03 狙われたのは血と力
風竜王の姿に戻ったテオファヌ。その背に乗り、俺たちは移動を始めていた。
夜の闇に紛れ、滑空する風竜王。風の結界で守られた俺たちを月光が優しく照らす。
車座になって寛ぎながら、仲間たちを眺めた。セリーヌ、コームさん、レオン、マリー。選ばれし精鋭という趣に不安はない。
むしろここからは、セリーヌの自由を得るための解放者として、マルティサン島の面々と向き合わなければならないのだろう。
「がう、がうっ!」
俺の思いを鼓舞するように、ラグが吠える。
フォールの街での戦いで、俺の身なりは見るに堪えないものになってしまった。こんな格好で乗り込むのもどうかと思うが、朝を待って買い物をしている時間が惜しい。
セリーヌの婚姻相手を決めるための武闘会。それが進んでいると考えるだけで、どうにも落ち着かない気分になる。
「島までどのくらいかかるんだ」
声を上げるなり、セリーヌと目が合った。
「テオファヌ様の速度なら、明日の正午には辿り着くと思います」
「そんなに早く着くのか。でも、普段の移動はどうしてるんだ」
「サンケルクの街に、島の者が紛れて生活しております。彼らの操る船に乗り、三日ほどをかけて島と街とを行き来しているのです」
「それもそれで大変だけど、三日もかければ辿り着く距離ってことか……今までに、大陸の人間から荒らされたりしなかったのか?」
「これまでは、水竜女王であらせられたプロスクレ様の御力で、霧の結界が張り巡らされていたのです。守り人でなければ結界を抜けることは困難です」
自信に満ちたセリーヌの声。プロスクレに対して絶対の信頼を置いていたことが伺える。
「プロスクレ様の顛末を伝えれば、すぐに次の水竜王が選出されます。霧の結界も引き継がれ、護りは再生します。加えて、島の近海には海竜たちが住んでおります。上空にも飛竜がおり、周囲を警戒しているのです。害なす者たちは即座に餌食となるでしょう」
「そんな万全の守りでも、ブリュス・キュリテールの侵入を防げなかったってことか」
「あの魔獣は飛行能力を有していました。飛竜たちの力だけでは及ばず……」
セリーヌとコームさんは途端に顔を曇らせた。レオンは腕を組んだ姿勢で押し黙り、マリーが不安げな顔で話を聞いている。
「きゅうぅん……」
ラグまで左肩の上で情けない声を上げた。
重苦しい空気が満ちる。セリーヌは言葉を選ぶように、ためらいがちに口を開いた。
「先日の戦いですが、魔獣は本調子ではありませんでした。加えて、蝶の仮面を付けた魔導師ユーグ。彼の者に力を抑え込まれた状態だったのです。本来であれば、あの場で何としても仕留めておくべきでした」
「過ぎたことをどうこう言っても仕方ねぇ。ユーグを片付けた後に、あの魔獣が見せた姿。あれが本来の凶暴性なんだな」
セリーヌは黙って頷いた。
だが、俺には別の気掛かりもある。アンナが手に入れた日誌を読んで知り得たことだが、恐らく予想は正しいはずだ。
「災厄の魔獣、ブリュス・キュリテール。あの魔獣がどれだけ危険だろうと、竜たちを蹂躙して神竜を追い詰めたとは信じがたいんだ。あいつは、一体だけじゃないんだろ?」
空気が凍りつくとは、まさにこんな状態をいうのだろう。
レオンとマリーが驚愕に言葉を失う中、コームさんは苦い顔を見せた。そうして、セリーヌが重々しく言葉を発する。
「はい。島を襲った魔獣は五体おりました。先日戦ったものが、取り逃がした最後の一体なのです」
「碧色。どういうこと」
レオンから険しい目を向けられている。
「落ち着け。詳しいことはアンドル大陸に戻ったら話す。さっき、アンナに下調べを頼んだばかりなんだ。俺にも情報が足りない」
言いながら、コームさんへ視線を移した。
「過去に、ブリュス・キュリテールと戦って敗戦したって言ってましたよね。島でどんな戦いがあったんですか」
言葉を投げつつ記憶を辿る。炎竜王セルジオンと水竜女王プロスクレ。彼らが交わしていた会話を思い返していた。
「炎竜王セルジオンと雷竜王グロースト。魔獣に襲われた時、彼らは既に命を落としていたと聞いています」
「御主、その話をどこで知り得た」
コームさんだけでなく、セリーヌまで興味深げな視線を向けてくる。
今ならすべてを打ち明けても構わない。素直にそう思えた。何より、島へ立ち入るためには、ふたりの存在と協力が必要不可欠だ。
「セリーヌとナルシスにしか話していませんでしたけど、俺の体にはガルディアとセルジオンの力が宿っています。以前、セルジオンに意識を乗っ取られた時、彼がプロスクレとそんな話をしていたんです」
「神竜と炎竜王の力だと!?」
コームさんは目を見開いているが、信じられないのも当然だ。
「もしや、御主が以前に手にしていた竜骨剣こそが、炎竜王の御遺骨だったのか?」
「知っていたんですか」
「やはり、そういうことか……あの剣から並々ならぬ力を感じたのだ。まさかとは思っていたが、予感は真であったか」
思案していたコームさんだが、様子を伺うようにセリーヌへ目を向けた。
「私の口から語ることははばかられます。ここは、セリーヌ様の御判断に従います」
「私が光の神官としての立場を維持していれば何ということのないことだったのですが……可能な範囲内でお話し致します」
意を決した表情でこちらを見てきた。
「炎竜王と雷竜王については後ほど島で。今、お話できるのは、およそ三年前に起こった争いのことです。災厄の魔獣は何の前触れもなく現れました。獅子、虎、黒豹の頭を持ち、蝙蝠のような翼で空を駆ける四足魔獣。その力は圧倒的でした」
苦々しい顔で語るセリーヌ。その唇が微かに震えている。
「竜たちは次々と薙ぎ倒されました。彼らに加勢しようと島の者たちも武器を取り、戦いの支度を始めたのです。しかし魔獣の脅威と対等に渡り合えたのは、神竜ガルディアと土竜王ファヴールの御二方のみでした」
「それで、どうなったんだ」
「戦いは夜まで続きました。五体の魔獣のうち四体は駆逐されましたが、ファヴール様も深い傷を負いました。そして、ガルディア様が相打ちのような形で最後の一体を追い払ってくださったのです。島民は歓喜しましたが、そこへ更に不幸が重なりました。島民の混乱と夜の闇へ乗じて、漆黒の船が何隻も押し寄せたのです。中から降りてきたのは、黒い全身鎧に身を包んだ戦士たちでした」
「黒い全身鎧の戦士? 何者なんだ。流れから考えて、災厄の魔獣と関係がありそうだな」
セリーヌは黙って首を横へ振る。脚を横へ流した姿勢で、紺の法衣の裾を握りしめた。
「わかりません。しかし空と陸からの襲撃を受け、島民は完全に混乱していました。疲弊した竜たちの支援は望めず、必死の抵抗を試みました。ですが善戦虚しく、朝が来る頃には島は完全に制圧されてしまったのです」
「敵の狙いは?」
「恐らく、守り人の血と力です。十代から四十代までの男女が次々と捕らえられ、漆黒の船に押し込まれました。私は難を逃れましたが、ほぼすべての若者が連れ去られたのです」
悲痛な声に、かけるべき言葉がない。