06 エルザの農園
二十三時を過ぎ、俺たちは農園へ出発した。場所を確認したところ、街から徒歩で十五分ほどの距離だった。馬車を使うまでもない。
「それで、剣と宝玉はどうなったんだい」
「あ、それ聞いちゃうの?」
砦のように街を堅牢に囲う石壁。その南門を出てすぐに、兄が話を振ってきた。
「無事に島へ戻されたのか気になるじゃないか。父さんと母さんは興味がないのか、まるで気にした風でもなかったけれどね」
「それなんだけどさ……」
後ろを付いてくるユリスを伺ったが、別段気にしている様子はない。話してしまっても問題ないと解釈することにした。
「宝玉は、俺が手にした瞬間に消えたんだ。まぁ、正確に言えば、体内に取り込んだって言った方が正しいのかな」
「宝玉を取り込んだ!?」
声が裏返るほどの反応だが、それも当然だろう。理解しがたい現象だ。
「そのお陰で、竜撃が使えるようになったんだ。ほんの少しだけどさ」
「竜撃!? ここで見せてくれないかな」
「いや、無理だって」
食いつき方が尋常じゃない。
やはり、竜がらみの話となると我を失ってしまう所は相変わらずだ。
「どうして僕には反応しなかったんだろう」
寂しさと悔しさの滲んだ顔が、痛々しくて見ていられない。
「兄貴にも適性はあるらしいよ。より適合率が高かったのが俺だったっていうだけだよ」
そう考えると、神竜ガルディアも吞気なものだ。切羽詰まった状況だっただろうに、多少なりとも適性を持つ兄を置き去りにして、俺が現れるのを待っていたわけだ。
裏を返せば慎重というわけだが、俺の手に渡るまでに意識が飛んでしまっていたら、どうするつもりだったのだろう。
「一定の適合率を持つ相手にしか反応しないような仕掛けがあったというわけだね。宝玉の見た目をした、高度な性能を持つ魔法具のひとつだったのか……なるほどね」
兄は腕組みをしながら顎に手を当てて歩き、ひとりで何事かをつぶやき始めた。
こうなると、ただの残念な人でしかない。端正な顔と、聖人という呼称も台無しだ。
「兄貴、考察は後にしよう。今は依頼をこなすことに集中してくれよ」
「そうだね。となると、剣は?」
これも聞かれたくない話だが、答えないわけにもいかない。
「そっちは……行方不明なんだ」
「え!?」
驚く兄の声に続き、俺の背中を狙い撃つように、ユリスの溜め息まで聞こえてきた。
「大型魔獣に剣を飲み込まれたんだ。相手の死骸は地底湖に沈没。後日、相手の死骸を確認したんだけど、出てこなかったんだ」
「その地底湖に残されている可能性は?」
「それは俺も考えた。でも、あの剣は特殊な魔力を帯びていてさ。それを捉えられなかったってことは、あの付近にはないって考えるべきだと思うんだ」
「何者かに持ち去られた?」
「それもわからない」
たまらず頭を振る兄の姿に、申し訳ない気持ちで一杯になってきた。
兄からの信頼と期待。それらに応えられなかったという悔しさと気まずさが、胸の中で激しく渦を巻いている。
「ごめん。だけどあの剣は、俺にとっても大事なものになったんだ。どれだけ時間がかかろうと、絶対に取り戻すから」
「リュシアンの気概に期待することにするよ。いずれにせよ既に僕の手を離れたんだ。それについて意見をするべきではないね」
気を取り直したように微笑んだ兄は、後ろを付いてくるユリスを振り返った。
「ユリス君がリュシアンと一緒にいるのも、その辺りの込み入った事情があるんでしょうね。それを尋ねるつもりはありませんが」
「お気遣いありがとうございます」
澄ました顔で、ユリスは軽く頭を下げた。
彼も彼で、必要以上のことを口にするつもりはないだろう。
「その時が来たら、ゆっくり話すから」
「うん。気長に待たせてもらうとするよ」
そうして当たり障りない話をしているうちに、目指す農園が見えてきた。
煉瓦を積んだ壁で四方を囲まれた立派な農園だ。入口となる鉄扉の前には、エルザの庭と書かれた木製の札が掛かっている。札には花の模様まで彫り込まれ、制作者の強いこだわりが感じられた。
「農園っていうから簡素なものを想像してたけど、広いし立派だな……」
「そうだね。この石壁を組むだけでも、かなりの労力がかかっているよね」
石壁は俺の肩ほどの高さだ。吞気に中を伺っている間に、兄は扉の解錠を進めている。
ユリスはといえば、暗がりの中で覗き込むように石壁の様子を眺めていた。
「気になるものでもあったか」
「別に何でもありません」
ユリスは姿勢を正し、緩む顔を引き締めた。そのまま逃げるように立ち去ってゆく。
「なんだ?」
石壁を眺めてみると、可愛らしい絵がいくつも描かれていた。人、動物、花、食べ物、何かわからないもの、大きさも色も様々だ。
きっと子どもたちが描いたものだろう。あいにく夜中なのではっきり見えないが、青空の下ではさぞかし映えるはずだ。
「いい農園じゃねぇか……」
エルザという司祭の人となり、その大らかさまでもが垣間見える。
「リュシアン、開いたよ」
「あぁ。ありがとう」
中へ進むと、酷い有り様だった。
土がほじくり返され、食い散らかされた野菜があちこちに散乱している。地面に残る足跡は大型魔獣の痕跡を如実に物語っていた。
「ここで育てた野菜は、孤児院の子どもたちの食料になるわけだろ。許せねぇな」
「魔獣はどこから入り込んだんですか」
怒る俺とは対照的に、ユリスは冷静だ。まるで俺の方が子どもに思えて、なんだか恥ずかしくなってしまった。
「鍵を開けて入ったわけだけど、奥にある石壁の一部が壊されてしまったそうなんだ」
「すぐに案内して頂けますか」
努めて冷静な声だが、ユリスの背中には明らかな怒りが漲っているのがわかった。
兄に続いて農園を進む。野菜が育てられている一画を抜けると、花畑が見えてきた。
「農園なのに、花まで作ってるのか」
「熊型魔獣は蜜が好物だからね。この花の香りに誘われてやってくるようなんだ」
「花の香りに?」
闇夜の中でも存在感を放つ深紅の花。それが点々と咲いている。ここもほとんど食い尽くされ、葉や蔓がごみのように散っている。
だが、その花にはどことなく見覚えがあった。甘い香りがほのかに漂い、記憶の底をゆっくりとかき混ぜてゆく。
「この花って、プロム・スクレイル?」
「ご名答。さすがリュシアンだね」
「どうしてこんな所に……」
「司祭様が偶然に手に入れたそうでね。試しに植えたら見事に増えたそうなんだ。この花を売ったお金が馬鹿にならないそうで、運営を保つ資金になっているそうなんだ。口止めされているから、リュシアンも内密にね」
「そりゃそうだ。奇跡の花とまで言われているくらいだし、魔獣どころか人間に狙われてもおかしくない。俺も実物は初めて見たよ」
秘薬であるプロムナ。その原料となる花をこんな所で見られるとは思ってもいなかった。