24 何を信じて戦えば
マルセルと名乗った老魔導師は俺たちの反応を面白がり、笑みを更に深くした。
「逃げ惑う輩たちを見るのは滑稽だった。自分たちが開発していた魔獣に命を奪われるなど、考えもしなかったのだろうね。僕は研究に協力するふりをして、彼らにいたずらを仕掛ける機会を伺っていたんだよ。うひひひひ」
「ちょっと待て。この街が存在したのは百年以上も前だ。あんたは何歳なんだ」
「この老害にそんなことを聞いても無駄だ。延命の魔術とやらで老化を著しく遅らせている。自分が何歳かも覚えていない」
軽蔑するような目を向けるラファエルだが、その怒りの根本がなんなのかはわからない。
「老害とは酷い言いようじゃないか。僕はある意味、君の父親も同然なんだがね。もっと敬ってほしいものだよ」
「ふざけるな……虫酸が走る」
「結局、その魔獣を作っていたのは何者なんですか。どうしてそんなものを」
ふたりのやり取りを無視して、ユリスが口を挟んだ。その横顔には抑えきれない怒りが滲み出している。
「守り人には興味深い話だろうね。特別に、君たちにだけは教えてあげよう」
マルセルは、隣に立っている魔導師のグレゴワールに右手を差し出した。グレゴワールは腰に提げた革袋から葉巻を取り出し、火を付けたものを握らせた。
「竜が人間たちの前から姿を消し、人に与えられた魔法の力も衰え始めた。切っ掛けは戦争だな。魔法に変わる次の力と戦術を求め、各国が頭を悩ませた。そしてこの国は、強力な魔獣を生み出すという考えに至ったわけだ」
マルセルは葉巻の煙を深く吸い込み、満足そうな顔でそれを吐き出した。
「但し、ブリュス・キュリテールは特別だ。魔獣合成の技術はこの国にしかなかった。ここまで言えば馬鹿でもわかるね。ブリュス・キュリテール製造の指揮を執っていたのは、この国の王。アリスティド家の先代だ」
「国王の仕業だったのかよ……」
「碧色、気付いていなかったのか」
魔力の糸に捕らえられたままのレオンから、呆れたような目を向けられてしまった。
「可能性を考えなかったわけじゃない。でも、信じたくなかったんだ」
俺はこの先、何を信じて戦えばいいのか。それすらも見えなくなってしまいそうで怖かった。認めることができなかった。
「こんな世界、残す意味もないと思わんか。ドカンとぶっ壊せばいいんだ」
戦斧を肩に担いだモルガンが、ラファエルの側で高笑いをした。マルセルはそれを横目に、葉巻を咥えて口元を歪める。
「国王は冒険者ギルドを起こし、竜の捜索も並行して行っていたがね。結局、魔法の力も惜しくなったのだろう。欲張ってみたところで、何ひとつ手にできなかったというわけだ」
国王を小馬鹿にし、マルセルは笑みを深くした。
「戦士にしろ、魔導師にしろ、優秀な人材を欲しがっていたからね。この国に付け入るのは非常に簡単だったよ」
そうして、上機嫌で葉巻を吸っている。
「だが、竜たちの強さは僕の想像を超えていてね。五体もいたブリュス・キュリテールが、一体を残して駆逐されてしまった。この国を壊滅させるまで頑張って欲しかったよ。自分たちが作ったものに報復される。滑稽極まりない話じゃないか。うひひひひ」
「おまえのせいで……」
身を乗り出したユリスの肩を押さえた。放っておけば、このまま飛び掛かっていくのは目に見えている。
「落ち着け。怒りに駆られて飛び込んでも、無駄死にするだけだ」
「だけど、あいつのせいで島は滅茶苦茶にされた。俺と姉さんも人生を狂わされた」
「耐えろ。戦うのは今じゃない」
「おやおや。碧色君は及び腰か……守り人の青年の方が遙かに勇敢だ」
「黙れ、この野郎……」
マルセルを斬り捨てたいのは俺も同じだ。しかし、ここで攻めるのは分が悪すぎる。これだけ強力な捕縛魔法を扱う相手だ。どんな手を用意しているか知れない。
「雷竜轟響」
ユリスの右手から電撃が迸った。それが俺たちの足下へ広がり、シルヴィさん、アンナ、マリーを含めた全員が、その場に膝を付いた。
「ユリス、待て!」
必死の呼びかけも届かない。ユリスは星球武器を身構え、マルセルを目掛けて駆けた。
それを迎え撃とうと動いたのはモルガンだ。しかしその巨漢を追い越し、細身の人影が割り込んでいた。
ミシェルは槍を斜めに構え、柄の部分をユリスの胸元へ押し付けた。背中から押し倒されたユリスが呻くと、ミシェルは馬乗りになって動きを完全に封じてしまった。
「おや、もう終わりか……つまらないね。では、昔話もここまでにしようか」
マルセルは物足りないという顔で、手にしていた葉巻を投げ捨てた。
「モルガン君、ラファエル君の処分は任せるよ。彼はもう用済みだからね……聞き分けのない壊れた玩具は不要だ」
「相変わらず、頭のおかしい爺だ。壊れているのは貴様の方だと気付かないのか」
「ラファエル君。僕に散々世話になっておきながら、その言い草は酷いな。君が小さな頃から、ずっと面倒を見てきてやっただろう」
「貴様がやってきたのは、ただの人体実験だ。反吐が出る。雷竜の力を植え付けてくれたことは褒めてやるが、何度殺したいと思ったか」
「知っているとも。その怒りが君の原動力だということもね。光に憧れ、足掻く羽虫。実に滑稽な人生だったな。いや、羽虫どころか傀儡だな。君はただの操り人形なんだよ。あの御方を迎え入れるための器でしかない」
「その器を壊していいのか?」
「より相応しいものがある。安心したまえ。君はもう、この世に必要ない」
「そうか……」
押し黙るラファエルを可哀想に思ってしまった。こいつらの関係性はわからないが、マルセルという老人に対して憤りしか感じない。
怒りに歯噛みしていると、ユリスに馬乗りになったままのミシェルが、モルガンを見た。
「苦しまないよう、せめてひと思いにとどめを刺してあげてください。僕は、ラファエル君の境遇に同情しているんです」
たまらず、モルガンは笑い声を上げた。
「よかったな、ラファエル。たったひとりだが、理解してくれる変わり者がいたぞ」
涙を流して笑うモルガンは、囚われたままのラファエルの首筋へ斧の刃先を添えた。
「最後の言葉くらい聞いてやるぞ。恨み言があるなら言ってみろ」
「そうだな。一言だけいいか?」
そうして、ラファエルは大きく息を吸った。
「闇駆黒翼」
螺旋を描いた黒い渦が足下から立ち上り、彼の背中へ一対の黒い翼が現れた。
収束した禍々しい力にモルガンの巨体が弾かれ、拘束魔法すら打ち破る。そして、ラファエルとレオンが解き放たれた。
「小僧!」
モルガンが戦斧を構えるより早く、ラファエルの繰り出した一閃がその首を刎ねた。
「馬鹿が。貴様らが裏でコソコソしていたのを気付いていないとでも思ったか。力を温存し、翼を隠していたまでだ」
刃に付いた血を払い、ラファエルはモルガンの遺体を踏みつけた。全身に怒りを漲らせ、マルセルを睨む。
「爺。後悔する暇もなく殺してやる」
「おのれ。我々を欺くとは愚か者め」
「ゴミが。さっさと死ね」
マルセルが魔導杖を持ち上げると同時に、感情を剥き出した黒翼の悪魔が飛び掛かった。