05 アンナは理想を押し付ける
『他にも報告はあるけど、シルヴィがそこにいるんだ。直接聞いた方がいいだろうねぇ』
ドミニクは含みを持たせて通話を終えた。そうして墓所を後にした俺たちは、夕食を済ませるために街の大通りへ繰り出した。
ヴァレリーさんが拠点としていたこのフィクサルの街は、王都から馬車で五日という距離にある。農業や林業が盛んな街だが、良質な小麦粉が作られていることでも有名だ。
のどかで穏やかな時間が流れ、フェリクスさんが療養を兼ねて暮らすには打って付けの場所だったと言える。それだけに、今回の事件の衝撃は相当なものだ。平穏な街が大きな騒ぎに包まれたという。
輪になって話していると、アンナが形を乱すように落ち着きなく視線を巡らせた。
「リュー兄たちの到着を待つ間、街の中を散策してたんだよね。パンやケーキの美味しい店がたくさんあるんだから。そうそう。パンだけじゃなくて、パスタも美味しいの。アンナ、この街に住みたくなっちゃった」
「え!? ケーキの美味しいお店!? ぜひ連れて行ってください」
嬉々とした顔で、マリーが反応した。
「マリーちゃんも甘い物が好き?」
「もちろんです。でも霊峰の寺院にいた頃は、大司教様の言いつけで禁欲生活を送っていたんです。食事だって、わりと質素だったんですよ。美味しいものを頂くのは、お休みを頂いた日に下山をした時くらいでした」
「育ち盛りなのに可愛そう……」
「でもそのお陰で、健康的な生活と理想的な体型を維持できているのかもしれませんね」
「じゃあこれからは、リュー兄にいっぱいご馳走してもらおうね」
「はい。そうしましょう!」
謎の結託を果たしたふたりから、猛烈な熱視線を浴びせられている。
「おまえら、言ってることが滅茶苦茶だろうが。マリーの言う、理想的な体型とやらが崩れても知らねぇからな」
「うぅ……それは困ります」
質素な生活などと言っているが、アンナとシルヴィさんもエミリアンの屋敷で働かされていた身だ。どれほどの責め苦を味わったか知れないが、それを見せないのは立派だ。
アンナとマリーがはしゃぐ横で、取り残されているユリスに気付いた。守り人という壁を作っているのは承知の上だが、もう少し輪に馴染んで欲しいと思うのは身勝手だろうか。
「ユリス。マルティサン島で人気の食べ物っていうのは、どんなものなんだ?」
「急に何ですか」
話を振られて驚いているが、食べ物の話題なら拒まれることもないだろう。
「人気というか、昔からの風習ですね。それぞれの民で好みが違います……炎の民は辛いもの。水の民は甘いもの。風の民は薄味のもの。雷の民は香辛料を効かせたもの。土の民は苦みが強いものを好みます。俺たち光の民は、それらの文化が集まる島の中央で生活しています。各地域の飲食店はそれぞれに人気だし、突出したものはない気がする」
「水の民は甘いものが好きなの?」
マリーが驚いたように声を上げた。
「訓練中、イヴォンから何度か差し入れをもらってね。いつもお菓子をくれるなぁと思っていたけど、彼の好物なのかな?」
「なに、なに。イヴォンって誰」
アンナが険しい顔で反応した。
「私と一歳しか変わらないのに、水の民の神官を務める凄い人なんです。とても親切にしてくださるんですけど、距離感が近すぎて、正直苦手な所もあって……」
「かっこいいの?」
「綺麗な顔立ちをしていますよ。きっと、島でも人気があると思います」
アンナに答えながら、その目はレオンの姿を追っている。
「ダメ、ダメ、ダメ! アンナは絶対に認めないんだから!」
頬を膨らませ、大股でレオンに近付く。
「ちょっと。レン君がしっかり掴まえてないから、そういう変な虫が寄ってきちゃうんだよ。わかってんの? もっとちゃんとして」
「どうして俺が怒られるのかな」
