11 信頼の証
アランさんの工房を後にした俺たちは、隣に建つマリーの工房を訪ねた。
小ぶりな建物だが、真っ赤な屋根が存在を主張している。装飾が施された鉄の門扉を押し開けると、石畳が入口の扉まで延びていた。
石畳の周囲へ庭が造られ、水瓶を担いだ天使の石膏像に目を惹かれた。群生する可愛らしい草花が周囲を彩り、マリーの感性が活かされた素敵な空間に仕上がっている。
「こんばんは」
ノッカーを打って声を掛けると、すぐさまマリーが顔を覗かせた。
「思ったより早く着いたんですね」
作業中だったのだろう。軽装姿に前掛けという姿で出迎えてくれた。その表情は以前よりも明るくなった気がする。
「久しぶりにマリーに会えるっていうんで、レオンが急げってうるさくてさ」
「え?」
目を見開いて顔を赤くするマリー。そんな反応を楽しんでいると、背中に衝撃を受けた。
「勝手な嘘はやめてくれ。不愉快だ」
「なんだ。嘘なんですか……」
マリーの明らかに落胆した顔を見せられ、申し訳ない気持ちになってしまった。
「いや、碧色の言っていることが嘘っていうだけだから。気にはしていた」
ぶっきらぼうに言い放ったレオンは俺を追い越し、足早に工房の中へ入っていった。
「だとさ」
取り繕うようにマリーに微笑みかけると、右脚のつま先を思い切り踏まれた。
「ぬか喜びさせないでよね。ついていい嘘と悪い嘘っていうものがあるんだから」
「悪かった……」
「前から思ってたけど、私のことをいじって楽しんでるわよね。シルヴィさんといい、私はあなたたちの玩具じゃないんだから」
「反省します」
「ほら、さっさと中に入って。開けっぱなしにしていると虫が入ってきちゃうから」
マリーは工房の奥へ去ってゆく。
入ってすぐの部屋は受付のようになっていた。木製の長机には花瓶が置かれ、それを囲むように六脚の椅子が置かれている。
室内には、プロム・スクレイルの香りがほのかに漂っていた。壁に飾られた絵画と相まって、美術館にいるような気持ちになる。
「普段はあんな感じなんだ……マリーちゃんって、もっとお淑やかな印象だったけど」
「師匠にあそこまで強く言える人を初めて見ました。びっくりしました……」
イヴォンとヘクターは呆気にとられた顔をして、衝撃を受けている。
「マリーが恩人と慕っている大司教と、過去にいざこざがあってさ。そのことを根に持っていて、俺には当たりがきついんだよ」
「僕は逆だと思うけれどね」
「え?」
兄の言葉に、間抜けな声が出た。
「素を出せるということは、心が安定している証拠だよ。リュシアンのことを信頼している証だと思うけれどね」
「それならいいんだけど……」
半信半疑でいると、いくつかの小瓶を手にしたマリーが戻ってきた。
「プロムナの改良品。順調に仕上がってるわ。後はこれを、どこまで量産できるかだけど」
硝子の小瓶は半透明の赤い液体で満たされている。完成品の出来映えに興奮してきた。
「手のひらに収まるし、大きさも丁度いいな。いくつか持っても邪魔にならない」
「でしょ。結構がんばってるんだから。中身を飲み干せば、十分程度で傷を体内から癒やしてくれるわ。切り傷なんかを治したい時は直接かけた方が早いの。ものの数分で、簡単に塞がっちゃうんだから」
「これで、ひと財産を稼げると思うぞ」
「やっぱりそう思う?」
聖女が悪い顔をしている。
それを面白く思って眺めていると、前にセリーヌに話した妙案を思い出した。
「マリーの顔を映写に撮って、この瓶に貼るんだ。この際、商品名も変えた方がいい。多少高くても間違いなく売れる」
「だけど、お金儲けしたいわけじゃないから」
「もったいねぇ。欲がないんだな……」
「みんなが碧色のように下劣なわけじゃない。自分と同じに考えない方がいい」
「下劣って、おまえな……」
レオンの指摘に少しだけ傷付いた。
冒険者活動にも資金は必要だ。仲間を抱えるなら尚更のことだというのに。俺の苦労も少しは理解してもらいたいものだ。
「そういえば……」
俺も背中に担いでいた革袋を机に下ろした。
「結界革帯だけど、こっちもユリス発案の改良品が完成したんだ。結界の強度は、ランクSと同等にまで高まった」
「え!? ランクSと同等って、すごい……」
「俺とレオンの分も直してもらったんだ。残っていた十点を改良して持ってきたから、みんなに渡していた分と交換な」
シルヴィさん、アンナ、親衛隊たちに渡していた分も、マリーに回収してもらっている。それらを革袋に詰め替えた。
「尽力してもらったサミュエルさんと教皇には悪いと思うけど、人命がかかった道具だからな。優秀なものを使うに越したことはねぇ」
「サミュエルさんもそこは理解してくれてるわよ。自分が作ったのはあくまで試作品だから、って。より良いものが出てくるのは仕方のないことだよ、って言ってたわ」
「そう言ってくれて助かるよ」
「だけど、プロムナにしても革帯にしても、自分の発想を盗まれているんだ。本人としては面白くないだろうけど」
「レオン、それを言ってくれるなよ。俺だって、良心が痛まないわけじゃねぇんだ」
「へぇ。碧色にもそんなものがあったのか」
「おまえな……」
兄だけじゃない。マリー、イヴォン、ヘクター。四人に笑われているのが腹立たしい。
「そうそう。サミュエルさんって言えば、なんだか大活躍してるみたい。シルヴィさんが、彼のお陰で大儲けだわ、って上機嫌なのよ」
「なるほど。着実に結果を出してるのか」
胸の中に、もやもやした気持ちが渦巻く。
島を出た後にシルヴィさんと交わした通話で、娼館の運営はすこぶる好調だと聞いている。サミュエルさんのお陰なら、シルヴィさんは本気で付き合いを考えるのかもしれない。
「さてと。プロムナの報告も済んだし、私たちも勇ましき牡鹿亭に向かいましょうよ。早くしないと、シルヴィさんの相手をしているアンナさんが酔い潰れちゃうかも」
「あぁ、そうだな」
迷いを振り切るように、そのことを考えないようにした。
「久しぶりの牡鹿亭も緊張するな……なんだか顔を出しづらくなってきたぞ」
「あなたの失敗談も色々聞けるから、私は楽しいけどね。クレマンさんもイザベルさんもすごく良くしてくれるし、家庭的で素朴な味付けの料理も大好きになっちゃった」
「あの店は、一部の街人から熱狂的に愛されてるからな。イザベルさんも昔は痩せていて、有名な看板娘だったらしいんだ」
「へぇ……映写とか残ってないのかな?」
「どうだろうな。聞いてみろよ」
「最近は、サンドラさんもお店を手伝ってるのよ。ふたりとも仲良しなんだから」
「は? そんな話は聞いてねぇぞ」
俺にとってはふたりの母が共同作業しているようなものだ。
「余計に行きたくなくなってきた」
「だめ。首輪を付けてでも連れて行くわ」
革帯を手にして微笑むマリーが怖い。





