02 最高の冒険者
グランド・ヴァンディの山頂へ降り立つ。セリーヌと、炎の民のヘクターが出迎えてくれた。離れて、水の民のイヴォンも見える。
「おかえりなさい。無事に戻られて安心しました。皆様に変わりはございませんでしたか」
「あぁ、何も問題ない。兄貴も無事に目を覚まして、すべてが順調に運んでる」
「そうですか。それは良かったですね」
セリーヌの笑顔を目にして、全身の緊張が解けてゆく。彼女といると、心がとても安らいでゆくのがはっきりわかった。
「ユリスもいかがでしたか。外の世界は三度目になりますが、新しい発見があったのではありませんか」
「ええ。それはもう色々とあったよ。セリーヌにもじっくり聞かせてあげたい所だけど、長が報告を待ってるだろうから」
人前では、姉さんではなくセリーヌと呼び分けていることに今更ながら気付いた。神官代理としての威厳を保つためだろうが、そこまで配慮できるユリスもさすがだ。
「ユリス。俺のありもしない噂を広めるなよ。長に何か聞かれたら、最高の冒険者だって宣伝してきてくれ。頼んだぞ」
「俺からは特に言及しません。リュシアンさんの態度次第じゃないですか。他人は意外と、よく見ているものですよ」
「だから、ユリスから見た俺を売り込んできてくれればいいから」
「それ、俺に何の得もありませんよね。売り込みを求めるなら、相応の報酬を要求します」
ユリスの言葉にセリーヌが笑った。
「おふたりとも、いつの間にそんなに仲良くなられたのですか」
「ほら見ろ!」
思っていた通りの言葉が飛び出してきた。
ユリスは苦い顔を見せ、セリーヌは不思議そうに首を傾げている。
「レオンさんもお帰りなさい」
セリーヌの声にレオンは恥ずかしそうに目を逸らし、右手を挙げて応えた。
「マリーさんの御姿がありませんが」
「そのことなんだけどさ……」
アンドル大陸に残ることになった経緯を告げると、セリーヌは黙って頷いた。
「マリーさんが決められたことならば、全面的に応援するだけです。むしろ、進むべき道を見いだせたことは素晴らしいと思います」
「訓練が中途半端になっちまったことを、申し訳ないって言ってたよ。アレクシアにも謝っておいてほしいって」
「マリーさんが気にされる必要はありません」
「そう言ってもらえると、こっちも気が楽だ」
「なんだ、帰っちゃったのか……」
肩を落とし、露骨に感情を見せたのはイヴォンだ。ユリスは彼を睨み、足早に近付く。
「前から言っておかなければならないと思っていた。外の者に入れ込むな。それでなくとも君は、水の神官なんだ。立場をわきまえろ」
「なんだ、偉そうに。この島で相手を見付けるのは難しいってわかんだろ。残ったのは子どもと老人ばっかりだ。守り人の血がどうなんて知るか。おまえだって外の世界で楽しんできたんじゃないのかよ?」
「イヴォン、口を慎め。神官の言葉とは思えない。君の品位を疑うぞ」
「何とでも言えよ。俺は旨いものを食って、いい女を抱きたい。おまえだって興味あんだろ。こんな綺麗な姉ちゃんが側にいるんだし、女に興味がないわけないよな。婚姻の儀が保留にならなけりゃ、死ぬ気で勝ってたよ」
吐き捨てるように告げたイヴォンは、挑みかかるように俺を睨んできた。
「次に外の世界へ行くのは三ヶ月後っすよね。その時には俺も連れて行ってください。必ずですよ。約束してください」
「それは俺が決めていいことなのか?」
対応に困っていると、ユリスが口を開いた。
「水の民の長の許可が必要になります。許可取りは、俺が進めておきますから」
「じゃ、よろしく。俺は訓練に戻るからよ」
イヴォンは背を向け、足早に立ち去った。
疲れた顔のユリスが溜め息をつくと、ヘクターが恐る恐るその横顔を覗き込んだ。
「あの……それなら俺もいいですか? 師匠……リュシアンさんと出掛けてみたいです」
