08 なるようになる
母熊が全力の突進を仕掛けてきた。リュシアンに対しての怒りと、小熊を守ろうという母性を身に宿した攻撃だ。
「悪いが手加減できねぇぞ」
リュシアンは、向かい来る母熊を睨んだ。
相手は魔獣だ。親子が相手でも、余計な情は捨てるしかない。どのみち、やるかやられるかの関係だ。わかり合うことはない。
突進を横移動で避けたリュシアンは、すれ違いざまに魔獣の左肩を斬り裂いた。
後ろ足で立ち上がった母熊が右腕を勢いよく振るうと、リュシアンはすかさず後方へ飛び退いた。眼前を丸太のような腕が過ぎる。
隙だらけの魔獣へ、一撃を入れようと身構えた。剣を構えて腰を落としたリュシアンは、横手から迫る二頭の子熊を捉えていた。
「炎纏・竜翻衝!」
頭上へ掲げた剣を足下へ振るう。リュシアンの体を中心に、炎の衝撃波が拡散した。
竜の咆哮を思わせる荒ぶる一撃。それが、三頭をまとめて弾き飛ばしていた。
しかし相手は熊型魔獣のベアル。最強に名を連ねるほどの相手だ。母熊は四肢を踏ん張り、倒れることなく体勢を保った。
「思った以上に頑丈だな……」
リュシアンは苦笑を漏らしながらも、母熊の死角から迫る兄の姿に気付いていた。
機敏な動きで突進したジェラルドは、体当たりするように母熊の腰へ剣を突き立てた。
藁で作られた小山へ体当たりしているような光景だった。傷付けられた母熊だが、致命傷と呼ぶにはほど遠い。怒りに吠え、うるさい小蠅を払うように両手を振り上げた。
剣を引き抜いたジェラルドは敵の動きを見切るべく、動きをつぶさに追っていた。
振り下ろされる母熊の両腕を見据え、すかさず右方へ移動し攻撃を避けた。そうして、ここぞとばかりに反撃の一閃を見舞う。
「勢削逆襲!」
体勢を崩した母熊の左脇腹へ、渾身の突きが深く食い込んだ。
「ここが好機だ」
ジェラルドの呼びかけに、リュシアンが動いた。すかさず、ユリスも星球武器を構える。
「炎纏・竜牙撃」
炎竜の力を収束させたリュシアンの拳が、敵の腹部を直撃した。胃液を吐いた母熊の姿を窺いながら、ユリスの詠唱が完成した。
「風竜斬駆!」
風の渦が発生し、リュシアンに迫っていた二頭の子熊を弾き飛ばしていた。
母熊はリュシアンたちを警戒し、慌てて子熊の元へ駆け戻る。リュシアンも深追いするようなことはしない。兄とユリスが側にいることを確認し、敵の反撃に備えて身構えた。
すると母熊を観察していたリュシアンは、魔獣の身に起きた変化に気づいた。
「どうなってんだよ。傷が……」
初手で斬り裂いた母熊の左肩から、湯気のようなものが立ち上っているのが見えた。
「傷口が塞がったのか? それに、よく見たら体毛も赤い。ベアルっていえば黒いよな」
誰に言うでもなくつぶやくと、荒らされた花壇が目に付いた。そこに群生していたものを思い出し、ひとつの可能性に行き着いた。
「もしかして、プロム・スクレイルが……」
「プロムナの原料になるくらいだ。それを食べたベアルたちは、驚異的な回復効果を身に付けたのかもしれないね」
ジェラルドが苦々しく言った時だ。彼らの中に湧き上がる不安を形にしたように、落とし穴から熊の右手が覗いた。
「嘘だろ?」
驚きに目を見開くリュシアンは、それが現実であることを思い知らされた。
続いて左手。そして頭が現れた。怒りに燃えた目が、月光を受けて鈍い輝きを放つ。
地獄の底から這い上がるように、父熊がゆっくりと姿を現した。驚くべきことに、その体には一切の傷も残っていない。
