20 一年前とは違う
「およそ一年ぶりですが、改めて目にしても凄まじい威圧感ですね……」
セリーヌは緊張を隠しきれず息を呑む。
本体は体長十五メートルを超える巨大な獅子の魔獣だ。しかし、左肩には虎、右肩には黒豹の頭が乗った、三つ首の合成魔獣だ。
背中には蝙蝠のような二枚の黒い翼がある。太い尾が不気味に蠢いているが、その先端には大蛇の頭が付き、舌先を覗かせていた。
「相手に飲まれたら負けだよ。俺たちも力を付けた。一年前とは違う」
レオンは魔獣を睨み、強気な姿勢を崩さない。手にした魔法剣を強く握りしめた。
「はい。仰る通りです」
セリーヌの返事を待たず、レオンは腰を落とし、駆け出す仕草を見せた。
「事前に話した通り、あんたが入ってくる段取りは任せるから。竜臨活性が同時に切れることだけは避けたい。それは意識して」
「はい。承知しております」
レオンを見送ったセリーヌは、夕闇の中でも強烈な存在感を示す魔獣へ目をこらした。
相手の状態を確認し、情報を全体へ共有する。彼女に任された最初の仕事だ。
砦から逃げ出してきた兵も臨戦態勢だ。そこへ、三百名に及ぶという王国軍の騎兵隊が合流。魔獣を囲んで円形に広がった。
加えて、セリーヌとレオンを追うように冒険者たちも集まっている。数十に及ぶパーティが、先を争って駆けてゆく。
『魔獣の翼に損傷を確認。一年前に与えた傷は引き継がれている模様。しかし、彼の者は再生能力を有します。空に逃がさぬよう、翼を中心に攻撃を。王国軍は、弓兵隊と魔導隊の到着まで攻撃を繋いでください』
魔法に乗り、セリーヌの声が拡声された。主力の消耗を軽減するため、この戦いでは拡声魔法専任の伝令役も確保されている。
しかし、闇雲に拡声されているわけではない。王国軍は隊長以上の人物、冒険者はリュシアンのパーティに限定されている。余計な声を含めては統率が取れなくなるからだ。
セリーヌの指示に応えるように、騎兵隊から雄叫びが上がる。
それを聞いた彼女の脳裏に、隊長であるガブリエル・カースの顔が浮かんだ。
黒髪で、凜々しい顔つきの男性だった。セリーヌより十歳ほど年上だったが、その若さで隊長を任されていることに驚かされた。
『他の隊も同じようなもんさ。二十代で頭角を現すような奴もいるが、頑張っていれば三十代には機会が巡ってくる』
これまでの苦労を思い出したのか、ガブリエルは遠い目を虚空へと投げた。
『馬と一体になって戦場を駆けるのが醍醐味なんだ。相手の死角に素早く潜り込み、自慢の槍でひと突き、っていうのがいいんだ』
話に合わせて、ガブリエルの左手がセリーヌの肩にそっと添えられた。
『姑息だなんて言わないでくれよ。これも立派な戦術だ』
『なるほど。若い方の意見もためになる』
ガブリエルの背後から、コームが現れた。気配を感じさせない出現にカブリエルは驚き、咄嗟に身を引いていた。
「びっくりした……いつの間に」
険しい顔の老剣士は、セリーヌの肩に置かれたままのガブリエルの手を握った。
『従者のコームと申す。お見知りおきを』
ガブリエルの呆気にとられた顔を思い出し、セリーヌは口元を僅かに緩めた。
彼女が漏らした息に後押しされるように、槍を構えた騎兵が左右と後方から襲う。
すると、魔獣の尾から大蛇が威嚇の声を上げた。それに触発されたのか、魔獣本体は前方に向かって大きく跳躍した。
虚を突かれた騎兵隊が乱れる。魔獣は彼らをあざ笑うかのごとく、眼前に構える何騎かを薙ぎ払い、食らいもした。
人と馬の悲鳴が交ざり合った。鎧ごと噛み砕かれ、雨のように血飛沫が舞う。
