45 俺はここにいる
魔獣の攻撃に弾き飛ばされたレオンだが、水中という状況が功を奏した。
体への被害は思っていたほどではなかった。堆積している土砂へぶつかる直前、風の魔法を背後へ解き放つ。
弾き飛ばされた勢いを殺し、追い風に乗る。魚のように自由を得たレオンは、遠ざかってゆくサーペント・デューの姿を追った。
細長い体をうねらせ、三つの頭で獲物を狙う大型魔獣。そのうちのひとつは、剣を振るうコームが応戦してくれていた。残るふたつの頭たちが、マリーを執拗に狙っている。
やらせてたまるか。
魔獣を見据えたレオンの心へ怒りが漲る。
不意打ちを受けたとはいえ、相手はたかが一体の大型魔獣。この程度の相手に弄ばれているような自分ではない。
加護の腕輪の力により、体の周囲は魔力の膜に覆われている。持続時間は五分程度だが、呼吸をして言葉を発することもできる。
最強は、この俺だ。
「流力煌刃!」
握りしめた魔法剣へ魔力を注ぐ。刃が、淡い緑の輝きに包まれた。
すると、シャンパージェの街で再会した、カマラの顔が頭を過ぎった。
『おまえは、俺たち生き残り組の希望だ。真っ直ぐ自分を曲げない意志の強さがある。俺もそれを見習って頑張るからよ』
もっと強くなってみせる。
強さを渇望するレオン。その目は、魔獣の先にあるリュシアンの後ろ姿を見ていた。
追いかけているはずなのに、いつまで経っても届かない。ようやく肩へ触れられるほどの所へ来ても、再び差が開いてしまう。
そこへ今度は、ラファエルという名の剣士まで割り込んできた。
レオン=アルカンという存在など意に介さず、リュシアンとラファエルはふたりだけの世界で強さを高め合っているように映った。
俺はここにいる。
レオンが発する心の悲鳴は誰にも届かない。
その怒りをぶつけるように、眼前に迫った魔獣の横腹を斬り裂いた。
尚も勢いは止まらない。風の魔法による加速。魔獣を追い抜きざま、マリーを狙うふたつの頭の片方へ狙いを定めた。
「斬駆煌!」
水さえも斬り裂くように滑らかな一閃。その攻撃が魔獣の首を断つ。
苦しみ悶える魔獣。それを眼下に見据えたレオンは、マリーを庇って間へ割り込んだ。
魔獣の傷口から血が溢れ、水中は瞬く間に赤黒く染められてゆく。
レオンは腰の革袋へ手をのばす。魔力石を取り出し、即座に力の回復にかかった。
『最強になりたいんだろ。俺と一緒に来い』
手を差し出して笑う、フェリクスの姿までもが思い浮かんできた。
『剣も魔法も使えるなんて最高じゃないか。俺なら、おまえの強さをもっと引き出してやれる。魔獣を駆逐したいんだろ。俺に力を貸してくれないか。それに、俺に付いてくれば面白い奴を紹介してやるぞ。おまえらふたりが揃えば、最強のパーティが作れる』
「勝手なことばかり……」
苦々しい顔で、レオンは再び剣を構えた。
「碧色なんて、身体強化の力がなければ並の冒険者と変わらない。ぬるいだけの存在だ。俺こそが、神に選ばれた至高の存在なんだ」
赤黒く濁った水を突き破り、ふたつの水流弾が迫っていた。
それらを見据え、レオンは剣を構える。
風竜王と出会い、その加護を受けたことは、彼にとってこれ以上ない好機となった。魔力の底上げに加え、レオン自身が風の魔法を得意としている。互いの相性は最高だった。
あのふたりを必ず蹴散らす。
「清流煌!」
水の魔法を宿した一閃。それが水流弾を斬り裂き、即座に無力化させていた。
「マリー。湖を出て、岸辺で構えて」
「どうするつもりですか?」
マリーの声を聞きながら、レオンは潜水のために体勢を変える。
「奴を地上へ打ち上げる」
言うが早いか、レオンは風の魔法を展開。加速を付け、湖底へ逃げる魔獣を狙う。
途中、地上へ向かうコームとすれ違った。魔力障壁のない彼では、酸素を維持することは不可能だ。
ほどなく魔獣の姿を視認。魔力を巡らせた長剣を構え、レオンは鋭い一閃を見舞う。
しかし、ここは水中だ。環境は敵へ有利に働いた。
すんでの所で攻撃をかいくぐった水蛇型魔獣。レオンから素早く距離を取り、次の攻撃に備えてとぐろを巻いた。
怒りに牙を剥くふたつの頭。気味の悪い威嚇音を鳴らし、長い舌を覗かせる。
だが、レオンは至って冷静だった。敵へ伸ばした左手から、魔力石が零れ落ちる。
「暴風創造!」
魔獣の背後に渦が生まれた。絡め取られるように吸い込まれた水蛇は、のたうちながらも逃げることができない。
その隙に、レオンは敵の間近へ迫る。
「裂破創造!」
大地が隆起する。魔獣の真下から巨大な岩の突起が伸び上がり、その体を貫いた。
突起にしがみ付いたレオンもまた、魔獣と共に地底湖から飛び出した。
「マリー、今だ!」
「煌熱創造!」
マリーが突き出した右拳。そこから火球が次々と放たれた。
突起に貫かれた時点で瀕死の傷を追っていたサーペント・デュー。弱点である炎を受け、焼かれながら絶命の道を辿った。
「見事なものだ。私は何もできなかった」
一足先に岸へ上がっていたコームは、手を伸ばしてレオンを引き上げた。
「別に。この程度の相手に苦戦していたら、先が思いやられるから」
レオンは、全身ずぶ濡れのコームへ目を向けた。彼を不憫に思いながらも、天井が抜けてしまった洞窟の中へ素早く視線を巡らせる。
「延長戦をするつもりなら、受けて立つけど」
「え?」
マリーが驚きの声を上げる。コームも、何事かとレオンの視線を追った。
「楽しみは後に取っておきましょう」
それは、闇へ見事に溶け込んでいた。
かくれんぼを見破られた子どものような無邪気さで、黒装束の男が歩み出してくる。
「その黒焦げ魔獣も、あんたの仕業か?」
「これは、ユーグさんの置き土産です。彼が亡くなったのは想定外でしたが、君たちの成長には目を見張るものがありますね。それが確認できただけでも、ここへ来た甲斐があったというものです」
のんびりとした口調で言い放ち、黒装束の男は空を仰いだ。
「もっとも、風竜王の登場には驚きましたがね。これは我々も、うかうかしていられません」
「ユーグとつるんでいたってことは、あんたも同じ一味ってことか」
「おっと。これは申し遅れました。私は、終末の担い手のひとり、セヴランと申します。以後、お見知りおきを」
「悪いけど、興味はない」
「意地の悪い方だ。お詫びに、いいことを教えて差し上げましょう。我々はユーグさんを欠きましたが、彼が師と仰ぐ人物が加わってくださいました。覚悟しておくことです」
セヴランが指笛を鳴らすと、どこともなく大鷲型魔獣が飛来した。黒装束の男はその背に乗り、急速に遠ざかって行った。