41 激闘の果てに
「では、儂もそろそろ教会へ戻るかの」
「ありがとうございました」
去りゆく司祭様の背中へ深々と頭を下げた。顔を上げると、側には母の姿があった。
「私も家に戻って、お父さんを探さないと。リュシアン。あなたのことを心配していたけど、取り越し苦労だったみたいね。こんなに素敵な人たちに囲まれて、あなたは幸せ者ね」
溢れる涙を拭った母は、俺が司祭様にしたように、仲間たちへ頭を下げた。
「リュシアンのこと、これからもどうぞよろしくお願いします。元気だけが取り柄で、猪みたいに勢い任せで突き進むことしかできない子です。皆さんの力をお借りして、目指す所まで導いてやってください」
「恥ずかしいからやめてくれ」
ここまで言われると、面目もなにもない。
「大丈夫ですよ。お母様」
言葉を返してきたのはシルヴィさんだ。斧槍を肩に担ぎ、左手を腰に当てた仕草。威風堂々とした力強さが漲っている。
「ご安心ください。御子息も、今や頼れるリーダーへと成長されました。王都の救世主という名誉を頂いたのも実力です。私たちは、これからも彼を支え続ける所存です」
「がう、がうっ!」
俺の左肩の上では、ラグが賛同するように吠えている。
「今後とも、どうぞよろしくお願いします」
何度も頭を下げる母を見ていたら、どんどん恥ずかしさが込み上げてきた。
「わかった。もういいから。早いところ家に戻ってくれ。な、頼む」
「はいはい。わかりました」
母の背に触れ、追い出すように力を込めると不満そうな顔を向けられた。
文句を言いたいのは俺の方だ。
「そうとなれば、僕らも共に行くとしよう。リュシアン=バティスト。しばしの別れだ」
「そうか。永遠でも構わないんだぞ」
「ぐぬぅ。おのれ……」
ナルシスが凄まじい形相で睨んできた。
相変わらず面白い男だ。
「ナルシスの旦那。早く追わないと、置いていかれるっスよ」
「あぁ、もう! 覚えていろ。リュシアン=バティスト!」
エドモンに急かされ、びゅんびゅん丸を連れたナルシスが遠ざかってゆく。
激闘の果てに、この場には俺とラグ。そしてシルヴィさんとアンナが残された。
「ふたりが来てくれて助かりました。正直、俺たちだけじゃ生き残れなかった……」
度重なる攻撃を受け、腕輪の魔力障壁は失われている。完全回復には半日以上必要だろう。買い替えたばかりの冒険服は破れ、父から貰った鎖帷子も腹部に穴が空いている。
「この借りは、体で返してもらうわよ」
唇へ舌を這わせ、シルヴィさんがしなだれかかってきた。ここまではいつもの流れだ。さすがにうろたえるようなことはない。
程よく引き締まった体を抱きとめ、曲線を描く腰へ手を回した。そうして、シルヴィさんの瞳を覗き込む。
「俺を唸らせるほどの働きを期待してますよ。その時は何倍にもして返しますから」
呆気にとられていたシルヴィさんだが、すぐに口元へ意味深な笑みを浮かべた。
「あら、嬉しい。約束だからね。でも、今日の分は別よ。これはこれで払ってもらうから」
「ちょっと、シル姉。今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ。アンナたちも、怪我人の救護を手伝わないと」
「え〜。やっと、リュシーに会えたのに」
「それとこれとは話が別」
頬を膨らませたアンナが大股で歩み寄ってきた。そのままシルヴィさんの腕を取り、俺から引き剥がそうと奮闘している。
「あ、忘れるところだった」
アンナは何を思ったのかシルヴィさんから離れ、背中へ手を回した。
「これ、リュー兄に預けておくね」
差し出されたのは一冊の日誌だ。表紙に土や血痕がこびりつき、薄汚れてしまっている。
「さっきの日誌か。そういえば、返すって言われたな」
「オニールって人は魔獣にやられちゃったからね。エルヴェって剣士の人が、持っていけってさ」
「でも、大事な情報が書かれてるんだろ?」
訪ねた途端、アンナは歯を見せて笑った。そして、加護の腕輪を指し示す。
「必要な所は、魔力映写で控えてあるから」
「そういうことか。だからさっきの交渉でも、あっさり引き渡したのか」
「まぁね」
「みんな、ずる賢くなってきたな。そういうことなら有り難く受け取っておくよ」
「今は見ない方がいいよ。体調が戻った時にゆっくり確認してよ」
「そうさせてもらうよ。さすがに俺も気力がねぇ。立ってるだけで精一杯だ」
シルヴィさんが更に密着してきたのがわかった。なんだかんだと言いながら、俺の体を支えてくれているのだろう。
「アンナも大丈夫? あなたが斬った相手、傭兵時代にお世話になった人なんでしょ」
シルヴィさんの言葉に、アンナは苦い顔を見せた。困った顔で頬を掻いている。
「大丈夫って言えば嘘になるけどね……アンナに生き方を示してくれたような人だから」
「後悔してるのか?」
アンナは即座に首を横へ振る。
「正直、あんなライさんは見たくなかった。綺麗な想い出が残ってるうちに引導を渡せたのは、せめてもの救いだったと思ってる」
さっきからの憂いの原因はこれか。気丈に振る舞うその顔で、俺を真剣に見つめてきた。
「リュー兄にもアンナのこと話しておくね。これは、シル姉とフェリさんしか知らないの」
「俺、みんなの過去を詳しく知らないからな」
「一旦、座った方がいいわ」
シルヴィさんに連れられ、俺たちは大木の根に腰を落ち着けた。車座になると、アンナは再び口を開いた。
「アンナの家はちょっと複雑なの。みんなと違って魔獣に滅ぼされたわけでもないし、親が亡くなったわけでもなくて、家出なんだ」
「家出? それがどうして傭兵なんかに」
両親からの虐待だと聞いていたのだが。
「お父さんもお母さんも芸術家肌なのね。お姉ちゃんと妹は、その血を見事に受け継いだんだと思う……お姉ちゃんにはお母さん譲りの女優の才能があったし、妹はお父さんに似たのかな。絵の才能があったの……だけど、アンナにだけは何もなかったんだよね」
笑い飛ばす顔が、なんとも痛々しく映る。
「歌、音楽、踊り、絵画。いろんな習い事をしたけどダメでね。アンナだけ相手にされなくなって、親からも見放されちゃって……元々、あちこち飛び回ってる人たちだから、家では使用人と姉妹だけだったけどね。だけど、ここに自分の居場所はないんだって思ったら、何もかもどうでも良くなっちゃって。結局、黙って出てきちゃった」
両手を後ろにつき、夜空を仰いでいる。
「生活に困って、盗人みたいなことを始めた時だよね。自分に、人並み外れた身体能力があるって気付いたの。踊りでは見つけられなかったのにさ……皮肉なもんだよね」
芸術家という言葉を聞いて、ナルシスの話を思い出していた。
「ちょっと確認だけど、アンナの親父さんって、オスカー=ルーベルとか言わないよな?」
「え!? なんで知ってんの?」
「は? まさか本当なのか!?」
南方出身の衣装師らしいが、ナルシスでも知っている有名人ということか。