虎と黒豹が魔力球を吐き出し、周囲に散開していた何騎かが吹き飛ばされた。
魔獣の中核となる獅子の顔が、倒れた馬を中心に次々と食らう。虎と黒豹が睨みを効かせ、大蛇の尾が兵士を丸呑みにしてゆく。
セリーヌは込み上げる嘔吐感を堪え、敵の動きをつぶさに追っていた。
『魔獣は翼の損傷具合から、冷凍保存されていたと見なす。人馬を食し、体力の回復を図ろうとしている模様。攻撃の手を緩めずに』
シルヴィからも伝えてもらっていたはずだが、王国軍に満足な装備が行き渡っているとは思えなかった。通常戦闘であれば問題ないが、相手は最強の魔獣だ。生半可な装備では通用しない。
『魔獣の吐き出す魔力球に警戒を。連続使用は未確認。口を開いた時が予備動作です。尾の大蛇が吐き出す毒霧にも警戒を』
セリーヌの警告に乗り、敵の頭上へ魔力石が降り注いだ。
炎と雷が次々に炸裂。さすがの魔獣も鬱陶しいと言わんばかりに悲鳴を上げた。
「あれは……」
セリーヌの視界に映ったのは、砦から運び出された投石機だった。今回の戦いに備え、投石用と魔法石用が配備されているという。
魔獣が怯んだ隙を突き、騎兵が次々と槍を突き立てる。そこに混じって、冒険者たちも近接戦闘を仕掛けてゆく。
これだけの方々が、共通の敵という目標に向かって力を貸してくれている。
その事実は、セリーヌの心を奮い立たせるに充分だった。
前回の戦いは戦力と呼ぶには心許ない人数だった。これだけの力があれば、今度こそ勝てるはずだという希望が湧いてくる。
「遅くなりました」
セリーヌの側へ女性魔導師が駆けつけた。
気の強そうな顔付きには鋭気が漲っている。青い瞳、結い上げた金色の髪、透けるように白い肌。北方出身者の特徴を持つ女性だ。
今回、冒険者から選別した魔導師のひとりに、寄り添った支援を頼んでいた。選ばれたのはイリスという名の二十五歳の女性だが、相棒となる彼女を守りながら戦うのもセリーヌの責務のひとつだ。
しかし、セリーヌの希望を打ち砕くかのように、ミツ首が強烈な咆哮を上げた。
大気が震える。鼓膜が破れるのではないかという強烈な波動に煽られ、何頭かの馬が戦場を逃げ出してゆくのが見えた。
振り落とされた兵士が地面を転がり、無様な姿を晒している。だが、それを責められる者などいるはずがない。
魔獣は周囲の攻撃に怯むことなく突進。騎兵を次々と薙ぎ払ってゆく。
体に刻まれた傷跡からは、泡状になった血液が噴き出している。それが傷口を覆い、回復を促進しているのは明らかだった。
『怯むな。横腹へ矢継ぎ早に仕掛けろ』
カブリエルの鼓舞する怒声が拡散される。
騎兵隊が率先して魔獣を仕留めてみせるという気概に溢れていた。
左右から襲い来る槍を受け、魔獣はたまらず唸りを上げた。そうして大蛇が毒霧を吐き、敵の巨体はその場から大きく跳躍した。
騎兵は慌てて退避するが、毒霧に巻き込まれた何騎かが横倒しに崩れた。
「イリスさん、風の移動魔法を」
じっと機会を伺っていたセリーヌは、飛び退いた魔獣の背後へ突進した。
魔導杖を背に担ぐセリーヌは、左右の手にそれぞれの魔力を生み出した。荒ぶるそれらの力を、抱きかかえるように収束させてゆく。
「右手に光。左手に光。双竜術、光激爆無還!」
解き放たれた力が、着地直後の魔獣を背後から急襲した。太陽が昇るように、迸る光が地上を駆け抜ける。
強烈な爆発が大蛇を根元から千切り、魔獣の腰の一部を抉った。前のめりになったブリュス・キュリテールは飛び退いたはずの地点まで押し戻され、滑り込むように地面へ倒れ込んでいた。