24 力と存在を知らしめる
全力で放った魔法は回避されてしまったが、セリーヌの集中は持続している。
竜臨活性で高められた彼女の五感は、迫り来るブリュス・キュリテールの姿と驚異を明確に捉えていた。
「風竜斬駆!」
右手から風の竜術を顕現させ、足下へ開放。浮力を利用して右方へ飛び退いた。
近くで戦っていた何人かが、セリーヌの纏う風の障壁に弾かれた。この混戦では仕方なく、それを気にしている余裕もない。
後退するセリーヌを狙い、魔獣の左肩に付いた虎の頭が魔力球を吐き出した。
「闇竜魔壁!」
それを読んでいたように、セリーヌはすかさず左手から魔力障壁を展開。半透明の黒い球体が彼女の体を包み込む。
次の瞬間、全身を飲み込んでしまうほどの巨大な魔力球が、障壁と激突した。
甲高い音を立て、魔力球は軌道を曲げられた。上空へはね除けられた攻撃は有効範囲を失い、音もなく消滅する。
「離れろ! すぐに場所を空けろ!」
誰のものかもわからない怒号が飛んだ。王国軍、冒険者を問わず、巻き込まれてはたまらないと、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
『セリーヌを守って。壁役は残りなさい』
拡声されたシルヴィの声が飛ぶも、巨大魔獣の脅威に耐えられる者はない。
支援は当てにできないと覚悟していたセリーヌにとって、壁役の不在など些細なことに過ぎなかった。むしろ、戦いに巻き込んで無駄に命を散らせてしまうことの方が何倍も辛いことだと思えていた。
災厄の魔獣はここで止める。皆さんには、脅威のなくなった世界を生きて欲しい。
切なる願いを胸にセリーヌは荒い息を吐き、魔獣を睨んだ。
「かかってきなさい」
風の魔法で、魔獣との距離は充分に稼いでいた。魔力球が来ればはね除ける。突進してくれば横へ逃げる。次への備えは万全だ。
『皆さん、一斉攻撃の用意を』
未来を見通しているような力強さを含んで、セリーヌの言葉が拡散された。
両腕を広げた彼女の動きを追い、黄金色に変わった髪が優雅に肩を流れる。
「風竜斬駆!」
広げられた両腕を、折り畳むように胸の前で交差させた。その動きに合わせて、十字に組み合わされた真空の刃が顕現。魔獣の脚を切り刻もうと、急速に迫った。
しかし、魔獣も黙って見過ごしてはいない。真空の刃を飛び越し、その勢いで襲い掛かる。
ここまでは彼女の予想通りだ。交差させたままのセリーヌの手には、次なる一手となる魔法がそれぞれに用意されていた。
「右手に土、左手に水。双竜術、深喰底無闇」
後方へ飛び退きながら、敵の着地点を見据えて竜術を展開。眼前の大地が瞬時に変貌し、多量の水を含んだ泥沼と化した。
豪快に泥を跳ね上げ、魔獣の体が沼に飲み込まれた。一気に胴体まで沈み込み、驚きで情けない悲鳴を上げている。
じたばたと足掻くその様が滑稽に見え、セリーヌは疲労を忘れて笑みを浮かべた。
右腕を上げ、セリーヌは指を鳴らした。次の瞬間には沼地が消え去り、胴体を土に埋められた魔獣だけが残されていた。
戦士たちから歓声が上がり、まるで奇術のようだと、賞賛の声まで聞こえてくる。
『今です』
セリーヌの号令に続き、騎兵隊長のガブリエルが突進。重装隊長のアドマーが戦斧を手に続く。弓兵隊長のアグネスが矢を放ち、魔導隊長のメルビンも攻撃魔法で援護する。
歩兵隊長ランベールの呼び掛けで、負傷者が次々と後方へ運ばれてゆく。
すると、ガブリエルを追い越して、魔獣へ躍りかかる人影があった。
竜臨活性の力を解放したレオンだ。