設置したはずの竜の顎も蹴散らされた。熊型魔獣には石ころ同然の扱いだ。
「不死身か? 罠も効果なしかよ……」
リュシアンが焦りと恐怖を押し隠してつぶやくと、その腕をユリスが叩いた。
「一撃で首を刎ねるくらいの強力な攻撃を叩き込むしかありません。竜臨活性は?」
「へっ。そんなもん、封じられたままだ」
リュシアンは乾いた笑いを浮かべた。
「グズグズしているからですよ。さっさと訓練を終えて、力を示せばよかったのに」
「簡単に言ってくれるなよ。三ヶ月、こっちだって必死だったんだぜ。セルジオンの力を七割程度まで引きずり出すのが精一杯だ」
「まだまだですね」
「おい。後でお仕置きだからな」
「後があれば、の話ですけどね」
ふてくされたように言い放つユリス。リュシアンはその腕を肘で小突いた。
「諦めたのか? つまらねぇ奴だな。ここから大逆転、ってのが戦いの醍醐味だ」
「勝算は?」
「なるようになる」
リュシアンは剣を構えて突進した。
熊型魔獣たちも父熊が戻ったことで気が大きくなっているのだろう。逃げる素振りはなく、徹底的に戦う様相を見せている。
のしかかろうと伸び上がる父熊。リュシアンはその巨体を横に避け、母熊と子熊へ狙いを定めた。一撃必殺を狙って身構える。
「いくぞ、セルジオン」
地面を蹴りつけ、超人的な脚力で跳び上がった。リュシアンを見失い、焦る母熊。その頭頂部を見据えて剣を構えた。
「炎纏・竜爪閃!」
振るった刃から三本の斬撃が飛んだ。竜の爪を思わせる荒々しい攻撃が、母熊の脳天と左右の肩を地面もろとも斬り裂いた。
どれだけの回復能力を誇ろうと、斬り落としてしまえば無意味という力任せの一撃だ。
母熊を仕留めたことで、リュシアンにわずかな気の緩みが生まれた。着地の時を狙って子熊の一頭が体当たりを仕掛け、リュシアンは地面を転がっていた。
「くそっ」
頭を上げたリュシアンは舌打ちした。弾かれた衝撃で、左手に隠し持っていた雷の魔法石をなくしていた。完全な誤算だ。
「リュシアン、危ない!」
ジェラルドの警告が飛ぶ。起き上がろうと両手を突くリュシアンへ、父熊の腕が迫った。
胸を抉られるような強烈な一撃。リュシアンの体は大きく弾かれ、背中から地面へ叩き付けられた。加護の腕輪から硝子の割れたような音が漏れ、たった一撃で魔力障壁を破壊する恐ろしい腕力を思い知らされた。
顔に土が降りかかり、苦々しい味が口の中に広がった。これが敗戦の味などと思いたくもないと、慌てて首を振る。
どうにか体を起こしたリュシアンは、にじり寄ってくる二頭の子熊を捉えた。父熊は、ジェラルドとユリスへ狙いを変えている。
「俺が……なんとかしないと……」
子熊だけなら兄とユリスで対処できると考えていた。セルジオンの力を使える間に、自分が父熊を倒さなければという焦りがあった。
子熊を睨んで剣を構えた時だ。横手の林から、まとまった数の小石が投げ込まれた。
リュシアンが小石だと思っていたものが敵の頭上で弾け、魔法が顕現した。投げ込まれたのは魔法石だ。しかも氷属性を秘めている。
父熊と子熊二頭は、頭部から肩までを凍らされていた。その効果は劇的で、見るからに魔獣の動きが鈍ったのがわかった。
「熊型魔獣は寒さに弱い」
女性の声がして、ふたつの影が林から躍り出た。ひとりの手には剣。もうひとりは槍だ。
子熊たちの頭部をそれぞれの武器が砕く。
「親熊は私たちの力じゃ無理。リュシアンがとどめを刺して」
懐かしい声に促されたリュシアンは、訳がわからぬまま父熊を狙って駆け出した。