31 不器用な生き方
「どうした。来ないのか?」
ドゥニールを蹴り飛ばしたリュシアンは、余裕の笑みを浮かべてふたりの男を挑発する。
全身鎧を纏ったドゥニールでさえ軽々と飛ばされてしまう脚力だ。不用意に飛び込めばどうなるか。容易に想像のつく展開だ。
「来ないのなら、こちらから行くぞ」
リュシアンが腰を落とした直後、横手から真紅の影が割り込んだ。
飛び込むように駆け込んできたのはシルヴィだ。彼女はエルヴェの体を突き飛ばし、勢いもそのままに地面を転がってゆく。
「まぁいい。そんな小者はくれてやる」
獲物を取られ、不機嫌そうに鼻を鳴らすリュシアン。すぐさま気を取り直すと、オニールと、その後方で構えるモニクへ迫った。
* * *
「逃がさないんだから!」
愛用の双剣、天双翼を逆手に構えたアンナが闇夜の草原を疾駆する。その目には、ライアンの姿しか見えていない。
「こいつっ!」
短剣使いの女性はアンナを見据え、腰のベルトから四本の毒針を抜き出した。腕を大きく振るい、それらを一気に解き放つ。
「氷竜零結!」
アンナの背後に付いていたセリーヌは、即座に加速魔法を解除。引き換えに氷の壁を顕現させた。
投擲された毒針は氷壁を直撃。短剣使いの女性はその顔に焦りを滲ませる。
氷壁のせいで、アンナとセリーヌの姿を見失っていた。両手へ再び毒針を構え、壁の左右へ素早く視線を巡らせる。
こうなれば一か八か。
短剣使いの女性は左右の腕を振り上げると、両脇へ対応できるよう身構えた。彼女の背後には、剣を構えたライアンが控えている。
「えへへへ。甘い、甘い」
声は意外にも頭上から。
氷壁を駆け上がったアンナは、壁を飛び降り一気に襲い掛かろうとしていた。
「こんのっ!」
短剣使いが、アンナへ狙いを定めた時だ。
氷壁の一部が砕け散り、そこからセリーヌが飛び出した。彼女の右手に握られた短剣が、魔力の青白い光に包まれている。
「雷竜轟響」
紫電を迸らせた魔力球が発生。それが短剣使いの腹部を直撃した。
凄まじい電撃を受け、女性は声を上げる間もなく意識を失い倒れる。
セリーヌが氷壁を飛び出すと同時に、アンナも大きく飛び上がっていた。
「円舞斬!」
横回転を加えた大渦のような連撃。それが、ライアンの剣とぶつかり火花を散らした。
余りの力に、ライアンの刃が弾かれる。連撃は彼の纏う軽量鎧の肩当てを破壊。アンナは弾かれるように彼を飛び越え着地した。
ライアンは振り返ると同時に手遅れであると悟った。戦いへ舵を切ったアンナは、相手を仕留めるまで止まらないと知っている。
その瞳へ闘志をたぎらせ、果敢に獲物を狙う狩人の姿があった。
そうだ。この目だ。
ライアンの脳裏へ過去の映像が結びつく。
傭兵団に招かれた当時から、アンナは勝つことへ異常な執着を見せていた。
『アンナには戦いしかないから』
そう言って笑う姿が印象的だった。
何が彼女をそこまで駆り立てるのか。過去を語ろうとしない本人の意思も相まって、謎は深まるばかりだった。
そして、高い身体能力と一点突破の攻撃力で頭角を現した。半年も経つ頃には、銀の翼の中で女王蜂の異名を持つまでになっていた。
しかし、傭兵団の方針とアンナの心が乖離。傍若無人な振る舞いの彼らに愛想を尽かし、アンナは逃げるように傭兵団を去った。
俺に足りないのは貪欲さか。
皮肉を込めて笑った先に、アンナの繰り出す双剣の刃が迫っていた。
「双刃穿崩!」
鎧の隙間を縫うように、二本の刃がライアンの腹部へ差し込まれた。
言葉を失うライアンを、小柄なアンナが下から見上げている。
「ライさん、もう一度だけ聞くね。傭兵稼業から足を洗うなら、ここで見逃してあげる」
瞳に涙を浮かべ、呻くようにつぶやくアンナ。ライアンは薄い笑みで応えた。
「おまえが戦いしかないと言ったように、俺にもこれしかないんだ……日誌は持っていけ。俺の見れなかった景色へ辿り着け」
「絶対に忘れない。今のアンナがあるのは、ライさんのお陰だよ」
腹部から引き抜かれた刃が、ライアンの喉を斬り裂いた。
血しぶきを上げながら、剣士の体は力を失って地面へ崩れ落ちる。
「どうしてみんな、不器用にしか生きられないんだろう……」
苦しげなつぶやきがアンナの口から漏れる。
「アンナさん。悲しみにくれている所へ申し訳ありませんが、お願いがあります」
ライアンの残した荷物から魔導杖を取り戻し、セリーヌは意を決した目を向けた。
「アンナさんにしかできないことです。拡声魔法で聞かれてしまう恐れがありますから、お耳を拝借いたします」
腰を折って姿勢を低くしたセリーヌは、アンナへこっそりと耳打ちする。それを聞いた彼女は、すぐさま笑みを向けた。悲しみを押し殺すような、どこかぎこちない笑顔を。
「わかった。アンナに任せて」
「お願い致します。私はその間に、次の手を打つことにします」
麻袋から一冊の日誌を手にしたアンナは、それを懐へしまった。短剣使いの女性へとどめを刺し、闇へ紛れるように駆けてゆく。
それを見届けたセリーヌの目は、戦いを続けるリュシアンに向けられた。
* * *
「零結氷斬!」
冷気を纏ったオニールの斬撃が、リュシアン目掛けて繰り出された。
これまで数々の相手を葬ってきた剣技だが、リュシアンの前では例外だった。
身を反らしたリュシアンは襲い来る刃を難なく避ける。反撃とばかりに繰り出した掌底がオニールの胸を打ち、甲高い音と共に胸当てへ亀裂が刻まれた。
「がはっ」
息を吐き、よろめくオニール。その顔面をリュシアンの裏拳が殴り飛ばした。
前歯が折れ、鼻血を流して倒れるオニール。追撃を試みるリュシアンを狙い、モニクが魔法を解き放つ。
「土流渦堕!」
リュシアンの足元がうねり、周囲の大地が液体のように変貌した。土と水の合成魔法だ。
泥の渦に巻き込まれたリュシアンは腰まで沈み、途端に身動きを封じられてしまった。
モニクはそんな彼を嘲笑いながらも、攻撃の手を休めることはない。
魔法の詠唱に取り掛かる彼女の全身には、既におびただしい量の発疹が浮かんでいる。合成魔法の連続発動が体へ想像以上の負担をかけているのは明らかだった。
「殺してしまうには惜しい腕前だな」
余裕を見せるリュシアンだったが、その顔付きが不意に険しくなった。
強烈な倦怠感を覚えると同時に、全身が急激に重くなったのがわかった。
「竜臨活性が切れたか……」
中断したとはいえ、既に三度目の使用だ。限界到達は彼が思う以上に早かった。