風の移動魔法を纏って一気に加速。その動きに合わせ、銀に染まった髪が流れる。
魔獣のミツ首がレオンの姿を捉えるより、彼の仕掛ける速度が上回った。
「疾風・竜駆突!」
魔法剣から繰り出された鮮やかな突きが、右肩に乗る黒豹の側頭部を貫く。
中央の獅子が威嚇の声を上げる。左肩に乗る虎が、反撃となる魔力球を吐いた。
「ぬるい」
レオンは軽々と身を捻り、魔獣の死角となる背後へ回った。敵が振り向けない以上、背後を取ってしまえば独壇場だ。
尾に付いた大蛇も警戒対象だが、胴体の半分以上を地中に飲み込まれている。ここまで攻撃が届かないのは確認済みだ。
レオンは尚も、黒豹の頭部を斬り付ける。彼が執拗にこの首を狙うのも理由があった。
そんなレオンの動きに習い、各隊長やランクLの冒険者たちも後方からの攻撃を試みた。
だが、魔獣も黙ってやられてはいない。
中央の獅子の顔が、自身の足下へ魔力球を炸裂させた。地面を削り、地中から前足を引き抜くことに成功していた。
その間も、周囲への警戒は怠らない。それまでひた隠しにしていた翼を広げ、巻き起こした激しい風で、群がる戦士を吹き飛ばす。
魔獣が完全な自由を取り戻すのに、さほどの時間はかからなかった。
「まずいな……」
翼に振り払われたレオンは、地面に片膝を突いて着地した。左腕を上げて風を遮りながら、魔獣の巨体を見上げた。
いよいよ相手を本気にさせてしまったかもしれない。
そんな不安が胸を掠めるが、頭を振って弱い気持ちを追い払った。
一時的とはいえ、黒豹の頭を潰すことには成功したと自身に言い聞かせる。
先程までの戦いを見ていて、防御結界を発動させるのは黒豹の役割だと確信していた。敵に再生能力があるとしても、今なら魔法による攻撃も問題なく届くはずだった。
「奴が空へ逃げる前に」
飛ばれたら終わり。
翼を広げ、切り札を見せられた気がした。
前の戦いでは、リュシアンとラファエルが食い止めてくれた。おまけに、蝶の仮面を付けた魔導師、ユーグによる枷が働いていた。
上空から吐き出された強力な魔力球も、ユーグの結界で被害を抑えることができた。ここではどれだけの被害が出るか知れない。
そして、今ここにリュシアンはいない。
ラファエルのパーティもその後の調査で、クレアモントの地中から全員の加護の腕輪の反応が見つかった。全滅という処理を受け、冒険者ギルドの登録からも抹消されている。
だが、碧色も月牙も関係ない。俺の力と存在を、ここで知らしめてみせる。
剣を握る手に力を込めたレオンは、信じられないものを見た驚きで動きを止めた。
月光を浴びながら敵の頭上へ落下する、ひとりの女神の姿を捉えていた。
「右手に風、左手に風。双竜術、吹荒暴虐嵐」
落下を続けるセリーヌの両手から、暴虐の嵐が吹き荒れた。
無数に生み出された真空の刃が魔獣の背を襲い、広げられた翼を無慈悲に切り刻む。そうして、死神が鎌を振るったようにひときわ強い暴風が続き、翼を根元から刈り取った。
それは衝撃的で圧倒的な光景だった。
儚くも美しいひとりの乙女が、凶悪で巨大な存在の魔獣に立ち向かっている。人が持つ強さ。それを存分に見せつけられているような夢見心地にさせられていた。
魔獣の悲鳴に続いて、周囲の戦士たちからも大きな歓声が湧き上がった。
「やった……」
セリーヌは意識を失いかけた状態で、倒れ込むように魔獣の背に落ちてゆく。
それを迎え入れるのは、尾に付いた大蛇の頭だ。翼をやられた仕返しとばかりに、牙を剥いてセリーヌに狙いを定めた。