「ヘクター、俺のことを師匠って呼ぶのはやめようぜ。そんな大層な存在じゃねぇって」
「いえ。間違いなく師匠です。それに、セルジオン様の力まで我が物にされているんですから。炎の民の代表として崇めたいほどです。爺ちゃんも言ってました。力ある者に付き従えば、間違いはないって」
目をきらきらさせているが、長いものには巻かれろという言葉もある。
彼の祖父は何を教えてきたのだろう。ヘクターの将来が、少しだけ心配になってきた。
「わかった。イヴォンとまとめて許可を申請してくる。ただし、君は神官でもない。候補者という立場はあるけれど、確実に許可が降りる保証はない。それだけは覚えておいて」
「わかりました」
がっかりした顔で縮こまっているヘクターが不憫になったのか、ユリスは頭を振った。
「俺とイヴォンが付き添うと言えば、許可を取るのは難しいことじゃない。安心して」
「はい。よろしくお願いします」
「よかったですね、ヘクター。ユリスにも手間を掛けてすみません」
「セリーヌが誤ることじゃない。みんなには訓練に集中して欲しいんだ」
「それはユリスも同じではありませんか。継承戦も三ヶ月後に迫っております。私に勝とうというのでしたら、稽古をやり過ぎて困るということはありませんよ」
「随分な自信ですね。身が引き締まります」
「楽しみにしておりますからね」
微笑むセリーヌの眼差しに、強い自信が漲っている。絶対に負けないという想いと、訓練の成果に手応えを感じているのだろう。
ふたりの会話が途切れるのを待ち、脇へ抱えていた布の包みをユリスへ差し出した。
「これを一緒に頼む」
「そうでしたね」
「その包みは何なのですか?」
セリーヌが横から覗き込んできた。彼女の動きに合わせて、ふわりと石鹸の香りが漂う。なんとも幸せな気分にさせられる。
「これは、魔力板を収めた額縁なんだ。俺の両親を映写に撮って、映写屋で焼き付けてもらった。ジャンさんとオデットさんの所へ、届けてもらおうと思ってさ」
「まぁ、それは素敵ですね。きっと喜んで頂けると思います」
「だよな。母さんに話したら、今の自分を見て欲しいって言うから、家の前で撮ったんだ。四人で映った、貴重な家族写真だぜ」
マルティサン島で、ジャンさんとオデットさんに会ったと伝えると、驚いた母は涙をこぼして何度も頷いた。
『島に戻ったら、私の代わりに謝っておいてくれる。不出来な娘でごめんなさいって……』
母からの言葉は、俺からふたりへ伝えるつもりだ。訓練さえ終われば、村へ顔を出す許可くらいはもらえるだろう。
ユリスは飛竜に乗って、村へ飛び立っていった。これからまた、訓練の日々が始まる。
※ ※ ※
炎の民が暮らす地区へ額縁を届けたユリスは足早に、光の民が暮らす地区へ戻った。
広場に着陸して飛竜を解放するなり、近付いてくる人影に気付いた。不快感が顔に表れるのを自覚し、平静になるよう心を静める。
「ユリス、戻ったか」
「はい。ただいま戻りました」
表情を失ったユリスは言葉に少なに、長の側近であるアダンに頷いて見せた。
長い白髪を後ろでひとつに束ね、彫りの深い顔立ちをした男だ。顔に刻まれた皺のひとつひとつがこれまでの苦労を無言の内に物語っている。六十歳を超えているが体幹は強く、頭の回転も速い。ユリスには手強い相手だ。
「長へ報告に行く前に、一言だけ言っておく」
周囲へ目を走らせたアダンは、囁くようにユリスの耳元へ顔を寄せた。
「長は考えを改められた。昨晩のやり取りは一切忘れろ。その件に関しては金輪際、他言無用だ。長の前でも決して口にするな」
「それは何よりですが、なぜ急に心変わりを? 真意はどこにあるんですか」
「それは長のみが知るところだ。詮索するな」
「承知しました」
腑に落ちない気持ちを抱えたまま、ユリスは長が住む建物へと足を進めた。