19 黒竜王エルフォンド
『人間たちは徒党を組み、我々に襲い掛かってきた。狙われたのは、幼き竜ばかりではない。成竜でさえ、数の驚異の前では太刀打ちできぬ者も多くいた』
ガルディアの瞳に悲痛の色が混じる。
手を差し伸べ、共に歴史を歩んできた存在から突然に反旗を翻されたのだ。晴れ渡った空へ、稲妻が走るような衝撃だっただろう。
「それが原因で、竜は人の前から姿を消したということですか」
『話はそう単純なものではないのだ。我は争いを好まぬが、すべての竜が同じではない。竜王たちと話し合いの機会を設けたが、人間を忌み嫌う者の中から、滅ぼすべきだという意見が持ち上がった』
「当然、そういう意見は出るでしょうね……」
同じ目に遭わされたら、俺も黙っていられないだろう。
『声を上げたのは三名の竜王だ。炎竜王セルジオン、雷竜王グロースト。そして、黒竜王エルフォンド』
「黒竜王? 聞いたことがありませんけど」
レオンやマリーに目を向けると、ふたりも黙って首を横に振った。
『闇の力を司る竜王だ。昔から気性の荒い奴だった。我々ですら、そりが合わず何度も衝突したものだ。恐らく、人間たちの記憶と記録からも抹消されたのだろう。結局、エルフォンドは我々の下を去り、単独で人を襲い始めた。それに続き、セルジオンとグローストも我らから離れていった』
「そういえば、アンドル大陸の王都を襲ったという、黒き竜の話を聞いたことがあります。それが黒竜王だったのかも……」
『かもしれん。憶測の域を出ぬがな。セルジオンとグローストは人間たちとの戦いで討ち果たされたが、エルフォンドだけは行方が知れぬままだ。大人しくしているような奴ではない。いずこかで果てたのかもしれぬ』
故郷での竜の扱いと、王都周辺で聞き及んでいた竜の話。その食い違いにようやく納得がいった。黒竜王エルフォンドに襲われた人々が、竜を恐れるのも無理はない。
『水竜女王プロスクレ、風竜王テオファヌ、土竜王ファブール。彼らと共に、我はこの島へ移り住むことにした。しかし、庶民の中には竜の信仰が根深く浸透していた。信徒と名乗り、我々の身近で生活する者も多かった。彼らを見捨てることもできず、側にいる者たちだけでも連れて行くことにしたのだ』
ガルディアの瞳に慈愛が滲んだ。セリーヌ、ディカさん、ユリスの姿を順に眺める。
「竜に付き従った人たちはこの島で文化を形成し、守り人と名乗るようになったのです。竜の守り人、その起源です」
「竜の守り人」
つぶやくと、セリーヌは深く頷いた。
『水竜女王プロスクレには霧の結界を施させ、人の世界の監視を命じた。島には三竜のみとなったが、我々が姿を消したことで人間たちにも変化が起こった。生き血を求め、竜を探し出すことに躍起になったのだ』
「それはもしかして……」
「冒険者ギルドの設立に繋がるわけだね」
俺の言葉を代弁したテオファヌが、微笑を浮かべて近付いてきた。優しく微笑むその姿は、気さくな吟遊詩人という印象を受ける。
「僕はこの姿で人の世に馴染み、各地を放浪して過ごした。話に聞く各国の混乱ぶりは滑稽だったよ。竜の信仰は禁じられ、女神ラヴィーヌが持ち上げられた。寺院に祀られていた竜の石像も、女神像に交換されたんだ。それがおよそ二百年前だね。そして百年ほど前になると、領土問題であれほど戦争を繰り返していたのが突然の停戦。和平協定が結ばれ、冒険者ギルド設立の話が持ち上がった。あっという間に、各地へ支部が広がったんだ」
「それもすべて、竜を探し出すためですか」
「間違いないね。魔力は子孫へ伝わるとはいえ完全ではない。それに彼らは、今すぐに力を得ることを欲していた。魔力が発現する可能性は低いとはいえ、その行為には竜の生き血を口にすることが必要不可欠。竜を保護するという名目のもとに各国は協力体制を敷いて、僕たちを探し出すことに躍起になった」
『とはいっても、欲深い人間たちに我々を探し出すことなどできなかったわけだがな』
アレクシアは勝ち誇ったように言い放ち、舌を出して笑う。
最初から思っていたが、彼は随分と人間味に溢れた言動をする。孤高の存在のような竜への印象が、ことごとく覆されてゆく。
「そんな経緯もあって、冒険者ギルドも当初の勢いを失った。庶民の御用聞きのような役割に変わったんだね。凶暴な魔獣の討伐や魔力石などの資源探索、遺跡発掘で一攫千金を目指すような者たちが中心になった。でもね、竜探索が沈静化した頃、事態が急変したんだ」
「なにがあったんですか」
「災厄の魔獣の襲来だよ」
青年の姿をしたテオファヌ。その目つきが、途端に鋭さを増した。
「見たこともない異形の怪物だ。あの五体の力は異常だった。どうやったら、あんな魔獣が生まれるのか……想像もつかない」
「それについては多少の情報があります」
全員の視線が一気に集まってきた。こうも注目されると緊張してしまう。
「あの魔獣は自然発生したものではなく、人が造り出した合成魔獣の可能性があります」
『なんだと』
ガルディアから、驚きを含んだ思念が飛ぶ。
「調査中なので明言はできませんけど、研究に関わっていたとみられる人物の日誌を、仲間が偶然手に入れました。俺はそれを借り受け、目を通す機会を得たんです」
アンナから預かった日誌。その内容を思い返してゆく。
「五十年以上も前の記録でした。当時、竜の探索と並行して、アンドル大陸では戦略兵器の開発話が持ち上がったそうです。いずれ魔法の力が消え去ることを恐れ、軍事利用できる新たな力を欲していたようですね」
『なんと愚かな……』
アレクシアは呆れ果てた様子で頭を左右に振りかぶる。それを眺めていると、レオンが激しく舌打ちを漏らした。
「生物兵器ってことか……だとしたら、魔獣を制御するような対策があると思うんだけど。研究をしていたのがどんな奴かはしらないけど、その辺は書かれていなかった?」
「記述は見つからなかったけど、俺もそれが疑問なんだ。ひょっとしたらあの魔獣が力を持ちすぎて、手に負えなくなったんじゃないかって考えてるところだ」
「そいつらは馬鹿なのか」
「馬鹿じゃねぇ。大馬鹿だ」
レオンは口元に笑みを浮かべている。
「この情報に関しては、仲間に調査を依頼している最中です。優秀な奴だ。数ヶ月もあれば必要な情報が集まってくるでしょう。この島へ呼べないのは残念ですけどね」
調味料を振りかけるように、わずかに嫌味を含めてみた。案の定、ディカさんの厳しい目が向けられている。
「結局、外の者の身勝手で我々が被害を受けたことに変わりはない。神竜や竜王も傷を負い、おまえたちはどう責任を取るつもりだ」
「責任か……だからこそこうして、災厄の魔獣を倒す準備を進めているんです」
『今更それをどうこう言ってもはじまらぬ。事の発端が知れただけでも良し。問題はこれからの対応だ。我は災厄の魔獣との戦いで深手を負い、重要なものを奪われた。あれだけは是が非でも取り返さねばならん』
「何を奪われたんですか」
細められたガルディアの瞳に、ただならぬ気配を察した。怒りとも後悔とも取れるような、複雑な感情が渦巻いている。