11 切り札の一手
戦士たちを応援する歓声がうるさい。この世界すべてが敵に回ったような疎外感だ。
セリーヌを助けると言いながら、呆気なくやられてしまった自分が情けない。
宙に浮かぶ六枚の魔力壁。そこへ映る老人たちから、見下した目を向けられている。
「やれやれ。とんだ期待外れだ」
セリーヌが長老と呼んでいた老人は、興味をなくしたように右方へ目を向けた。
「ユリス、奴らをすぐに摘まみ出せ。なんなら海竜の餌にしても構わん。竜眼で記憶を消すのを忘れるな。だが、一緒にいる女だけは捕らえておけ。一時間後に本戦を始める」
「長老。どうか寛大な御処置を!」
セリーヌの訴えは、観客の大歓声に飲み込まれた。総立ちになった円形闘技場。手を叩く者、楽器を打ち鳴らす者、反応は様々だ。
喝采を全身に浴びたバルテルミーが、乾いた笑みを浮かべて俺を見下ろしてきた。
「余興にもならなかったな。こんな遠方まではるばる来てもらって申し訳ないが、君たちを生きて帰すつもりはないようだ。すまない」
「あんたが謝ることじゃねぇ。冒険者を始めた時から、命を賭ける覚悟はできてる」
「殊勝な心がけだな。しかしこんな歳にもなると、自分より若い者が命を散らすことに抵抗があってね……ここだけの話だが、長たちのやり方が絶対に正しいとは思えないんだ」
「奇遇だな。俺も同意見だ」
悲鳴を上げる全身へ力を込め、どうにか身を起こした。バルテルミーが伸ばしてきた手を掴み、満身創痍の体で立ち上がる。
舞台の外にいるセリーヌへ目を向けた。泣き出しそうな彼女の顔へ笑みを向け、安心させようと力強く頷いてみせる。
兄を探すという最初の目的は達成した。次はセリーヌを救う番だ。
覚悟は決まっている。俺に迷いはない。
「だからこそ、負けられねぇんだよ」
「その体で、戦えるとでも?」
バルテルミーの手を振り払い、呆気にとられた顔へ微笑み返す。切り札の一手へ備えた。
「全部くれてやる。この窮地をひっくり返してみせろ!」
何が何でも勝利を掴む。たとえこの身が犠牲になろうとも。
「炎爆、全解放!」
全身を青白い炎が包み込んだ。
* * *
その瞬間、闘技場全体が静まり返った。
乱入してきた青年。その全身を激しい炎が覆った途端、圧倒的な存在感と威圧感が会場の熱気を飲み込んだ。
会場にはその存在を記憶している者もいる。闘技場の端にも、同じようにひとり。
「ついに姿を見せましたか。彼と顔を合わせるのは何十年ぶりですかね」
ルネの姿をした風竜王は、懐かしさを覚えながらも興奮を隠しきれなかった。その目は、舞台に立つリュシアンへ釘付けになっている。
「リュシアンさん……まさか、最初からこのつもりで……なんということを」
「女神様。大丈夫ですか!?」
膝から崩れそうになるセリーヌ。その体をマリーが慌てて支えた。
「自分から、体を明け渡すだなんて」
「でも、今までも同じだったんじゃ……」
「いいえ。これまでは自らとセルジオン様の領域を分け、力の一部を借り受けていたにすぎません。その領域を取り払い、セルジオン様にすべてを委ねたのです。セルジオン様の力が勝れば、リュシアンさんの意識は飲み込まれてしまうでしょう」
「つまり、どうなるんですか?」
「リュシアンさんの意識が消滅し、セルジオン様が彼に成り代わります」
「そんな……」
舞台を見守るセリーヌの脳裏に、リュシアンの顔が思い浮かんだ。
『何も心配するな。圧勝すればいいんだろ』
セリーヌの頬を涙が伝い落ちた。
たとえ勝利を収めても、あなたのいない世界など、今の私には何の意味もありません。
リュシアンの体を包む炎に、自らの心まで焼かれたような息苦しさを覚えていた。
「欲しいものはすべて手に入れる……そう仰っていたではありませんか。私と共に歩んで頂けると信じていたのに……」
セリーヌの悲痛な声が届くことはない。それを掻き消すように、闘技場へリュシアンの雄叫びが轟いた。
バルテルミーが即座に雷の魔力球を解き放つ。それを突き破り、リュシアンの飛び膝蹴りが相手の胸部を打った。
背中を丸め、呻くバルテルミー。そこを逃さず、リュシアンの横蹴りが腹部を捉える。
吹っ飛んだバルテルミーは闘技場の壁に激突。そのまま、うつ伏せに倒れた。
「双竜術を使えるとは大したものだ。残念ながら、我には効かんがな。それにしても力の加減が難しいな……守り人相手だ。多少は手心を加えてやりたいのだが」
リュシアンは剣を納め、体を確認するように両手の開閉を繰り返した。そこを狙い、イヴォンとウードが迫る。
イヴォンが槍の一閃を繰り出す。それを避け、リュシアンは反撃の拳を繰り出した。
「流水堅牢」
水の結界球がイヴォンの体を包む。しかし、リュシアンの拳は結界を容易く貫いた。
みぞおちへ拳を受けたイヴォンは、胃液を吐きながら床を転がる。
「並の相手なら十分だろうが、プロスクレに比べれば紙も同然の結界だな」
退屈そうに言い放ったリュシアン。背後にはウードが迫っていた。
「貴様の技は高速移動か」
繰り出されたウードの拳を次々と避ける。
相手の腕を取ったリュシアンは、敵の体を背負って投げる。長身男が高々と宙を舞った。
ウードは空中で身を捻り、両手を突いて着地した。五十七歳という年齢からは考えられない身のこなしだが、竜臨活性の力がそれを可能にしていた。
「久々に血がたぎる」
微笑むウードは背負っていた長弓を構え、リュシアンを狙う。そこへ殺気が生まれた。
横手から迫った斬撃を弓で受け流すと、迫っていたレオンと視線が交錯した。
「あんたの相手は俺だ」
自分の存在を無視されたことに、レオンは腹を立てていた。
リュシアンに注意が向くことは仕方がない。わかっていても、戦いの途中で放り出されるのは気分がいいものではない。
「血に飢えた野獣のような目だな」
ウードは苦笑を浮かべる。
「若い頃の俺にそっくりだ」
「一緒にするな。反吐が出る」
レオンが斬撃を繰り出す。ウードの長弓とぶつかり合い、甲高い音が響いた。
時を同じくして、リュシアンの右腕に一本の鞭が絡み付く。鞭を辿ったリュシアンの目に映ったのは、炎の民の少年ヘクターだ。
それを好機と、戦斧を手にしたクロヴィスと、剣を構えたジャメルが襲い掛かる。
「良かろう。受けて立つ」
リュシアンの口元へ凶悪な笑みが浮かんだ。
「馬鹿な……」
舞台への興味を失っていた長老ディカだが、変貌した青年の姿に狼狽していた。
「この小僧、何者だ……」
「テオファヌ様がわざわざ連れてきたほどの人物です。ただ者ではないでしょう」
出口へ向かっていたユリスは、苦々しい顔で唇を噛んだ。
「セリーヌ。何を考えているんだ」
つぶやきは誰に届くことなく掻き消える。