09 野いちご狩りのシルヴィ
「闇夜の銀狼は元々、銀の翼という団に所属していた。アンナも在籍していた傭兵団だが、悪行に手を染め始めた彼らと方針が合わなくなって、彼女は離反したんだ」
「アンナさんは離れて正解ですよ。私は闇夜の銀狼の人たちでさえ、未だに許せません」
マリーは自らの体を抱き、不快感を滲ませている。カンタンの命令だったとはいえ、彼らに捕らえられた事件は記憶に新しい。
「マリーも言っている通り、その決断は正しい。それに、憤っているのはアンナも一緒だ。闇夜の銀狼との接触が切っ掛けで、銀の翼への怒りが再燃しちまったわけだからな」
グラスを満たす蒸留酒を一口飲み下した。
焼けるような熱さが喉を伝う。マリーやアンナの怒りが、こちらにまで伝わってきたように錯覚してしまう。
「銀の翼は、ヴィランド城っていう廃城を根城にしていたんだ。アンナは単身で乗り込み、見事に奴らを壊滅させた。その時に、廃城の隠し部屋から一冊の日誌を発見したんだ。もろもろの説明は、アンナから頼む」
主導権を譲り、俺は椅子に背を預けた。
「リュー兄が雇った法律家のツテを辿って、日誌を鑑定に出したのね。そしたら、ヴィランド城の城主が書いたもので間違いないって結果が出たの。五十年以上も前の記録だって」
「五十年か……で、肝心の内容は?」
焦る俺とは対照的に、アンナは次のケーキにフォークを突き立てている。
「城主の名前は、ラウール・ヴェルマンドって言ってたかな。その人が研究の責任者として、すべてを仕切ってたみたい」
「研究、というのは?」
隣から、ケーキを頬張るマリーが尋ねた。菓子を堪能する姿は年相応の少女だ。
「合成魔獣の開発だよ。ここまで言えばわかるよね? ブリュス・キュリテールのこと」
「そうなんですか!?」
驚いた拍子に、マリーが持ち上げたフォークから野いちごが零れ落ちた。果物は、わずかに開いた胸元へ吸い込まれ、純白の法衣の中へ消えてしまった。
「きゃっ!」
背筋を伸ばし、うろたえるマリー。野いちごは今頃、胸に乗っているのかもしれない。
「ちょっと失礼します」
マリーは平静を装って席を立ち、個室の隅で背を向けた。俺はその後ろ姿から目を逸らし、隣にいるユリスを伺った。
「ブリュス・キュリテールっていうのは、守り人たちが災厄の魔獣と呼んでいる相手のことだ。こっちでは、その名で呼ばれてる」
「大丈夫です。それは承知しています」
ユリスが神妙な顔で頷くと、アンナの説明が再開された。
「研究が行われていたのは、クレアモントっていう街なんだって」
「聞いたことのねぇ街だな」
「だよね。今は存在しない街だから」
「存在しない? どういうことだ」
「滅びたんだって。正確には、ブリュス・キュリテールに滅ぼされたみたいだけどね」
「滅ぼされた……」
「うん。アンドル大陸がランクLの冒険者を使ってあいつを探すのも、それだけの危険度があるからってことみたい」
「確かにあの力なら、街をひとつ潰すくらい造作もないだろうな」
魔獣の脅威を思い返していると、シルヴィさんが不意に席を立った。そのまま、悪戦苦闘しているマリーに近付いてゆく。
「まだ取れないの?」
「いえ、クリームがあちこちに……」
「あらあら。まったく可愛いんだから」
おしぼりを握ったシルヴィさんは、しな垂れかかるようにマリーの体へ手を回した。
「あの……私は大丈夫ですから、どうぞ御食事を楽しんでいてください」
「連れないこと言わないで。これでも、野いちご狩りのシルヴィって有名なんだから」
そんな異名は聞いたことがない。
「本当に大丈夫です。ちょ……そんな所に手を入れないでください。あんっ!」
ビクリと震え、マリーは背中を丸めた。
「ごめんなさいね。野いちごだと思って摘まんだら、違ういちごだったみたい」
「絶対にわざとですよね!?」
「わざとじゃないわよ。指先にぷっくりとしたものが触れたから、これだって思ったのに」
「もう結構ですから」
逃げようと、必死に藻掻くマリー。彼女を助けるべきか迷っていた時だ。
「碧色には前にも話したけど……」
横手から、レオンの声が上がった。
「自分たちで研究していたのなら、魔獣を制御する方法があってもおかしくない。むしろ、用意しておくべきだと思うけど」
「日誌によると、何人か生き延びた研究者がいたみたい。その人たちは口々に、魔獣の制御が利かなくなった、って言ってたらしいよ」
「待ってくれ。街が滅びるほどの被害だったのに、生き延びた奴がいたのか?」
話を聞きながら混乱してきた。わからないことだらけだ。
「研究施設は地下にあって、強力な魔力結界に守られていた、って書いてあったけどね。魔獣たちだけが地上に飛び出して、研究者は取り残されたみたい」
「想定外の事故だったわけか」
「詳しいことはわからなかったみたい。日誌にも原因までは書いてなかったの。ラウールさんも、責任をとって処刑されたんだって。最後の方は殴り書きで読めなかったけど、ほとんど恨み言ばっかり書いてあった」
「街がひとつなくなったほどの事故だ。処刑もやむなし、って結果だろうな」
「だろうね。同じ悲劇を繰り返さないようにって、クレアモントは廃墟として残されてるんだよね。そっちも調査済みだよ」
「さすがに仕事が早いな。頼りになるよ」
「でしょ。アンナに任せて」
得意顔でケーキを頬張っている。
「研究は元々、街の地下で行われていたみたいなの。施設は偽装されてたんだけど、上には何があったと思う?」
「研究施設の上? 魔法に関わる何かか?」
考えても即座に浮かばない。腕組みをしていると、涙目のマリーと、笑みをたたえたシルヴィさんが戻ってきた。
「シルヴィさんも黙って飲んでいてください」
「はぁい。ごめんなさ〜い」
舌を出して肩をすくめてみせるが、悪びれた様子は微塵もない。ひどい人だ。
「教会、じゃないの?」
「レン君、正解!」
アンナは、フォークの先をレオンに向けた。
「危ないだろ。行儀が悪いからやめなよ」
虫を払うように、レオンが右手を振るう。
「上は教会だったの。治療院から重病患者を引っ張って、人体実験もしてたみたい」
「なんでそんなことを……」
「魔導の力を継承させる方法も模索してたみたいだよ。他にも、人と魔獣を掛け合わせる方法を試したりだとか……」
「鬼畜だな。まともじゃねぇよ」
せっかくの食事が台無しになる不快さだ。
「でも、ブリュス・キュリテールは現代の技術力では再現できないみたいなの。魔法の力が衰えてきてるのが一番の要因みたいだけどね。でね、もっと心配なことがあるんだ」
「これ以上、何があるって言うんだよ」
「崩れた教会の敷地に、地下への階段が今でも残ってたのね。良く見たら、わりと新しい足跡が付いてたんだよ」
「それって、もしかして……」
「うん。誰かが出入りしてるみたい」
背筋を悪寒が伝った。
「跡形もなく埋没したんじゃねぇのか?」
「掘り起こされた形跡もあったの。誰が何の目的で使ってるのかわからないけど……」
「島に戻る前に、確認してみるか……」
危険な芽は早めに摘んでおくに限る。