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11 私を食べて


「この度はご無理を聞いて頂きありがとうございます。私は孤児院の運営管理を担っております、エルザ・ユベルドーと申します」


 農園の入口で出迎えてくれたのは、紺色の法衣に身を包んだ年配の女性だった。


 六十歳前後といったところだろうか。背筋をぴんと伸ばし、凜とした佇まいを見せている。白髪混じりで肩までの短髪と、痩せぎすで化粧っ気も飾り気もない身なりだ。それが逆に、清潔感と控えめな印象を生んでいる。


 彼女の後ろには、孤児と思われる男女が七名ほど付き従っていた。全員がユリスと同程度の年齢に見えるが、修復作業の手伝いとして同行させると事前に聞いていた通りだ。


 こちらは兄とユリスが警護要員だ。セシルさん、クリスタさん、ソーニヤも警護に加わってくれるそうだが、大きな籠を背負ったデリアまで付いてきている。


 外壁修復に五名ほどの職人を雇った。更にはドミニクにも声を掛け、傭兵団から十名ほどの警護人員を集めて貰っている。その中には、娼館の見張りから配置換えさせた例の男も混ざっていた。


『彼女はまさに品行方正。悪い噂は聞かないねぇ。穏やかで明るい性格。孤児たちからも絶大な信頼を得ているし、街の人との衝突もない。慎ましい暮らしぶりって話だよ』


エルザという人物のことも、ドミニクに調べてもらった。大司教との一件もある。支援するに足る人物か、その見極めは重要だ。


 職人たちによる外壁の修復作業が始まっていた。エルザさんと孤児たちは、荒らされた農地の片付けと整地を進めると聞いている。すべてを終えるには数日を要するだろう。


 警護といっても、昨日の熊型魔獣は稀だ。森が近いこともあり、蜘蛛型や鳥型、鹿型やスライム種といった魔獣が現れることはある。いずれも、こちらから手を出さない限りは危険度の少ない魔獣だ。傭兵団には引き続き、作業終了まで警護を務めるよう伝えてある。


「デリアはここにいて」


 セシルさんは簡易式の小型テントを組み立て、屋内に折りたたみ式の椅子を広げた。


「お姉ちゃん、恥ずかしいから嫌だって言ったのに……本当に強引なんだから」


「日射病にでもなったら大変でしょ。デリアはここに座って、笑っていてくれればいいの。お姉ちゃん、それだけで頑張れるんだから」


 恥ずかしそうに両手で顔を覆うデリアから目を逸らし、側に立つユリスを伺った。


「セリーヌにもあれくらいしたらどうだ」


「俺はあそこまで過干渉じゃありません。姉さんの自主性を尊重していますから」


「それはよかった。セリーヌと話しているだけで害獣扱いされたら、たまらねぇからな」


「あなたの場合は、存在しているだけで害獣ですね。いや、失礼。害虫の間違いです」


「虫ケラかよ!?」


 にやりと口元を歪めるユリスが憎い。


「俺の尊厳を踏みにじった罪で、熊型魔獣の討伐報酬を没収するぞ」


 するとユリスは、意味深な目を向けてきた。


「本心じゃないくせに。そうやって自分を落として、笑いを引き出そうとしますよね」


 熊型魔獣四頭の討伐報酬は三十万ブランにもなった。兄、ユリス、親衛隊の面々と等分したのだが、ユリスは受け取りを拒んだ。


『俺は冒険者ではありませんから』


 とは言われても、共に戦った仲間だ。無下に扱うことはできない。


『セリーヌに土産のひとつでも買ってやれよ。おまえが魔獣を討伐して得た金で買ったと知れば、きっと喜んでくれるよ』


 そう伝えると、ユリスは無邪気な笑みで分け前を手にした。あの時と同じ顔をしている。


「あなたのことが少しわかってきましたよ」


「それはありがたい話だな」


 そうして大きな問題もなく作業は進み、昼時を迎えた。セシルさん、クリスタさん、ソーニヤの三人は小型テントを覗く。そうして、折りたたみ式のテーブルと、彼女たちが背負ってきた三つの籠を持ち出してきた。


