02 世界は英雄を失った
「くそっ。どうしてこんなことに……」
真新しい豪華な墓石がふたつ。それを前に言葉が出ない。己の無力さを、こんなにも思い知らされたのは初めてだ。
多くの献花に混じり、酒瓶も置かれている。それだけで、ふたりがどれほど人々に慕われていたかを思い知らされてしまう。事実、この国は英雄と呼ぶべき存在を失った。
どれほどの言葉も、後悔も、恨み言も、怒りでさえも、突きつけられた現実の前では、すべてがむなしく通り過ぎてゆく。
今はただ、ふたりが安らかに眠ってくれることを祈るだけだ。後のことは、この世界に残る俺たちが請け負えばいい。
マリーとユリスが紡ぐ祈りがやみ、俺は組み合わせていた手をほどいた。そうして、別れを告げるように墓石へ背を向ける。
後方に控えていたシルヴィさんとアンナを見るも、こんな怒りに満ちた形相を英雄たちには見せられない。
「で、犯人はどうなった」
「それがね、まだ見つかっていないの」
「は? 事件から一ヶ月以上ですよね」
舌打ちすると、シルヴィさんは自分の落ち度であるかのように申し訳なさそうな顔をした。俺の怒りに当てられてしまったのなら、それはそれで悪いことをしてしまった。
気後れする彼女を庇うように、隣に立つアンナが口を開いた。
「犯行は夜中から明け方だったみたいで、目撃者がいないの。衛兵たちの調査も難航してるって聞いたけどさ……当日、ヴァレリーさんのお屋敷には三人の使用人がいたそうなんだけど、フェリさんとヴァレリーさんを含めた全員が惨殺されたってことくらいしか……」
「体が不自由なフェリクスさんはまだしも、ヴァレリーさんが簡単にやられるか?」
王都の防衛戦で見た、圧倒的な剣術は記憶に新しい。それでなくとも、剣聖と呼ばれるほどの実力者だ。
「覚えてる? あたしがリュシーの部屋で、毒草を炊いたことがあったでしょ。あれと似たような成分が屋敷の数カ所で見つかったそうなの。酩酊状態じゃ、さすがの彼女でも太刀打ちできなかったんじゃないかしら」
「いくら剣聖の屋敷だからって、警戒が緩すぎるだろ。外に見張りもいなかったのか?」
わかっていても、つい口調がきつくなる。シルヴィさんに落ち度はないのに、責め立てるような物言いになってしまう。
気を落ち着けようと深く息を吐くと、こちらを不安そうに見ているアンナと目が合った。
「アンナの調べだと、そこはヴァレリーさんのこだわりだったみたい。街の人たちとの壁を取り払って気軽な付き合いをしたいっていうのが、あの人のやり方だったんだって」
「それが、あだになったわけか……」
「焼け残った建物の一部には刃の傷跡もあったみたいだから、多少は応戦したのかもしれないけどさ……使用人たちは背後から一刺しでやられていたみたい。屋敷に火を放たれたって話だけど、火元はフェリさんの部屋だって。折り重なるふたつの遺体が見つかったそうだけど、身元がわからないほど損傷が酷かったって。フェリさんはほら……体に欠損があったから、それが手掛かりになったって」
「逃げるところを襲われたのか? それとも気配を感じさせずに、背後を取られたか」
「気配を感じさせないほどの使い手か……」
腕を組んだレオンが、不安げにつぶやいた。
「憶測の域を出ないけどな。それほどの奴が、わざわざ街へ乗り込んでくるとも思えねぇ」
「それはわからないよ」
すかさず、アンナに否定された。
「ヴァレリーさんだって、あれだけの美貌だもん。かなりの人気だったみたいだし、フェリさんと一緒にいる所を目撃して逆恨みで襲撃、なんて可能性もあるんじゃない?」
「碧色も、相変わらずぬるい頭だね。怨恨かは知らないけど、被害者は剣聖ふたり。狙うには充分すぎる動機だ。現に、聡慧の賢聖エクトルが命を落とした。次の一角を崩すとなれば、フェリクスさんが狙われたのもわかる」
