26 まだまだぬるい
そうして、ブリュス・キュリテールの姿が完全に見えなくなると、壁役として動いていた魔獣たちも散り散りに逃げだした。
「深追いする必要はない。一旦、気持ちを落ち着けようじゃないか……」
マルクが胴着の乱れを直してつぶやいた。
レオンは黙って頷くと、深く息を吐いて竜臨活性の力を解いた。体を取り巻いていた風の力が霧散し、髪も黒色へと戻ってゆく。
「君もその力を使えるのね。どうやって身に付けたの? すごく興味深いんだけど」
「これは教えられない約束なんだ」
レリアの好奇の目から逃げるように、レオンは周囲へ視線を投げた。戦いの跡を確認し、悔しそうに奥歯を噛みしめる。
「さすが、王の左手か……個々の力だけでも相当だ。俺も、まだまだぬるい」
竜臨活性を展開して善戦したレオンだが、マルクとレリアの実力も想像以上だった。
マルクの拳は強力無比な鈍器と化し、速度と威力の乗った蹴り技も圧巻だ。年齢を感じさせない動きと切れ味を間近で見せられ、思わず唸ってしまったほどだ。
同様に、レリアの力も見過ごせなかった。豊富な支援魔法に加え、合成魔法による大規模攻撃。賢聖エクトル亡き今、合成魔法の貴重な使い手となってしまった。もしも彼女が竜臨活性を身に付ければ、底が知れない魔法力を得るだろうと思えた。
「二物の神者に褒められるなんて光栄ね」
「やめてくれ。自分が小物に思える」
からかうようなレリアの口調に気分を害され、レオンは顔を歪ませた。
周囲に散らばる魔獣たちの死骸に、彼らの強さをまざまざと見せつけられていた。
戦い方は異なるものの、互いに戦士であることに変わりない。戦場に出たからには、どうしても相手を好敵手として意識してしまうのは、レオンの悪い癖だった。
『近くに残っている冒険者は本部へ帰還して。体勢を立て直すわ。ブリュス・キュリテールを追うかどうかは各自に任せる』
シルヴィの声を受け、ランクLの冒険者たちが撤退を始めた。ランクSの中には、林へ向かう者や、逃げた小物を追う者もいる。
『野郎ども。よく聞け』
そこへ、エヴァリストの声が続いた。
『冒険者様は撤退らしいが、俺たちは追撃の手を緩めんぞ。歩兵と騎兵は、ブリュス・キュリテールの足取りを掴め。すぐに次の行動に移るからな。きびきび動きやがれ』
「まったく。血気盛んな男だ」
マルクは小指を使って耳の穴をほじり、うんざりしたように顔をしかめる。レリアは、そんなマルクの反応に笑みをこぼした。
「王国軍が新設されて、軍団長に選ばれたんだもの。それはやる気になるわよ」
「それでも、最強の魔獣が復活したという非常時だ。手に手を取って戦うべき時に、己の手柄を優先しようという姿勢が気に食わん」
「ヴィクトル王も冒険者の働きに期待しているんだもの。王国軍にしてみれば面白くないっていうのも理解できるわ」
「こうして見ると、王国軍も統制は取れている。優れた組織だと思うんだがな」
「綺麗にまとまった集団よりも、冒険者のように突出した個が持つ爆発力に期待しているんじゃないかしら。それこそ、リュシアン君が良い例じゃない」
「王都の救世主、か。その当人はどうした」
マルクから話を振られ、レオンも困ったように苦い顔を見せた。
誰も彼もがリュシアンを求める現状に、悔しさと腹立たしさが入り交じる。
「まだ、こちらには着いていない。セリーヌが連絡手段をもっているけど、本人があの状態だ。目を覚ますのを待つしかない」
「そうか……一刻も早く手を借りたいがな。この場面で、ブリュス・キュリテールに逃げられたのは厄介だぞ」
「マルクが懸念するのは、あの再生能力よね」
レリアの指摘に、マルクも大きく頷いた。
「セリーヌさんが翼を落としてくれたけど、数時間もすれば再生するでしょうね。驚異的な生命力よ。魔獣は凍結から目覚めて空腹の状態だった。人馬を口にしたことでそれも満たされ、休眠に入るつもりなんだと思う。体力を万全にして、もう一度襲ってくるわよ」
「魔獣が逃げ切る可能性は?」
レオンが問うと、レリアは虚空へ視線を投げた。人差し指を髪に絡ませ、難解な問題に答えを求めている気配を見せた。
「君たちの話からすると、あの魔獣はユーグという魔導師の力でこの土地へ連れてこられたのよね。土地勘のない魔獣にしてみれば、ここは既に自分の縄張りのひとつになっているでしょうね。湖と戦士。つまり、水と食料も確保されている。配下の魔獣も集まっているし、快適な環境が整ったんじゃないかしら」
「がっはっはっ。俺たちは食料というわけか」
マルクは鍛え上げた胸を叩いて笑う。
「アンナちゃんが魔獣を追っていったでしょ。本音を言えば、ここで絶対に叩いておきたいところよね。あいつを休ませてはダメよ」
「魔獣の動きも戦況も良く見ている……」
レオンが感嘆の声を上げると、レリアは艶然な笑みを見せた。見る者を虜にするような色気を秘めている。
「それが私の役割だから。元々、魔法攻撃はエクトルの役目だったのよ。私は後方支援と戦況分析が得意分野なの。さてと、そうなれば、セリーヌさんの目覚めを祈るだけね」
肩に掛かった髪を払い、レリアは足早に戦場を離れてゆく。
※ ※ ※
「え!? あの場所って……」
アンナは驚きで言葉を失った。
林へ逃げ込んだブリュス・キュリテールを追うと、魔獣は湖畔へ飛び出した。その先には断崖がそびえ、巨大な滝が轟音を上げて流れ続けている。
魔獣の左後ろ足を捕らえた鉄柵の罠も振り落とされた。傷口は赤い泡に保護され、流血すら見当たらない。セリーヌの魔法で抉られた臀部も、急速に傷口が塞がり始めていた。
ブリュス・キュリテールは迷いなく滝へ進んでいる。リュシアンから聞いていた通りなら、滝の裏側には洞窟があるはずだった。
主の帰還を待っていたのだろうか。滝の周辺には魔獣の群れが控え、番兵のように立ち塞がっている。
陸地には、熊型、獅子型、虎型など種類も様々だ。湖畔にも、ワニ型や鳥型の魔獣が見受けられる。ひとりで突破するのは困難だ。
「さすがにこれは……」
背後を振り返ったアンナは、続いてくる一組の冒険者パーティに目を付けた。
「本部に戻ってこのことを伝えて。紅の戦姫シルヴィ・メローか、セリーヌ・オービニエに、オーヴェル湖の洞窟に逃げ込んだって言えばわかるから。お願い」
情報を託したアンナは、洞窟を見張るべく目をこらした。
「断崖を登って上から攻めるのもいいよね。ありったけの魔法石で入口を壊しちゃえば、一時的だけどあの魔獣を閉じ込められるんじゃないかな……リュー兄が来るまでの時間稼ぎになれば……」
頭を使う作業は苦手だが、そんなことを言っていられる状況ではなかった。
腰に提げた革袋の中には、魔力石と魔法石がまだまだ詰め込まれている。それを無意識に撫でながら考えを巡らせていた。
奇策を模索していたアンナだったが、考えることに集中するあまり周囲への注意力が散漫になっていた。
闇に紛れて背後へ迫る影。自身の命をおびやかす存在にすら気付けずにいた。