21 命に優劣はない
「すごい……あんな魔法、見たことない」
セリーヌに付き従っていたイリスは、驚きで足を止めた。それ以上の言葉が続かない。
冒険者を束ねるのは、碧色の閃光が率いるパーティだとは聞いていた。報酬を握る元締めなのだから仕方がないとは思いながら、他人に干渉されることを嫌い、金銭に執着の強い彼女だ。今回の戦いも金のために志願したが、決して気乗りのするものではなかった。
それがどういう経緯か、主力のひとりを側で支援するという役割を任されてしまった。
よくよく考えれば、単独行動の魔導師なんて、都合の良い駒でしかないわね。
賭博の借金がかさんでいるとはいえ、金に釣られた自分の愚かさを悔いた。だが、支援対象も女性魔導師であることが意外だった。しかも、自分より年下だという。
わずかに力を込めたら壊れてしまいそうなほど繊細に見えた。見とれてしまうほど整った顔立ちと、均整の取れた見事な体付きからも、彫像のようだとすら感じていた。
しかし、それがどうだ。彼女は驚異的な魔力を振りかざし、圧倒的な力を持つ魔獣を前にしても怯まない。それどころか、致命傷ともいえるほどの攻撃を加えてしまった。
「イリスさん、すぐに離れます」
前のめりに崩れた魔獣を前に、セリーヌは余計な深追いを避けた。
敵は毒霧の中心部に崩れた。そこに飛び込むのは無謀だと一目でわかる。おまけに、冒険者や騎兵隊が魔獣を取り囲んでいる。必要以上の危険を冒す必要はない。
呆気に取られたイリスは、セリーヌに呼ばれた後も、しばし棒立ちになっていた。
そんな彼女を狙い、死角から陰が迫った。
「イリス殿、危ない!」
コームの声が飛んだ時には手遅れだった。
千切られ、絶命したかに見えた大蛇。地面に転がっていたそれが、身をくねらせて大きく跳躍したのだ。
鋭い牙を剥きだした大蛇が、イリスの右肩から左脇腹に食らい付いた。
襲われたイリスは悲鳴を上げることすらできず、苦悶の声を漏らしただけだ。彼女に代わり、硝子の割れるような破砕音が上がった。
ランクSの魔力障壁が一噛みで破壊された。尾の大蛇だけでも相当な殺傷力を秘めている。
「光竜爆去!」
セリーヌの放った光の魔法による爆撃が、大蛇の頭部へ炸裂した。加えて、コームの振るった斬撃が胴体を斬り裂く。
大蛇はたまらずイリスを離し、毒霧へ紛れるように姿を消した。
「イリスさん!」
崩れた彼女にセリーヌが駆け寄るが、コームは慌てて鋭い視線を向けた。
「セリーヌ様、留まっていては危険です」
「彼女を捨て置けというのですか!?」
「やむを得ません」
不要物を見るような物言いだった。セリーヌはイリスを抱きかかえた姿勢で顔を上げ、老剣士の顔を睨む。
「何をしているんだ!」
横手から声が掛かった。顔を向けたセリーヌは、騎兵隊長のガブリエルを認めた。
「負傷者か。僕が預かる。後ろへ下がって」
カブリエルは馬に跨がったまま体を倒し、掬い上げるようにイリスを抱えた。
敵から距離を取るカブリエル。セリーヌはコームと共に風の魔法を纏い、その姿を追う。
「毒霧が晴れたら、魔獣の攻撃が来る。こんな所にいては格好の的だ。君は魔導師の主力だと聞いている。あまり無茶はするな」
草原にイリスを寝かせたカブリエルは、険しい顔を戦場へ向けた。
毒霧に向かい、投石機から風の魔法石が次々と打ち込まれていた。紫がかった毒霧が晴れ、大地に伏せた敵の姿が明らかになる。
「間もなく、重装隊と魔導隊もやってくる。王国軍の力があれば、冒険者に頼らなくとも奴を討ち取ってみせる」
カブリエルは、セリーヌとコームに挑みかかるような目を向けた。そうして馬の腹を蹴り、再び戦場の真っ只中へ駆けてゆく。
