12 大事なものが変わった
気まずさが勝り、午後からはデリアの目を避けて過ごした。
存在するはずのない魔獣を睨み、森へ目を凝らす。警護という立場でよかったと、内心は胸を撫で下ろしていた。
デリアへ告げた言葉がすべてだ。俺の初恋は間違いなく彼女だと断言できる。だが、それも昔の出来事になってしまった。
自分の中で大事なものが変わった。
フォールの街を出た時に、過去だと割り切ってしまったのだろう。いや、セリーヌと出会った瞬間に、すべてが塗り替えられたのだ。
今の俺に、彼女より大切な存在はない。
決意も新たに午後の作業を終え、農園からの撤収作業が始まった。
外壁の修復は順調な滑り出しだが、魔獣に荒らされた園内の整地が厄介に思えた。農業に詳しい人物の協力が必要かとも思えたが、ここにはプロム・スクレイルがある。下手に知られるわけにもいかないだろう。
『外壁さえ修復して頂ければ、園内は私たちで時間をかけて整えられますから』
エルザ司祭は笑っていたが、それでも相当な時間が必要なのは間違いない。
孤児や職人を傭兵たちが囲み、大きな塊となって移動を開始した。孤児たちも匂い袋を携帯している。魔獣が嫌がる匂いを纏っているため、襲われる確率は低いはずだ。
兄はといえば、セシルさん、クリスタさん、ソーニヤの親衛隊に捕まっている。
「ジェラルドさん、今夜は何を食べたいですか? 言ってもらえれば何でも作りますよ」
クリスタさんが兄の右腕にしがみつくと、左腕にはソーニャが張り付いた。
「だったら私は、体の隅々までほぐしますからね〜。重労働、本当にお疲れさまです〜」
「ちょっとふたりとも。ジェラルドだって疲れてるんだから。少しは遠慮して、そっとしておいてあげるのも優しさよ」
「セシルさん。そんなこと言ってるけど、理解力のある大人の女を演じてるだけでしょ」
「クリスタ。なにか言った?」
「なにも言ってませ〜ん」
腕を組まれる、体を触られる、質問攻めにされるなど、兄は今日も平常運転だ。ユリスは孤児たちに囲まれているし、デリアは俺の後方を歩いている。
「ちょうどいい頃合いだな……」
極力さりげない動きを装い、孤児の後ろを歩くエルザ司祭へ接触した。
「司祭様、ひとつ御相談があります」
「どうかされましたか」
エルザ司祭は急な出来事に目を丸くした。
「プロム・スクレイルのことです」
その名を出すと、警戒する気配を見せた。
「どこでそのことを……まさか、ジェラルドさんですか」
「いえ。私も冒険者の端くれですから。映写で見たり、話に聞いたことはありました。現物は、あの農園で初めて見ましたけどね」
「で、それがどうしたというのですか」
「秘薬の原料にも使われる奇跡の花だ。高値で売買されていると聞きます。孤児院も拝見させて頂きましたが、広いし立派な設備もある。農園で栽培されている量だけでは、そこまで稼げないだろうと思いましてね」
「ですから、何が仰りたいんですか。報酬の上乗せというのなら私も検討していたところです。これだけ大掛かりな作業になってしまいましたし、甘えてばかりもいられません」
努めて落ち着いた口調で対応してくれる。司祭という立場を意識しているのか、むやみに声を荒げるようなことはない。
「すみません。回りくどかったですね。単刀直入に言います。プロム・スクレイルは、他の場所でも栽培されているんじゃないですか? 例えば、第二農園のようなものが近くにあるとか……可能であれば、それを定期的にでも買い取らせて頂きたいんです」
「買取を希望、なんですか?」
「ええ。そうです」
「申し訳ありませんが、そのご提案は受け入れかねます。これまで懇意にさせて頂いている取引先がありますので、先方をないがしろにするわけにはまいりません」
「では、その取引先の三割増しで買い取らせて頂きます。それならどうですか?」
右手で三本指を示すと、エルザ司祭は口元を隠して小さく笑った。
