20 耐え難い現実
「くそっ」
ナルシスは男たちの剣撃を退けながら、空へ浮かぶモニクの姿を盗み見た。
燃え盛る街並みを悠然と眺め、魔力を注ぎ続ける彼女。口元には残忍な笑みすらたたえ、この惨状を心底楽しんでいる様子が伺えた。
ナルシスの視線を察したか、不意に向けられたモニクの瞳が絡み合う。
飲み込まれ、翻弄される。
その眼力に恐ろしさを覚えたナルシスは、慌てて目の前の敵へ注意を戻した。
ふたりの剣士も、繰り出される一撃が威力と重みを増していた。加えて、攻撃を加えてもひるむ気配がまるでない。
自我を失った戦闘人形。剣を交えて感じた率直な印象がそれだった。
「あなたたち。そんな小者は放っておくべきだと思わない? 大きな場所を見るべきよ」
剣士のひとりが動きを止めた。彼が街の入口へ目を向けると、テントから逃げ出してきた人々にも変化が起こっていた。
泣き叫ぶ子どもや、救助に奔走する大人たち、茫然自失となっていた老人たちも含め、全ての者たちが同じように街へと目を向け歩き出す。その光景は、亡者の行進を思わせた。
「そうよ。お利口さんたちね。あなたたちはリュシアン=バティストを探せばいいの。ボウヤに絶望を見せつけるのよ。何もかも破壊しつくしてあげる。この天才魔導師の手で」
ナルシスは、彼女の内へ潜んだ大きな闇を感じずにはいられなかった。
この相手は今までとどこかが違う。
漠然とした恐怖が身を包み、一刻も早く仲間と合流しなければという焦りを生んでいた。
「君にかまっている暇はない」
剣士の一撃を細身剣で絡み取るようにいなしたナルシスは、肩から敵の懐へ飛び込んだ。
相手は自我を失っているせいか、得意の閃光玉も意味を成さない。多少強引なやり方になろうとも突破口を見つけようとしていた。
左手に握っていた魔法石。それを右手に持ち替え、細身剣と共に強く握った。敵の心臓部へ狙いを定め、突きの体勢で身構える。
「串刺しの刑!」
手の中で風の魔法石が弾けた。それが推進力を生み、突きの威力と速度を押し上げる。
強烈な一突きが剣士の胸を抉った。身に付けていた軽量鎧すら貫通し、相手の背から血に濡れた剣先が飛び出した。
串刺しの刑・極と名付けたこの技は、魔獣戦を想定してレオンと考案した技だ。それを人間相手に使わざるを得なかったという事実が、彼の辛さを何倍にも膨れ上がらせる。
「こんなはずではなかった……」
耐え難い現実から逃れるように、顔を逸らしてうつむくナルシス。
その一瞬が全てを分けた。
よろめいた剣士だったが、倒れることはなかった。その場で踏みとどまり、手にした剣を再びナルシス目掛けて振るったのだ。
肩から脇腹までを斬り裂かれたナルシス。その手から剣が零れ落ち、驚愕に目を見開いたままうつ伏せに崩れた。
手首に填められていた天然石のブレスレットが弾け飛び、淋しげに地面を転がる。
ブリジット姫、すまない。
薄れゆく意識の中、見えない存在へ向けてナルシスの手が弱々しく差し出された。
「さぁ、お楽しみはここからよ」
不敵な笑い声を残し、モニクの姿は闇へ溶けるように消える。
* * *
金髪男は剣を肩へ担ぐと、上半身を反らした横柄な態度を見せてきた。
「碧色。おまえはな、俺たちに深あぁく感謝するべきなんだ。わかるか? モニクの頼みだったとはいえ、俺たちがどれだけ苦労したか。おまえはなんっにもわかっちゃいない」
「がう、がうっ!」
金髪男の話へ割り込むようにラグが吠えた。あいつが呑気に話している間に、弓矢使いの男が起き上がってしまった。
だが、弓矢使いの様子がおかしい。瞳に赤い光が宿り、獣じみた呻き声を発している。
「連れが妙だが、あんたは何ともないのか」
「あ? 俺は特別でな。獣のまとめ役が必要だろ。猛獣使いみたいなもんだ」
「猛獣とは面白い喩えだな」
「でもな、一番の猛獣はあいつさ」
金髪男は燃え盛る住宅を親指で示した。
その身へ炎を背負ったように、漆黒の全身鎧を纏ったドゥニールが歩み出してきた。
顔も見えず感情を読み取れない。それが一層、敵の不気味さを際立たせている。
「ドゥニールを倒してみろよ。特別に、手を出さないで見ていてやるよ」
「随分と気前がいいんだな」
金髪男に目をやりながら、腰を低くして身構えた。
「ラグ、来い」
右手の痣へ、相棒は吸い込まれるように消えた。直後、腹部を起点として大きな力が沸き起こってきた。体中の血が沸騰したように熱くなり、爆発が全身へ広がる。視界に映る前髪は黒から銀へと色を変えていた。
竜臨活性の効果で体が軽い。地面を蹴りつけた直後には、金髪男の眼前へ迫っていた。
腰元から剣を斬り上げた所へ、弓矢使いが飛び込んできた。まさか、竜臨活性で強化された動きに付いてこれるとは。
斬撃が弓矢使いを両断するのと引き換えに、クロスボウから一本の矢が放たれた。その一撃を避けられず、右肩を射抜かれてしまった。
「残念。手を出さないのは俺だけだ」
金髪男の嫌味が聞こえ、衝撃に体勢が崩れる。歯を食い縛って痛みに堪えると、横手にドゥニールが迫っていた。
手にした大剣が片手で軽々と引かれた。横薙ぎの一閃が来ることを想定して、左手でドゥニールの肩を掴んだ。
「だらあっ!」
地を蹴り、敵の肩すら踏み台にして、ドゥニールの頭上まで飛び上がった。右足を振りかぶり、踵へ全ての力を注ぎ込む。
「炎纏・竜牙撃!」
脚を振り下ろすと、敵も左腕を持ち上げた。
だが、こちらは竜の一撃だ。相手の腕を容易に弾き、踵は後頭部を直撃した。
甲高い音を背後に聞きながら、敵の体を飛び越えて着地する。
「さすがにこれは効いただろ……」
右肩に刺さっていた矢を投げ捨て、乱れた呼吸を整える。傷跡が疼く。思っていたより重傷かもしれない。だが、これでドゥニールが倒れれば、残るは金髪男だけだ。
しかし相手は崩れない。砕けた漆黒の兜が地面へ飛び散っているが、直立不動を崩さずに、うつむき加減を保っている。
敵の背後では炎が揺らめき続け、闇の中へその姿を浮かび上がらせた。踊るように蠢く炎が、相手の不気味さを一層煽り立てている。
「あらら。やっちゃったよ」
金髪男はこの状況を楽しんでいるのか、せせら笑うと額へ手を置いた。
「何も知らずに死んでた方が、幸せだったんじゃないの?」
金髪男の言葉に続いて、ドゥニールはゆっくりと顔を上げた。
胸元まで無造作に伸ばされていた髪が揺れ、無精髭を生やした男の顔を炎が照らす。
「どういうことだ……」
目の前の光景が信じられない。信じたくもない。全ては悪い夢なのだと思いたかった。だが、右肩の傷は激しく疼き、これは現実なのだと知らしめてくる。
炎が浮かび上がらせたドゥニールの素顔は、ずっと探し求めていた存在だった。
兄が間違いなくそこにいた。