レオンが腕を組んで不平を漏らした途端、アンナの中段蹴りが彼の尻を打った。乾いた音が、夕闇に包まれた大通りへ響く。
「なにをするんだ」
「アンナの頭の中では、レン君とマリーちゃんで決まりなの。それ以外は認めないから!」
「君の理想を勝手に押しつけないでくれ」
「この際だから押しつけるの。絶対だから」
「アンナさん。レオン様も困っていますから、この話は終わりにしましょう」
「大丈夫。イヴォンには釘を刺しました」
マリーを遮り、この場の空気を変えるようなユリスの冷たい声が発せられた。
「守り人の血を守るためだ。外の者を民に加えることは絶対に認めない。過去にそういったこともあったみたいですけど、島から追放するという方法をとっていたようです」
その言葉は重みを持って、俺の心にだけ響いているように思えた。ユリスと俺の距離はまだまだ遠いのだと思い知らされる。
「血を守る、か……ユリス君って、古風な考え方をするんだね」
アンナはからかうように言うが、ユリスの表情が緩む気配はない。
「長たちの古い考え方は好きじゃないけど、その点だけは認めています。でも、守り人たちは血を絶やさぬよう必死です。初老の男女に行為を迫ったり、老人と若者を半強制的に結びつけた過去もあります。正直、複雑です」
「その考えを継承しようっていう、ユリリンは立派だよ。イヴォンっていう人には悪いけど、レン君とマリーちゃんは譲れないんだ」
「あの……ユリリンっていうあだ名は好きじゃない。やめてもらえませんか」
「なんでよ。いいじゃん」
「嫌です」
「だったらさ、ユリリンとゲロッパ。どっちがいいか、今すぐ決めて!」
「なんなんですか、あなた」
アンナの中には確固たる映像が見えているらしい。ふたりのやり取りを眺めながら、俺も他人事ではない気にさせられていた。
『アンナは、シル姉もセリちゃんも大事だから、どっちも応援したいんだよ。だけど、決めるのはリュー兄だもんね。どっちを選んでもアンナは祝福するし、何があってもシル姉に付いていくのは変わらないから』
以前にアンナからそんな言葉を投げられたが、彼女がシルヴィさんをひいき目に見ているのは間違いない。
つらい境遇を生きてきたシルヴィさんに幸せを掴んで欲しいのは俺も同じだ。その相手が一日も早く現れて欲しいとも思っている。申し訳ないと心の底から思っているが、彼女の未来に寄り添えるのは俺じゃない。
「アンナも頑固だからねぇ。あのやり取り、もうしばらく続くわよ」
呆れたようにつぶやくシルヴィさんだが、口元は笑っている。アンナと片耳ずつ付けた、お揃いのピアスが鈍い輝きを放った。
「それにしても、この街に滞在するなんて。どういう風の吹き回し?」
シルヴィさんは意外だという反応をして、俺の顔を覗き込んできた。
「飛竜は離れの森に置いてきましたけど、しばらく休ませてやらないと。それに、ここには冒険者ギルドもある。依頼の消化もできるし、ちょうどいいかなって」
「そういうこと……」
なんだか煮え切らない物言いが気になる。
「何か不都合でもありました?」
「ん? ご主人様をもてなすための道具は、ヴァルネットに置いてきたままなのよ。連絡をもらって、慌てて出てきちゃったから」
「それを聞いて、むしろ安心しました」
「どういう意味よ。久しぶりに会ったんだから、たっぷりご奉仕させなさいよ。それとも島で、あの娘と散々お楽しみだったわけ?」
「そんなわけないでしょうが」
「あの娘を凄く大事にしてるのがわかるから、余計にいらいらするのよね。次に会ったら、意地悪しちゃうかもしれないわよ」
「俺が全力で止めますよ」
「ほんの冗談よ。そんな怖い顔しないで」
目を逸らしたシルヴィさんは、夕闇の街へ視線を投げた。光に照らされた彼女の横顔は、隠しきれない寂しさを纏っている。