「リュシアンさん、お金の問題ではないんです。信用と信頼で成り立っている関係ですから、おいそれと覆すわけにはまいりません」
「どうしても無理ですか? 私がその気になれば、プロム・スクレイルがここにあることを口外したって構わないんですよ。そうなれば、困るのはあなたの方だ」
「脅しですか。随分と強引な方ですね」
静かな怒りを秘めた目で睨まれた。しかし、これまで相手にしてきた奴らと比べれば、どうということもない敵意だ。
「あなたが素直に従ってくれないからですよ。もしくは栽培方法を伝授してくれるだけでも構いません。後はどうにかしますから」
「それを簡単に教えると思いますか」
「引き出す方法はいくらでもありますよ」
前を歩く孤児たちへ視線を向けると、エルザ司祭は一層顔を歪めて奥歯を噛んだ。
「どうやら私は、とんでもない悪魔と依頼契約を交わしてしまったようですね」
「酷い言い草ですね。精一杯の誠意を見せて、お話をさせて頂いているんですけどね」
もう一押しで攻め落とせる。
そう考えていると、冒険服の裾をぐいと引っ張られる感触があった。
振り向くと、デリアの姿があった。怒ったような泣いているような、複雑な表情だ。昼間の出来事も相まって、対応に困る。
「司祭様が困ってるみたいだけど……リューちゃん、変なこと言ったんじゃない?」
「いや、何でもないよ。ちょっと商談をな」
「商談? リューちゃんが?」
「俺が商談をしたら変か?」
デリアは無言のまま、大きく頷いた。
「商売なんて退屈だって、昔から言ってたよね。柄じゃないだの、なんだのって」
「それは子どもの頃の話だろ」
「とにかく、司祭様が困るようなことはやめよう? みんなで仲良くしないとダメだよ」
「それはそうなんだけどな、これは司祭様にしか頼めないことなんだ」
「だからって、そんな怖い顔でお願いしたらダメだよ。司祭様だって怖がるでしょ」
「わかったから。司祭様との話が終わるまで、頼むからそっとしておいてくれ」
デリアとやり取りをしている間に、エルザ司祭を見失った。そそくさと離れた彼女は、孤児たちの輪に混ざってしまった。
あそこにはユリスがいる。事を知られたら厄介になる。これ以上の追撃は不可能だ。
「くそっ……もう少しだったのに」
「リューちゃん、なんだか怖いよ……」
「デリアは俺に関わらない方がいい。冒険者なんてやってるとさ、綺麗事だけじゃ生きていけない世界なんだって思い知らされる。いつまでもあの頃のままじゃいられないんだ」
「なんでそんなこと言うの? リューちゃんはリューちゃんだよ。王都を救ったって聞いた時は本当に凄いと思ったし、自分のことみたいに嬉しかったんだから」
「名誉と引き換えに、色々なものを失ったんだよ……それが全部戻ってくるなら、王都の救世主なんて称号はいらねぇよ」
フェリクスさんとヴァレリーさんの顔が浮かぶ。そして、映写でしか見たことのなかった賢聖のエクトルさん。あの人とも親交を交わしてみたかったと残念に思う。
三人を思い浮かべながら歩いていると、デリアが手を握ってきた。彼女の思いがけない行動に、心の中がざわついている。
「それでも前に進み続けるリューちゃんは、やっぱり凄いよ。だけど、いっぱい傷付いてきたんだね……私にできることがあれば、遠慮なくなんでも言って。力になりたいの」
「ありがとう。その言葉は心強いよ」
なんでもなどと言われると、汚れた思考しか浮かばないのは相変わらずだ。
親衛隊とデリアを連れて家に戻ると、母は得意の鍋料理を用意してくれていた。父がこの街に来てから好んでいるという葡萄酒も振る舞われ、豪勢な食事が始まった。
セシルさんは相変わらず気配り上手で、食事の取り分けやお酌に余念がない。ほろ酔いのクリスタさんとソーニャが歌を口ずさみ、食卓に華を添える。デリアは俺の隣で大人しく食事を楽しんでいたが、その場にいるだけで家の中の華やかさがまるで違った。
そうして平穏な一日が過ぎ、二日目の作業を迎えた。だが農園に、紅の嵐が迫っていた。





