43 何も言わなくていい
「お話の前に、まずはこちらを」
セリーヌが差し出してくれたのは水袋と乾パン。そしてドライフルーツだ。
「街で炊き出しの品を勧められたのですが、頂くのも心苦しかったものですから。こんなものしかありませんが、お口に合うかどうか」
「ありがとう。十分な御馳走だよ。セリーヌは食べたのか?」
「私は後で頂きます」
口にしてから自分の愚かさに気づいた。セリーヌが疲れきっているのは明らかだ。
「怪我人のために奔走してくれてたんだから、食欲がないのも当然だよな。疲れてるだろうし、テオファヌが戻ってくるまで休むか?」
「そうしたいのはやまやまですが、今はリュシアンさんとの時間を優先したいのです」
「セリーヌがそう言ってくれるなら……今、座る場所を作るから待ってくれ」
彼女の言葉に嬉しくなってしまう。
緩む頬を引き締め、冒険服の上着を脱いだ。薄手のシャツ姿を晒し、草原へ上着を広げる。
「リュシアンさん。あの、その……どういうことでしょうか?」
「ん?」
セリーヌは真っ赤な顔で体をこわばらせ、草原に正座している。怯える小動物のようだ。
「どこに人目があるか知れません。朝一番から屋外で事に及ぶなど……それに、そのようなことはご遠慮願いたいと以前にも……」
恥じらう姿に吹き出してしまった。
「相変わらず面白い奴だな。座る場所を作るって言っただろ。血と泥にまみれた上着じゃ、逆に汚れちまうかもしれねぇけどさ」
「はわわわ……失礼しました!」
「座っててくれ。そこの川で顔を洗ってくる」
「水ならば私の魔法で」
「いいって。そんなことに力を使うなよ」
洗顔を終え、頭をすっきりさせた。そうして改めてセリーヌの隣へ座る。
「で、話っていうのは? 俺の今後の人生を左右するかもしれないなんて言ってたよな」
話しにくそうにしていた彼女だが、心を決めた顔で艷やかな唇を開いた。
「既にご存じの通り、私はマルティサン島で神官を務めておりました。ですが、蝶の仮面を付けた魔導師、ユーグとの戦いで、長老から与えられた神器を失ってしまいました」
「あぁ。そこまでは俺も知ってる流れだな。で、島に戻った後、何があったんだ?」
差し入れてもらった水袋を手に取り、コルク栓へ手をかける。
「激怒した長老から神官の任を解かれ、竜眼の力も失いました。今は新たな者が立場と力を引き継いでおります。ですが、神器は何としても回収するよう言いつけられました。コーム、ロラン、オラースは護衛と見張りの任を与えられ、私の旅に同行していたのです」
「なるほどな……」
「このまま神器の回収へと事が運べば、明日にでもマルティサン島へ帰郷することになります。そうなれば、私の役目も終わりです」
「役目が終わるとどうなるんだ?」
目を逸らし、憂いを帯びた眼差しを空へ投げた。彼女には何が見えているのだろう。
オリヴィエの香りも相まって、セリーヌの纏う憂いが濃度を増したように思えた。
「子を成すため、婚姻を結ぶことになります」
「は!? ちょっと待てよ」
驚きのあまり、水袋を落とすところだった。それに釣られたのか、ラグが肩から飛び立つ。
「婚姻って、そんな深い相手がいるのか?」
「いえ。そのお相手を決めるための催しが、進められている最中なのです」
「どういうことだよ」
「島では力が重要視されます。光の神官を務めた私の存在は大きな価値を生むのです。島中から男性を募り、武闘大会が開かれます。地域ごとに代表を選別し、本戦へと進みます。私は優勝者と結婚することになるのです」
話を聞きながら怒りが込み上げてきた。
「ふざけやがって……まるで道具扱いじゃねぇか。セリーヌの意見はお構いなしか?」
「神器を失ったのは私の過失ですが、災厄の魔獣を討ち果たすという目的までも奪われることが心苦しいのです。それだけは自分の手で成し遂げたいと思っていましたから」
「そんな大会なんて無視すればいいんだ。素直に従うだけ馬鹿を見るってもんだろ」
「ですが、催しは既に始まっております。それに、長老の決定を覆すことなどできません」
面識もない相手だが、心底腹立たしい。
「また長老か……一族も長老も関係ねぇ。俺はおまえに聞いてるんだ。セリーヌ、頼むからおまえの本心を聞かせてくれ」
「皆のためなら致し方ないと思っておりました。ですが、リュシアンさんと再会し、私は……」
言葉をなくして涙ぐむセリーヌ。その肩へ手を回し、強く抱き寄せていた。
「もう何も言わなくていい」
俺たちの間にこれ以上の言葉はいらない。
林の風景へ目を向けた。野鳥がさえずり、胸中とは裏腹に穏やかな時間が流れている。
「武闘大会へ出場し、優勝して頂けませんか? 私が自由を得るために戦って頂きたいのです。こんなことをお願いできるのは、リュシアンさん以外に思いつかなくて……」
「島民じゃない俺に参加資格があるのか?」
「それは、その……」
不安を浮かべるセリーヌ。その頬へ手を伸ばし、包み込むようにやさしく触れた。
「まぁ、ダメだと言われても出るけどな。何も心配するな。圧勝すればいいんだろ」
安心させようと微笑みかける。彼女の頬に触れた手を、遠慮がちに掴まれた。
「私の問題に巻き込んでしまって申し訳ありません。御礼と言っても浮かびませんが、優勝の暁には何なりと申してください」
「セリーヌひとりの問題じゃないんだ。おまえを他の誰かに取られてたまるか」
「リュシアンさん……」
「島中の人間を敵に回したって構わない。大事なものは自分の力で守るっていう、エリクとの誓いもあるからな」
「ありがとうございます」
俺の手を取り、深々と頭を下げてくるセリーヌ。そんな彼女を目にして、コームさんやナルシスの顔が頭を過ぎった。
ナルシスがごちゃごちゃと口を挟んできた理由もようやく納得できた。
「だけど俺が優勝したところで、俺の人生を左右するような問題は何もないよな? むしろ、セリーヌの人生を左右する問題だろ?」
「そうですか……」
なんだか残念そうな顔をしているように見えるのは気のせいだろうか。
「長老の性格からして、それだけの騒ぎを起こせば責任を問われるのは間違いありません」
「責任?」
「はい。それだけの覚悟があるのかと」
「なんだ。そんなことか」
「そんなこととはなんですか!?」
セリーヌは頬を大きく膨らませる。
「覚悟がなかったら、こんなこと言わねぇよ。大丈夫だ。欲しいものはすべて手に入れる」
木漏れ日を浴び、微笑を浮かべるセリーヌ。そんな彼女のことを改めて美しいと思った。
* * *
「ようやく見えてきたか……」
レオンたちは風竜王と合流を果たし、空を滑空。そうして大森林へと辿り着いていた。
風竜王が放つ風の力で土砂を払い、奥深くに埋もれてしまった地底湖を探し当てた。
しかし、その轟音を聞きつけたのか、周囲から多数の鳥型魔獣を呼び込んでしまった。
「風の球体に包み、君たちを地底湖へ降ろします。僕が魔獣を引き付けている間に神器を」
言うが早いか、レオン、マリー、コームの三人は、風の結界に包み込まれていた。