15 クレアモントの廃墟
翌朝早くにオルノーブルを経った俺たちは、適当な場所まで離れて飛竜を呼び寄せた。
風の結界に守られながら軽快な速度を保ち、飛竜はクレアモントの街へ向けて進んでいる。
「馬車を使えば二日はかかる道のりだけど、この調子なら数時間で着きそうだな」
シルヴィさん、アンナ、レオン、マリー、そしてユリス。誰に言うでもなくつぶやき、急速に流れてゆく景色に目をこらした。
クレアモントの街とはいっても、アンナの話では一部が廃墟として残っているだけだ。その光景はジュネイソンの街を思い起こさせるかもしれない。マリーをいたわり、心情を思いやることも必要だろう。
しかし、アントワンの言伝と俺たちの目的地が重なったのは偶然だろうか。『奴ら』に誘われているのかもしれないが、ブリュス・キュリテールの研究が行われていた場所だ。対策の手掛かりがあればという期待はある。
明日を見ている眼差しの奥で、昨晩の記憶が沸々と蘇ってくるのを感じていた。
昨晩、合流した仲間たちとサミュエルさんを加え、賑やかな食事会を催した。
約束していた二十点の結界革帯を譲り受け、その場で仲間たちへ配った。兄と親衛隊、そしてデリアにも渡したが、まだ十点ほど残っている。セリーヌは確定として、誰に渡すべきか迷ってしまう。
『リュシアンさん、勝負は預けますよ。僕はまだまだ諦めませんからね。必ず、シルヴィさんを振り向かせて見せます』
別れ際、サミュエルさんからギラギラとした目を向けられた。正直、シルヴィさんを巡って争うつもりは毛頭ない。
『ねぇ。サミュエルと何かあったと思う? 気になる? リュシーも可愛いわね』
後は、シルヴィさん自身が道筋を決めるだけだ。俺はどうこう言える立場じゃない。
『リュシアン。僕も島へ連れて行って欲しい』
兄からは必死の形相でせがまれた。食事会の席でシルヴィさんとアンナが、竜に絡むいくつかのことを話してしまったらしい。だが、ユリスの許可がなければ連れて行けない。
兄が再び旅に出る気だと聞きつけ、猛反対したのは親衛隊の三人だ。
『もう二度と、サンドラおばさんを悲しませるようなことはしないって約束でしょ』
『ジェラルドさんがいなくなったら、私なんて寂しくて倒れちゃうんだから』
『冒険より楽しくて素敵なこと、たくさんありますよ〜。私が何でも教えてあげちゃいますから、どこに行かないでくださいよ〜』
彼女たちと一緒にどうにか説得したものの、完全には諦めていないだろう。
『それならせめて、リュシアンの戦いぶりをもうしばらく近くで見させてくれないかな』
俺たちに付いてくる様子まで見せていたが、これもまた親衛隊に阻まれた。彼女たちがこの街にいてくれてよかったと初めて感謝した。
それよりも気になるのは、マリーだ。
『少しだけ、お時間よろしいですか』
宿に戻るなり、部屋に彼女が訪ねてきた。さすがにふたりきりはまずいだろうと思い、宿の食堂へ移動して話を聞いた。
『島へ戻るまでに考えさせてくれ』
彼女の意見は尊重するべきだし、それが最良の選択ではないかとも思えた。今日中にクレアモントの様子を探り、明日にはマルティサン島へ戻ることになるだろう。それまでに答えを出せばいいと考えている。
※ ※ ※
ユリスは飛竜の背にあぐらをかき、リュシアンの背を睨んでいた。長老の側近、アダン。彼との昨夜のやり取りが頭を掠めて過ぎる。
「アダン。こんな報告に意味があるとは思えないんですが……」
『おまえはまだ、事の重大さを理解できていないようだな。あの男は危険だと、昨日も言ったはずだ。長老が受け入れることはない』
宿の個室でベッドに腰掛けるユリスは、握りしめた魔導通話石から聞こえてくる側近の声に顔をしかめた。
「何をそんなに警戒されているんですか。あの男の影響力は確かに看過できません。ですが、災厄の魔獣を仕留めるためには彼の力が必要不可欠だとも思い始めています」