 テーブルが広げられ、籠に入っていた昼食が並べられてゆく。


「全員分ありますから、取りに来てください」


「焦らずゆっくりね〜。順番に並んで〜」


 クリスタさんとソーニャの呼びかけで、孤児、職人、傭兵たちが列を作った。それぞれに弁当箱と水袋が手渡されてゆく。


『初日限りの景気付けだけどね』


 セシルさんは笑っていたが、これだけの数を用意するのは重労働だ。食材費も考えると、謝礼でも渡さなければ申し訳ない。


 弁当を受け取ったユリスは孤児たちに囲まれ、農園の一角に連れて行かれてしまった。いつの間に仲良くなったのだろう。


「リュシアンはこっち」


 最後尾に並んでいた俺は、セシルさんに腕を取られ、テントの中へ引きずり込まれた。


「ちょ……俺、用事が」


「昼食を食べる以上に大事な用ってなに?」


「嘘です。すみません」


 セシルさんの睨みを受け、体が固まったように動けなかった。昔からの条件反射だろう。彼女に叱られる時はいつも、目の前で直立不動を保っていたものだ。


「よろしい。ゆっくり食事を楽しみなさい」


 満足げな笑みを見せた彼女は入口を閉め、さっさと出て行ってしまった。


「ちょっと。クリスタ、ソーニャ! ジェラルドとお昼を食べるのは私なんだからね!」


 今にも戦いが巻き起こりそうな怒声だ。


「ったく……相変わらず強引だな」


「お姉ちゃんがごめんね」


 テントの奥から、申し訳なさそうな声が聞こえた。まさかデリアがいるとは思わず、なんだか気まずくなってしまった。


「用事があるなら行ってきて。お姉ちゃんには適当に言っておくから平気だよ」


「いや、大丈夫だ。それは後でもいいんだ」


「本当?」


 上目遣いの潤んだ瞳を向けられただけで、今にも卒倒してしまいそうだ。逃げ出そうにも、この場を離れられる自信がない。


「リューちゃんのお昼は、これ」


 みんなに配っていたのとは違う弁当箱だ。


「他のお弁当は四人で手分けして作ったんだけど、これだけは私がひとりで作ったの」


「ありがたく頂くよ」


 ご丁寧に二脚目の椅子が用意されていた。恥ずかしそうにしているデリアと向かい合って座り、弁当の蓋を開けた。

 厚切りの肉が挟まれた、ずっしりとしたクローズド・サンドが三つ。脇には、卵焼きとサラダが添えられている。


「これは旨そうだ」


「リューちゃん、お肉が好きだったから。それから、甘い卵焼きもね」


「そうだな。今も変わってねぇわ」


 笑いながら、クローズド・サンドのひとつにかぶり付いた。焦げ目の付いたパンから、サクッという軽快な音が漏れる。炙られた肉の香ばしさと甘み。溢れだした肉汁の旨味が口の中へ一気に広がってゆく。


「うん、これ旨いよ。絶品だな。魔法だけじゃなくて、料理の腕も上達したんだな」


「良かった。喜んでくれて」


 はにかんだデリアは、タマゴサラダを挟んだクローズド・サンドを口へ運ぶ。まるで、小鳥が餌をついばむようにお上品な食べ方だ。


 久々に会うと何を話していいのかわからない。当たり障りない話をしながら食事を続けていると、デリアはおずおずと口を開いた。


「リューちゃん、怒らないでね……その……お姉ちゃんが言ってたんだけどね……」


「うん? どうした?」


 口ごもるデリアを見て、何事かと不安になってしまった。今にも消えてしまいそうな雰囲気を醸し出している。


「お弁当じゃなくて、私を食べて。そのくらい強く言わないと、リューちゃんは私の気持ちに気付いてくれないと思うよ、って」


 口にしていた水袋の中身を吹いてしまった。


「リューちゃん、大丈夫!?」


「悪い。驚いただけだ」


 咳が治まるのを待ち、背中をさすってくれているデリアに右手を挙げて答えた。


「いくら俺でも、そこまで鈍くねぇよ。デリアの気持ちは嬉しい。フォールの街を出る前の俺なら、間違いなく受け入れていたよ」


「それって……」


 隣に立つデリアの顔を見上げ、黙ってひとつ頷いた。今の俺にできる精一杯の返答だ。


「命を賭けてでも守りたい人ができたんだ。その人が心の底から笑える日を取り戻すために、俺は戦い続けてる。本当にごめん」


「謝らなくていいよ。リューちゃんは昔から、誰かのために一生懸命になれる人だもんね」


 気丈に振る舞うデリアに申し訳なく、彼女を直視することができずにいた。

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