その背を見送るセリーヌは、重装隊長のアドマー・ゴベールと、魔導隊長のメルビン・デュカスという名の男性たちを思い浮かべた。
『俺たち重装隊は、鍛え方が違う』
厚い胸板を拳で叩き、アドマーは笑った。
『どんなに強烈な一撃を受けようと、膝を付くことは許されん。王国の盾としての誇りを持ち、勇猛果敢に戦うだけだ』
髪を短く刈り上げているせいで、額と頬に残された傷跡が強調されていた。それが余計に歴戦の勇士としての威厳を際立たせ、三十七歳という年の割に風格を感じさせた。
『アドマー君。力だけでは抗えぬ事象がある、ということも理解しておくべきだぜ』
横槍を入れるように、メルビンが諭した。
『強力な鎧を着込んだ所で、火炙りに耐えられるのか? 水攻めはどうだ? おまけに雷は? 自然事象や魔導の前では、いかに屈強な兵といえど一溜まりもないぜ』
『メルビン殿。俺に喧嘩を売っているのか。魔導兵の方が優秀だと言っているようにしか聞こえないんだが』
『これは失礼。注意喚起の一言だったが、気を悪くされたのなら謝ろう。同じ仲間ではないか。我々は王国の剣と盾として、共に手を取り合う存在だぜ』
穏やかに微笑むメルビンは四十代だ。自信と信念に裏打ちされ、悠然な物腰の男性だ。
これまでは、聡慧の賢聖エクトルの存在に押され、日の目を見ることができなかった。その後を継ぎ、魔導隊を任されるという重責を担う立場でもある。
※ ※ ※
「慢心していなければよいのですが……」
セリーヌの憂いを現実とするように、投石機を狙って魔獣の魔力球が吐き出された。
爆発と悲鳴が戦場へ広がる中、セリーヌは信じられない光景に目を見開いた。
千切れたはずの大蛇は、魔獣の臀部と結合を始めていた。加えて、抉り取った腰の傷は血の泡に包まれ、急速に回復を始めている。
「恐るべき回復力ですね……まさか、これほどまでとは思いませんでした……ユーグという名の魔導師に、どれほどの力を抑え込まれていたのでしょう。以前戦った時とは別の生き物のようにすら見えます……」
しゃがんだセリーヌは苦い顔をして、横たわるイリスに視線を移した。
苦痛に呻く顔は生気を失い、青ざめている。牙に貫かれた傷から血が滲み、紺の法衣はどす黒く変色してしまっている。
「セリーヌ様、なにを……」
腰の革袋へ手を伸ばすセリーヌを見て、コームはいぶかしげな声を上げた。
「一刻を争います。イリスさんを助けるには、竜術では追いつきません」
「プロムナをお与えになるのですか。リュシアン殿の仲間ならまだしも、一時だけ行動を共にする間柄です。貴重な秘薬を……」
「命に優劣など付けられません!」
コームの言葉を遮ったセリーヌは、コルク栓で封じられた小瓶を取り出した。
このプロムナは、マリーが事前に用意してくれていた分のひとつだ。
『五百個を用意するのが精一杯でした』
マリーは申し訳なさそうに頭を下げていたと聞いているが、それだけの量を用意するだけでもいかに大変だったかは想像に難くない。
貴重な秘薬は所持者を厳選された。王国軍でも軍団長や隊長などの限られた者にしか与えられず、セリーヌすらひとつのみだ。
封を開け、ためらいもなくイリスの傷口へ半分ほどを振りかけた。残りは彼女の口へ運び、押し込むように流し込む。
「確かに、セリーヌ様らしい行いです。良いことをされましたな」
コームは吹っ切れたように微笑んだ。
自分が言って大人しく従うような人ではないとわかっている。信念に従い、自分の信じる道へ突き進む人だからこそ、側に使えて守り抜こうと誓っているのだ。
イリスの呼吸が安定すると、戦場にも変化が訪れた。風の移動魔法を纏い、重装隊と魔導隊が合流を果たした。