16 醜悪な笑み
「行くぞ」
仲間たちへ小声で呼びかけると、アンナはしゃがんだまま俺を振り返ってきた。
「長い階段を降りた先は、天井が崩れた影響で土砂と瓦礫が山積みなの。端の方だけ取り除かれて、奥に進めるようになってた。そこから先はアンナも未確認だから、何があるかわかんない。みんなも気をつけてね」
アンナに導かれ、俺とシルヴィさんが後に続いた。マリーとユリスを間に挟み、レオンが最後尾を務める布陣だ。
元々は寺院が建っていたはずだが、その面影はないに等しい。周囲に瓦礫が残り、何かの建物があった形跡がわかる程度だ。
砂を被った階段は幅広で、一段ずつの面積も大きい。一段の中に四人は収まれる余裕があるが、これは何を意味するのか。人体実験や魔獣の研究をしていたということからも、大きなものを運ぶためには必要な大きさだったのかもしれない。
剣を構え、階段を一段ずつゆっくりと降りていく。深さも相当なものだ。三十段ほど降りると、ようやく床に到着した。
中は暗いが、天井に空いた大きな穴から陽射しが差し込んでくる。アンナが手に入れた日誌の通りなら、ブリュス・キュリテールたちが外へ出るために空けた穴だという。
何もない、石造りの無機質な空間だ。そこに長い年月をかけて堆積した砂山が、存在感を持って鎮座していた。
アンナは光量を絞った魔力灯を握って周囲を照らした。がらんとした空間の中央と左右を、幾本もの石柱が支えている。石柱の根元には、魔法陣が一定の間隔で描かれていた。
床にしゃがんで魔法陣のひとつを確認していると、不意に肩を叩かれた。顔を上げると、ユリスが俺を覗き込んでいる。
ユリスは右手を持ち上げ、天井と魔法陣を交互に指差した。
魔法陣を起動させ、上下階を瞬時に転移することができたのだと思います。
砂に走り書きされた文字を読み、納得した。こういった仕掛けは現代にない。魔法を主体としていた過去の方が、高度な技術を有していた面があることは否めない。
転移できるほどの技術があれば、わざわざ地下に作る意味もないんじゃないのか?
ふと思いついた疑問を、ユリスへ投げた。
長距離を移動するには更に高度な力が必要です。上下移動が限界だったのでしょう。
ユリスの解答に納得して顔を上げると、アンナは瓦礫が取り除かれているという場所まで進んでいた。確かに石柱で隠すように、人ひとりが通り抜けられる隙間ができていた。後から人の手が加えられているのは明らかだ。
隙間を抜けると、アーチ型をした次の入口が姿を現した。元々は扉が付いていたようだが失われている。アーチを描く石壁も半ば崩れ、強い力が加えられたことが窺えた。
そのまま奥に進むと、細長い通路が延びていた。左右にいくつもの扉が並んでいるが、何のための部屋か想像がつかない。しかし、肝心なのは真っ直ぐ伸びるこの通路だ。この際、左右の扉は無視して構わないだろう。
そう思った矢先、レオンが一番手前の扉に近付いた。扉の正面を避け、背中を壁に預けた姿勢で木製扉の隙間へ剣先を突き入れる。
地獄の蓋が開くように、軋んだ音を立てて扉が開いた。特に何かが起こる様子はない。
室内へ体を滑り込ませたレオンに続き、部屋の中を覗いてみた。それほど広くない室内には、机や棚が置かれている。
「研究員の個室だったのかもしれない。当然、机の引き出しも空だ。めぼしいものはすべて持ち出されているだろうね」
小声で囁くレオンに頷きで応えた。
「駄目で元々。一部屋ずつ調べてみる?」
後ろを付いてきたシルヴィさんがつぶやく。
「帰りぎわ、時間に余裕があれば」
「あたしの体も、奥の奥まで調べていいのよ」
いたずらめいた笑みを向けてくる。
「それは遠慮しておきます」
「あら。連れないのね」
腹部を撫でるシルヴィさんに苦笑を返し、通路へ引き返した。すると、先を行くアンナは四つん這いになり、床の様子を探っていた。
砂が堆積する通路の奥には、新たな扉が見えている。慎重になる理由は何なのか。
アンナに近付くと、彼女はすかさず砂地へ文字を書き記した。
床のタイルに色の違う所がある。うっかり踏むと罠があるかもしれないから、残っている足跡と同じ場所を踏むようにして。
全員にそれを読ませ、アンナの動きを真似て次の扉まで進んだ。
そうして、ノッカーに手を掛けた時だ。奥から男の怒鳴り声が聞こえてきた。金属同士がぶつかる甲高い音までもが洩れてくる。
迷っている時間はない。ノッカーを掴み、わずかに空けた隙間から閃光玉を投げ入れた。光が弾けると扉を開け放ち、身を低くして中へ駆け込んだ。
「これはなんだ……」
不意に足が止まった。
天井に等間隔で埋め込まれた魔力灯が淡い光を放ち、室内を照らしている。先程よりも一層広い空間が細長く延びていた。
これだけ広い上に光がある。閃光玉は投げ込むだけ無駄だったということだ。
室内には、見上げるほど巨大な筒が左右に一本ずつ建っていた。通路に沿って奥まで何本も続いている。ほとんどが割れてしまっているが、何かを収めていたのかもしれない。
それらの容器へ挟まれるように、通路の奥にふたつの人影が見えた。ひとりは倒れ伏せ、手にしていたであろう戦斧が側に転がっている。剣を手にしたもうひとりが、倒れた相手を無言で見下ろしていた。
剣士がこちらを向いた。俺の存在に驚いた様子を見せたが、それも一瞬のこと。
見せつけられた醜悪な笑みは、この展開を心待ちにしていたとでも言いたげだ。
「なるほど。こいつが何か仕掛けたか」
剣士は、倒れた人物の背を踏みつけた。
踏んでいる相手は、鍛え上げられた肉体を持つ筋骨隆々の大男だ。細身の剣士がそんな相手を踏みつけている絵面は奇妙だが、力の差を如実に物語っている。踏まれている男は、アントワンで間違いないだろう。
アントワンの言伝はユリスが解読してくれたわけだが、各文の頭文字を抜き出すという、種がわかれば単純な仕掛けだった。
※ ※ ※
げんきにしているか
つきひを経ても心は癒えず
がまんの日々に別れを告げる
はるか遠くの獣を睨み
てにした斧を振り上げる
きばを折り、復讐を果たすのだ
くにくの策はある
れっかの如く燃える心で
ありったけの一撃を叩き込む
もんだいはない
とめどない怒りに身を任せるだけだ
※ ※ ※
げつがはてき、くれあもと。
これが解読された文字だが、ユリスや仲間たちにもわかるよう整理してみた。
月牙は敵。クレアモント。
月牙と聞いて、思い浮かんだのはひとりの男だった。そいつがなぜか、クレアモントと関わりがあるかのように伝えてきたのだ。
「どういうつもりだ。冒険者同士で殺し合うなんて正気とは思えねぇな。返答次第じゃ見過ごせなくなるぞ」
「殺し合いとは随分な言い草だな。こいつはフェリクスとヴァレリーを襲った殺人鬼だ。衛兵に捕らえさせるだけで満足か? 正義の名の下に裁いてやっただけなんだがな」
悪びれた様子もなく、そいつは微笑んだ。
漆黒の月牙、ラファエル・マグナが。