「レオンの意見には納得だけど、ぬるい頭っていうのだけは納得できねぇな」
「頭に血がのぼってるかと思ったけど、意外と聞き分けるくらいの余裕はあるのか」
「あのな……」
言い返した途端、鋭い目で睨まれた。
「気持ちはわかるけど、冷静さを欠いたら終わりだ。正常な判断ができるよう、自分を律することも大事なんだよ」
腕組みを崩さないレオンだが、指先が震えるほどの強さで二の腕を握りしめているのがわかった。平静を装いながらも、心の内は強い怒りに支配されている。
慕っていたフェリクスさんが命を落としたのだ。それはごく当然の反応だ。そんなレオンを見ていたら、自分の中の怒りがいくらか静まっていくのが実感できた。
「レオン、犯人は必ず見つける。俺たちの手で、ふたりのかたきを取るぞ」
「つまらないことを言うね。俺は墓石を見た時からそのつもりだけど。相手は必ず、骨の一片すら残らないほど粉々にするから」
レオンを慰めるように肩を叩き、シルヴィさんとアンナへ視線を戻した。
「屋敷はほとんど燃え尽きたんだろ。フェリクスさんとヴァレリーさんの装備は?」
シルヴィさんは首を横へ振り、肩の位置まで両手を持ち上げた。お手上げということか。
「現場から持ち去られたみたい」
「持ち去って、どうするつもりなんだ……売るにしても特徴があり過ぎる装備だぞ」
フェリクスさんが扱っていた大剣は、聖剣ミトロジーだ。鎧もただの軽量鎧じゃない。最上級の魔鉱石から鍛え上げられ、魔法耐性を兼ね備えた特別製の魔導武具だ。
ヴァレリーさんが身に付けていた紺碧の鎧も、同じ魔鉱石から作られていたはずだ。彼女が扱っていた剣は、聖剣メルマイド・リヴル。あれも極上の魔法剣だった。
「毒草といい、犯人は複数の可能性も出てきたな。装備はひとりで持ち出せる量じゃねぇ」
「で、これから犯人捜しをしようっていうの? 特訓の続きはどうするのよ」
背後から、マリーの呆れたような声が飛んできた。それを受けて、苦笑いをするフェリクスさんの顔が浮かんだ。
「いや。俺たちにも時間の余裕があるわけじゃない。フェリクスさんだって、そんなことをしている暇があるなら剣の腕を磨け、とでも言うだろうさ。犯人を特定するところまでは、ドミニクを動かす。あいつの部下どもを使って情報をかき集めてもらうつもりだ。俺たちの目的は当初の通りだ。冒険者活動を維持するために、次の依頼をこなす」
フェリクスさんからは、見舞いに行っても文句を言われたほどだ。俺たちが立ち止まることを善しとはしないだろう。それならば今できることをすることが、あの人に対しての恩返しになるはずだ。
「ようやく、いつものリュシーらしくなってきたわね。やっぱりそうでなくちゃ」
艶のある笑みを口元に浮かべたシルヴィさんから、勢いよく背中を叩かれた。
「ずっと気になってたんだけど、一緒に付いてきた坊やは何者なの。島に住んでいる子なんだろうなっていうのはわかるんだけど。線が細くて華奢に見える体付きのわりに、顔付きは凜々しくて好みかも……」
「シルヴィさん。獲物を物色するような目はやめてください。セリーヌの知り合いですから、大切な賓客のつもりで接してください」
弟という情報は伏せておいた方がいいだろう。何を吹き込まれるかわからない。
恐る恐るユリスへ視線を投げると、マリーと言葉を交わしているところだった。
年が近いこともあり、俺たちより彼女の方が親しみやすいのだろう。島を出てから、ふたりが話す場面を度々見かけている。
「亡くなられたフェリクスという御仁が、救世主と呼ばれていた方なんですか」
「え? いや、どうですかね……凄い方だとは聞いているんですけど、正直なところ、私もあまり詳しくないんです」
ユリスとマリーの間では、別の問題が勃発しているらしい。