートル程度だ。近接戦闘に向かない彼らが矢面に立たされるのは好ましい状況ではない。
誰もがそれをわかっているが、他に策がない以上、この方法に賭けるしかなかった。
魔導師たちが最前線に立つと、王国軍の弓兵隊も前線にせり出してきた。歩兵隊が運んできた投石機も設置され、準備は整った。
拡声魔法が展開されると、魔導隊長のメルビンが小さく咳払いを漏らした。
「では、凍結作戦に移るぜ。これだけの人数がいれば数分間は凍結を維持できるだろう。洞窟が覗いたら、段取り通りに頼むぜ。まずは煙幕玉だ。敵さんがたまらず顔を出した所で、矢による一斉攻撃だ。怯んだ所で氷の魔法を解除。滝に押し流されて落下した魔獣を、騎兵隊と重装隊が一気に叩く算段だ」
メルビンは昂ぶる感情を抑えつつ、右拳を左の手のひらに打ち付けた。
「魔導隊は敵を落下させてからが本番だぜ。魔獣が滝に流されたら二手に分かれろ。一手は再び氷の魔法で屋根を造り、騎兵隊と重装隊を支援。もう一手は土の魔法を顕現し、魔獣を串刺しにする。いいな」
魔獣を警戒してか、メルビンは声を抑えつつ作戦を共有する。滝を見据えるその目には、自信と野心の炎が揺らめいていた。
隊長を任されて初めての大戦だ。聡慧の賢聖エクトルを目の上のこぶとしてきたメルビンにとって、失敗できない戦いだった。
「魔導隊、構え。三、二、一、放て!」
メルビンの合図で、氷の魔法が一斉に飛ぶ。
分厚く幅広い、氷の屋根が顕現した。流れを阻害された滝は前髪を分けるように二手に裂け、隠されていた洞窟が露わになった。
「今だ。行け!」
側で構えていた歩兵たちが、次々と煙幕玉を投げ込んでゆく。
煙に巻かれた魔獣の登場を期待していた一同だったが、思わぬ展開に悲鳴を上げた。
飛び出してきたのは、ブリュス・キュリテールではなかった。
蝙蝠型魔獣と蜘蛛型魔獣が群れになって押し寄せてきた。そこに混じって、大型のムカデ型魔獣やミミズ型魔獣もいる。
「怯むな。射かけろ!」
弓兵隊長であるアグネスの声に続き、魔力を帯びた特殊な矢が次々と放たれた。
矢は人体をすり抜け、魔獣にだけ突き刺さる。怯んだ魔獣へ騎兵と重装兵が殺到し、とどめを刺そうと武器を繰り出してゆく。
「魔導隊は立て直せ。洞窟内を目掛けて、魔法攻撃を仕掛けるぜ」
メルビンの指示が拡声された時だった。洞窟が生きているかのように、多量の煙幕が吹き出してきた。
「煙が逆流した?」
戦況を見守っていたレリアは、いぶかしむように眉根を寄せた。
「何が起こっているのでしょう」
セリーヌが身を乗り出した時だ。洞窟から逃げ出してくる魔獣に、大きな影が紛れ込む。
「来た……」
身を硬くしたレリアだったが、次の瞬間には言葉を失い立ち尽くした。
洞窟から顔を覗かせたブリュス・キュリテ―ルだったが、その表情を伺うことはできなかった。三つの頭を覆い隠すように、巨大な魔力球が膨らんでいる。
煙幕から逃げ出してきた魔獣たちも、魔力球へ触れた途端に消え失せてゆく。
対抗策を練っていたのは人間だけではなかった。ブリュス・キュリテールも洞窟の中で攻撃の機会を窺い、身構えていた。
「防御結界を!」
魔導隊長メルビンが悲鳴のような叫びを上げたが、それよりも早く反応した者がいた。
「空駆創造!」
イリスは風の移動魔法を纏い、脱兎のごとく駆け出していた。
戦いに明け暮れる以外には、賭け事と酒にしか興味を持てない性格だ。勝負師の勘とでもいうべきだろうか。この局面に不安を感じ、いち早く身構えていたことが功を奏した。
慌てふためく一同を狙い、ブリュス・キュリテールが巨大な魔力球を解き放った。
死を撒き散らす最終兵器の暴虐を前に、兵士たちはなす術なく立ち尽くしていた。
一年前の戦いでは、ブリュス・キュリテールの力は蝶の仮面の魔導師ユーグによって抑え込まれていた。たがの外れた狂気の一撃は、どれほどの威力か想像もつかない。
「ぼさっとしないで!」
イリスは両腕を広げ、レリアとセリーヌを抱き込むように腰へ腕を回した。
来た道を引き返そうと、イリスは無我夢中で足を動かした。無駄な足掻きだとでもいうように、背後で爆発が巻き起こる。
衝撃波に弾き飛ばされた三人は散り散りになって、林の中を転がった。