21 人の姿をした悪魔
しかしその感情の正体は、魔法に対してではなかった。それを紡ぎ出す、ミシェルに対してのものだと思い至っていた。
俺はこの声を、どこかで聞いている。
細く頼りない記憶の糸を辿りたいと思えど、眼前のラファエルが時間を与えてはくれない。
『小僧。戦いに専念しろ。おまえに何かあれば、我も消えるということを忘れるな』
「わかってる。大丈夫だ」
セルジオンからの思念を受け、リュシアンは改めて気を引き締めた。この力の制限時間もわからない以上、短期決戦が必須だ。
「俺をもっと楽しませろ」
狂ったように飛び掛かってきた相手の斬撃を裁き、リュシアンは次の一手を模索した。
魔力結界は破壊したものの、ラファエルが身に付ける軽量鎧によって腹部は完全に守られている。武装されていないのは、首、二の腕、太もも。そこを斬撃で狙うか、先程のように竜撃を叩き込む以外に活路はない。
ラファエルの巧みな剣術をかろうじてしのぎ、竜撃を打ち込む隙を探った。
それはリュシアンにとって、激しい舞を踊りながら針に糸を通す行為に等しい。神経と体力はすり減り、動きは精細さを欠いてゆく。
その疲弊した様は、ラファエルにもはっきりと伝わっていた。狂気の笑みは失われ、感情をなくしたように剣を振るっている。
「貴様、竜臨活性を使えないのか」
「おまえごときに必要ねぇだろ」
肩で息をするリュシアンは、胸元へ迫った斬撃を打ち払った。
「そうか……」
ラファエルは後方へ退き、落胆と退屈を全身に貼り付けて剣を降ろした。その身に宿した怒りの炎だけが静かに燃え続けている。
「とんだ期待外れだ。俺の全身全霊の一撃で息の根を止めてやる。さっさと死ね」
魔力を研ぎ澄ませるラファエルを前に、リュシアンは動くことができなかった。
一歩でも動けばたちまち飲み込まれてしまう恐怖を全身に浴び、進むことも引くこともできず、その場に立ち尽くしていた。
「よく見ておけ。これが新しい力だ。闇駆黒翼!」
腰を落とし、ラファエルが吠えた。
螺旋を描いた黒い渦が足下から立ち上り、彼の背中へ収束してゆく。渦は次第に形を成し、一対の黒い翼へと変わった。
神々しさと禍々しさが織り交ぜられた、鳥を思わせる雄々しい翼だ。人の姿をした悪魔のようで、リュシアンは身震いした。
「貴様から受けた屈辱を晴らすため、ようやく手に入れた力だ。この翼は、俺こそが世界最強となった証だ」
「世界最強、ね……」
動けないリュシアンに変わり、レオンが忌々しそうな顔で舌打ちした。
ラファエルの自信が口だけではないことをレオンも肌で感じていた。彼の全身から漂う不穏な力は、近付いただけで斬り裂かれそうな凶暴さを漂わせている。
「強くなったのは貴様だけではない」
ラファエルが地を蹴ったと思った時には、リュシアンの眼前へ迫っていた。その軌跡を誰の目にも見える形で現したように、黒い羽が散って宙を舞っていた。
驚きに目を見開いたリュシアン。彼が防御に回るより速く、漆黒の剣が突き出された。
「くっ」
かろうじて攻撃を視認したリュシアンは、腰を捻って咄嗟に上半身を逸らした。その左肩を刃が貫く。もう少し反応が遅れていれば、心臓をひと突きされていたはずだ。
リュシアンは痛みに悲鳴を上げる間もなく、ラファエルの左拳を腹部へ叩き込まれた。
腹の中を鈍器で抉られたような衝撃に、胃の中のものを吐き出してしまいそうだった。呻いたままよろめくと、肩に刺さっていた剣が引き抜かれた。