『ふむ。ディカ様が仰る通り、災厄の魔獣が外の世界にいるうちは放っておけばいいというのは俺も賛成なのだがな……万が一、再びこの島が襲われないとも限らん。願わくば、あの男と災厄が相打ちになればいいのだが』
「相打ちとはまた、勝ち目の薄い賭けですね」
運任せのような考えに、ユリスは呆れ顔で口元を緩めた。
こんな思考の男が側近を務めているようでは、島の未来は知れている。
腹の中に黒いものを抱えていると、アダンからも意外そうな声が返ってきた。
『ほう……おまえはあの男が、災厄に打ち勝つと考えているのか。外の者の肩を持つとは意外だな……ついに手懐けられたか』
アダンの失笑が漏れ聞こえ、ユリスはたまらず顔をしかめた。
「冗談じゃない。あいつを認めたわけじゃなく、実力は本物だと言っているだけです。俺だって、他人を分け隔てなく受け入れるだけの寛容さは持ち合わせているつもりです」
『殊勝な心掛けだな。そんなユリスに新たな命令が届いている。その時に備え、入念に準備しておくことだな……』
アダンの口から告げられた言葉は、にわかには受け入れがたいものだった。目を見開いたユリスは信じられないものを見るように、手の中に収まる通話石を見ていた。
「長老が本当にそんなことを? それを、俺にやれと言うんですか?」
『おまえもそれを望んでいるのだろう? 恐れるな。おまえならやれる。しかる後には相応の地位と待遇を用意するというお話だ。セリーヌ様のことを思えばやれるはずだ。それがおまえたち姉弟の未来にも繋がる』
「俺が望むのは、姉の幸せだけです」
『前向きな返事だと捉えておこう』
当たり障りない会話で報告を終えたユリスだが、胸に燻る不快感は拭えなかった。
マルティサン島には新しい風が必要だという考えは変わっていない。自分がそれを成すには、まだ力不足だともわかっている。
「次の継承戦で、なんとしても神官に……」
姉さんが不在の間の代理では終われない。正式に光の神官と認められ、確固とした立場と力を手にしたい。
リュシアンの背を眺め、これからの自分が進むべき道筋に考えを巡らせていた。
※ ※ ※
飛竜の背で軽食を済ませ、昼過ぎには、崩れた街並みを見渡せる位置まで辿り着いた。
「土地の形はデコボコだし、草木もない荒野じゃねぇか……どうしてこんな所に街が?」
「リュー兄、違うよ。これも全部、ブリュス・キュリテールが暴れた跡なんだって。草木も生えてこなくなっちゃったみたい……建物の形跡が残っているだけでも凄いのかも」
街の手前で着陸し、念のために飛竜を退避させた。ドミニクから事前に連絡を受けていた通り、崩れた建物の陰に隠れるように、馬車と三頭の馬が確認できた。
仲間たちを見渡しながら、後方に控えるマリーの顔色を伺った。
「マリー、大丈夫か? 街に近付きたくなければ、ここで待っていてもいいんだぞ」
「大丈夫。私もいくわ」
恐れと心の傷を振り切った毅然とした顔で、こちらを真っ直ぐ見つめてくる。そんな顔を見せられては断る理由もない。
「わかった。進むぞ」
歩き出してすぐ、隣に並んできたシルヴィさんから脇へ肘打ちをされた。
「リュシーも気が利かないんだから……マリーに気を遣うなら、ここへ来る前に聞かなきゃだめじゃない。土壇場で確認されたって、本人も引っ込みがつかないわよ」
「すみません……気をつけます」
「あたしならどこまでも付いていってあげるけど、他の子にそこまでの覚悟はないわよ」
「そうですね。自分と同じに考えてました」
たじたじになりながら、アンナの先導で廃墟へ踏み込んだ。百年以上も放置されてきた残骸を眺めていると、歴史の重みを嫌でも思い知らされてしまう。
クレアモントで暮らしていた人々の無念も背負い、数ヶ月後にはブリュス・キュリテールと対峙することになるだろう。
「ここだよ。新しい足跡が増えてる……」
しゃがんで地面を確認するアンナ。その前方には地下へ続く階段が口を開け、俺たちを飲み込もうと待ち構えていた。