17 必要不可欠な存在
神殿の中はがらんとした空間が広がっていた。住居というより、寺院のように祈りや祈祷を行う施設という趣が強い。
事実、中央には祭壇が設けられていた。その奥では、いぶし銀の鱗を持つ巨竜が、体を丸めて休息をとっている。
守り人や竜たちはまだしも、レオンとマリーにとっては衝撃的な光景だった。
「この方が、神竜ガルディア……」
巨竜が伏せる場所には魔法陣が展開され、淡い青の光を放っていた。マリーはそれが、癒やしの魔力だとすぐに気付いた。
体中のあちこちに傷を負い、かなりの深手を負っていた。鱗が剥がれ落ち、肉が剥き出しになっている箇所もある。歯形や爪の後が残され、激しい戦いの跡を物語っていた。
「災厄の魔獣との傷跡か……」
レオンも苦々しい顔を見せる。
伝承で聞くほどの存在が、こうも無残な姿を晒して横たわっていることに動揺を隠せなかった。ガルディアの右目は潰れ、額にも抉られた傷跡が生々しく残っている。
「なんと、おいたわしいお姿に……怒りに駆られ、皆の元を離れた自分が憎い。我とグローストがいれば、ガルディア様がここまでの傷を負うこともなかったであろうに」
うなだれるリュシアンの背に、青年の姿をしたテオファヌが手を添えた。整った顔は苦笑に歪み、やり場のない想いを持て余しているように見えた。
「過ぎたことを悔やんでも、どうにもなりません。それに、あなたやグローストが島を出たのは二百年以上も前のこと。今更どうこう言うことでもありません。今は、目覚めの時を迎えられたことを素直に喜ぶべきです」
テオファヌに応えるように、ガルディアはゆっくりと頭を上げた。残された左目で、一同の姿をしっかりと捉えている。
「おぉ……ガルディア様が本当に……」
ディカも万感の思いを抑えきれず、呻くように言葉を発した。膝から崩れそうになる体を、側に立つユリスが支える。
光の民を背負う長として先頭に立ちながらも、崇拝すべき対象が不在という状況に、ディカもやるせなさを感じていた。ガルディアの目覚めにより不安が払拭されたことは、何にも増して喜ばしい出来事となった。
『ガルディア様。お目覚めの日を、心より待ちわびておりました』
アレクシアが頭を垂れると、セリーヌもそれに習って深々と腰を折った。
『皆には見苦しい姿を晒してすまぬ。して、我はどれほど眠っていた』
『およそ、千の日が経過しました』
『そんなにか……皆には、長きに渡って心細い想いをさせたな』
『ガルディア様が謝られる必要はありません』
二頭の思念が飛び交う。声を発せずとも、その内容は周囲の全員へ届いていた。
「ガルディア様、セルジオンでございます。永き年月を経ましたが、こうして再びお目にかかれたこと、大変光栄に思います」
床へ片膝を突いたリュシアンに、ガルディアはいたわるような視線を向ける。
『セルジオンか。久しいな……旧交を暖めたいところだが、あいにく我はその青年に用向きがある。汝の意識を明け渡し、意思疎通を可能にしてもらいたい』
「承知致しました。こうしてお目覚めになられた姿を拝見できただけで満足です」
名残惜しさを堪え、セルジオンは大人しく従った。リュシアンの目が閉じられ、セルジオンの意識は深層へと潜ってゆく。
* * *
「ようやく出られた。っていうかセルジオンも、よく素直に体を明け渡したな……」
立ち上がった俺は体を見下ろし、存在を確かめるように体のあちこちを触った。
セルジオンが乗り移ってからの状況は、頭上に浮かんで眺めていたので把握している。
それにしても、まさかこうして体が戻ってくるとは思わなかった。捨て身の覚悟で臨んだだけに、セリーヌやガルディアにはいくら感謝しても足りない。
『幻の島マルティサンへ赴き、我を訪ねよ』
あの言葉通りなら、ラグがこの島に戻ったことでガルディアに変化が起こったのだろう。
それにしても実物の神竜はやはり違う。傷だらけの体ながらも圧倒的な存在感を放ち、唯一無二の存在であることを主張している。
「リュシアンさん!」
体当たりするような勢いで、セリーヌが駆け込んできた。彼女を抱き留めるも、あまりの勢いに後ずさってしまう。倒れないよう体勢を保つのに必死だ。
「なぜ、あのような無茶をされたのですか。そうまでして頂きたいなど申しておりません」
涙ぐむセリーヌの顔を見ながら、込み上げる愛おしさを堪えきれなかった。花のような香りが鼻孔をくすぐり、触れ合うぬくもりに体と心が満たされてゆく。
やはり俺の居場所はここだ。改めて思い知らされる。足りないものを補うには、彼女の存在が必要不可欠だ。
セリーヌの存在を全身で感じたいと思っていたのも束の間、老人の咳払いで我に返った。
ディカさんとユリスから凄まじい形相で睨まれている。なにかひとつでも対応を間違えれば、この場で斬られそうな物々しさだ。
セリーヌの体をそっと離し、彼らと正面から対峙した。
「言いたいことは色々あると思います。ですが最初に宣言した通り、婚姻相手を決めるなんていう馬鹿げた祭りをぶっ潰すために来たんです。俺は勝ちました。彼女を自由にしてあげてください」
ディカさんは俺の言葉を鼻で笑った。
「セルジオン様の力を借りて戦っていたのだろう。そんなものは貴様の功績とは認めん。婚姻の儀は仕切り直しだ。おまえもいいな」
隣に立つセリーヌを、鋭い眼光で睨む。
「いいえ。婚姻は破棄だと申し上げたはずです。私は自らの足で旅を続け、災厄の魔獣を今度こそ討ち果たします」
「おまえは、まだそんなことをほざくか」
「私からもどうかお願いします。災厄の魔獣を倒すには、セリーヌ様の力が必要なんです」
振り返ると、マリーが深く頭を下げていた。
「あの魔獣の狙いはわからないけど、神竜が目覚めた以上、遅かれ早かれこの島も狙われる。力を合わせた方が得策だと思うけど」
レオンが脅すように口添えしてくれたが、もっともな意見だ。ディカさんが唸る横で、ユリスは探るような目を向けてきた。
「だとしても、外の者の力を借りるのは反対です。俺は絶対に信用できない」
吐き捨てるように言い放つユリスだが、ここまで意地を張る理由がわからない。
「あなたたちがどうしてそこまで大陸の人間を嫌うのかはわかりません。だったらせめて、俺たちのことは信用してもらえませんか。セリーヌのことだって、命に代えても守ります」
『おまえたちの話は後にしろ。言い争いをさせるために汝を呼び戻したわけではない』
ガルディアの思念が響いた。神殿の空気が揺さぶられるような迫力に、全員が押し黙る。
『汝には伝えておかねばならぬことがいくつかある。光の民を立ち会わせたのもそのためだ。まずはひとつめ。汝がラグと呼んでいた、我の分身についてだ』
「ラグの話ですか……」
未だ姿を見せない相棒に、なんだか嫌な予感がする。こういう時はろくなことがない。
『気付いているかもしれぬが、既に我が体内へ取り込んだ。目覚めに必要な行為だったとはいえ、ラグは存在そのものが消滅した。突然の事後報告ですまぬな』
「は? 消滅って……いきなりすぎませんか」
二年近くも苦楽を共にしてきた大事な相棒だ。いつかは離れると思っていたが、その日は予期せぬ流れで唐突に訪れた。