左肩と腹部を襲う二重の痛みに、リュシアンはたまらず背中を丸めた。続け様に左方から襲う蹴りに気付き、咄嗟に応戦していた。
「炎纏・竜牙撃」
漆黒の力を帯びた右脚の蹴りと、炎を纏った左手の掌底が激突した。黒と紅の魔力が光となって、ふたりの周囲に弾け散る。
押し巻けたのはリュシアンだ。左腕を弾かれ、脇腹を薙ぐ衝撃を受け吹き飛んだ。言葉を発することすらできず無様に転がり、巨大な容器のひとつにぶつかって停止した。
「力の差が付きすぎてしまったらしい」
鼻から息を吐き、物足りないという顔のラファエルだが、攻撃の手を緩めるつもりはない。倒れたまま動かないリュシアンを見据え、とどめをさそうと剣を構えて走り出す。
「咲誇薔薇!」
「円舞斬!」
そこへ回転連撃を仕掛けたのは、シルヴィとアンナだ。縦回転を加えた深紅の薔薇と、横回転を生み出した小型竜巻が、ラファエルを狙って猛然と襲い掛かった。
対して、ラファエルも冷静だ。落ち着き払った様子で立ち止まり、剣を構えた。
「雷鋭轟撃」
襲い来るふたつの回転連撃に向かい、ラファエルは荒々しい一閃で応戦した。紫電の迸る斬撃がぶつかり、シルヴィとアンナは容易く弾き飛ばされてしまった。
シルヴィは咄嗟に受け身を取り、衝撃を緩和した。アンナも驚異的な身体能力を活かし、空中で後方回転を繰り出して着地した。
直撃はなかったものの、ふたりは電撃の痛みに顔をしかめた。再びラファエルへ立ち向かってゆくが、動きは精彩を欠いている。
「何か打開策はありますか」
戦いを後方で見つめていたユリスは、呻くようにレオンへ言葉を投げた。
「考えてはいる。でも圧倒的だ」
鈍い反応に、活路が閉ざされていることをユリスも悟った。事実、紅の戦姫と神眼の狩人の二人がかりでも歯が立たない。
「やっぱり、あの人の回復だけでも」
「やめておいた方が賢明です。俺たちが中途半端に手を出すと、かえって危険です」
ユリスは冷静にマリーを諭した。自分の立ち位置を把握し、控えに回ると決めていた。
俺に竜臨活性の力があれば。
何も出来ない自分と現状がもどかしく、手にした魔導杖を握る手に力が込もる。
「あの剣士は何者なんですか……あんな力は見たことがない……」
ユリスが不安を口にした時だった。シルヴィとアンナまでもが紫電の斬撃に斬り裂かれ、呆気なく床に崩れた。
うめき声を漏らしていることから命に別状がないのは確かだったが、戦闘続行が不可能であるのは間違いなかった。
奥で戦いを見守っていたモルガンが、手を叩きながら笑い声を上げた。
「さすがだ、大将。その黒い翼が新たに得た力かよ。儂もそんな力が欲しいぜ」
はしゃぐモルガンの側で、治療を終えたギデオンがようやく身を起こした。ミシェルに手を借り、崩れた容器の上に座り込む。
ラファエルはそんな仲間たちには目もくれず、リュシアン、シルヴィ、アンナを順に眺めていた。その目が、奥に控えるレオンを見据えて止まる。
「貴様は掛かってこないのか。碧色の危機に、迷わず飛び込んでくると思ったが」
「期待に添えずすまない」
レオンは淡々と告げる。そして一歩を踏み出したかと思えば、剣を鞘へ収めてしまった。
「降参だ。碧色が適わないなら勝ち目はない。ただ、ここで碧色を殺そうというなら間違いだ。半年だ。半年あれば、もっと強くなる。それを期待して今回は見逃してほしい」
「レオンさん?」
ユリスは驚きに目を見開くが、それはラファエルとマリーも同様だった。