31 下を向くのはうんざりだ
「リュシアンさんが心配されるようなことは、なにひとつありません」
結局、セリーヌに押し切られるような形で、フォールの街へ向かう面々が決定。そのまま風竜王と移動の打合せを進めていると、出来たての料理が次々と運ばれてきた。
スープとサラダという静かな始まりだったが、そこからは怒濤の給仕が続いた。
熱せられた鉄板から肉汁が弾ける、豪快な厚切りステーキ。ぐつぐつと煮えたぎりながら香辛料の香りを漂わせる、骨付き肉の入った豪快な鍋。程よい焦げ目を纏い、香ばしい香りを放つ、ぶつ切り肉の串焼きなどなど。どれもこれも食欲をそそる品々だ。
「って、ルネ! あんたはいつの間に、どれだけの量を頼んだんですか!?」
思わず声を荒げると、彼女はペロリと舌を出し、悪びれた様子もなく微笑んだ。その口元は肉の脂でキラキラと輝き、左右それぞれの手には幾本もの串焼きを握っている。
「早く食べないとなくなりますよ。人間たちの食べ物がこんなに美味しいとは驚きでした。この姿になると味覚も変化するようです」
確かに、少女の正体は巨大な竜だ。まともな食事を求めれば、この店の全食材を食べ尽くしても到底足りないだろう。
嬉々とした顔で肉へかぶり付いていたルネだったが、隣へ座るセリーヌの様子に何かを思ったのか、不意に食事の手を止めた。
「どうしました? 食べないんですか?」
「あのような戦いがあったばかりですから。あまり食欲が湧かなくて」
「少しでも食べておかないと、明日を乗り切れませんよ。我々の戦いは続きます」
「それはそうなのですが……」
ふたりのやり取りを見ていたマリーが、ナイフとフォークを静かに皿へ置いた。
「女神様は繊細なんです。それでなくとも、同行されていた仲間が犠牲になっていらっしゃるんです。私としても、亡くなった方たちへ哀悼の意を示し、今宵は慎ましく食事を済ませるべきだと考えていたんですけどね」
向かいの席で、各々の胸中が明かされる。それらを聞きながら、何とも言えない複雑な思いが込み上げていた。
「騒いで悲しみを忘れるか。そっと故人を偲ぶのか。想いの形はそれぞれだし、正解も間違いもないって俺は思うんだ」
そこまで口にして、ルネ、セリーヌ、マリーの顔を順に眺めてゆく。
「プロスクレを弔うことはできなかったけど、この街へ来る前、ロランさんとオラースさんが埋葬された墓前で手を合わせてきたはずだ」
テーブルに置いた自分の手を眺めていると、やるせない気持ちと悔しさが込み上げてきた。それらを握り潰すように、拳をきつく閉じる。
「黙祷は捧げた。もう下を向くのはうんざりだ。俺たちは前を、前だけを見て、これからも進み続けて行かなきゃならない」
宣言するように言い放ち、手にしたフォークをステーキへ突き刺した。肉汁の溢れる切り身を頬張り、挑むように全員を見回す。
「食べるかどうかは任せる。それぞれのやり方で英気を養え。俺たちは、プロスクレのお陰で生き残った。その想いに応えるためにも、負けることも止まることも許されねぇ」
「がう、がうっ!」
左肩の上でラグが吠えると、ナルシスが続けとばかりに串焼きを手に取った。
「リュシアン=バティストの言う通りだ。あの魔獣が再び現れるというのなら、今度こそ我々の力で仕留めてみせようじゃないか」
「口で言うのは簡単だけど、ぬるい覚悟でいれば今度こそ命を落とすよ。期限はほんの一年。その間にどれだけ力を付けられるか」
レオンの言葉に、改めて身が引き締まる。
「プロスクレが命懸けで繋いでくれた貴重な時間だ。絶対に無駄にはできねぇ」
「仰る通りですね。そのためには十分な体力を付けなければなりませんね」
セリーヌもフォークとナイフを持ち、意を決して食事を始めた。
そうして腹を満たした俺たちは、三階建ての宿へ戻った。この店だけでなく、大型の宿は街に点在している。人の往来が多く、この街も重要な交易地点であることが伺える。
そのままコームさんの部屋を訪ね、扉のノッカーを打つと、すぐに返事があった。
「一体、何事だ?」
顔を合わせるなり、いぶかしげな顔をされたが無理もない。後ろには全員が揃っている。ただ事ではない雰囲気を察したのだろう。
「他の宿泊客の邪魔になる。入りなさい」
招かれた室内の作りは、俺の泊まる部屋と何ら変わらない。玄関の横手には浴室と御手洗い。奥には十畳程度の空間があり、ベッドとテーブルが置かれただけの簡素なものだ。
大きな窓が設けられ、そこから差し込む月明かりが室内を優しく照らしていた。
だが、俺の視線は木製の丸テーブルに吸い寄せられていた。
テーブルには酒瓶と三つのグラスが置かれ、側には剣と杖が立てかけられている。
剣はロランさん。杖はオラースさんが所持していたものだ。遺品くらいは連れ帰ってやりたいと、コームさんが預かったのだ。
「で、何事だというのだ?」
静かな時間を邪魔されたことに腹を立てたのか、巌しい顔をしている。しかし、セリーヌがいる手前、邪険にもできないのだろう。
俺たちは食事の席でのやり取りを伝え、セリーヌがフォールの街へ同行してくれる旨を丁寧に申し伝えた。
「セリーヌ様、どういうおつもりですか?」
コームさんが静かな怒りを見せるのは当然だ。しかしセリーヌは、受けて立つとでもいうような毅然とした態度で彼の前に立った。
「人命と神器、どちらが大切かは明白です」
彼女の言葉に一番驚いたのは俺だろう。以前のセリーヌなら、自分の命を省みることなく神器に固執していたはずだ。
『あれがどんなにご大層な物かなんて、俺には知ったことじゃねぇ! たかが剣と杖だ。代わりなんていくらでもある。でもな、おまえの代わりはどこにもいねぇだろうが!』
あの日、セリーヌに告げた言葉が頭を過ぎった。俺の言葉が彼女に影響を与えたなんて、おこがましいことを言うつもりはない。ただ、彼女が変わるための切っ掛けになってくれたとしたら、こんなに嬉しいことはない。
セリーヌはコームさんから目を逸らすことなく、更に強い口調で詰め寄った。
「神器の捜索は、マリーさんへお願いしました。プロスクレ様の加護を受けたマリーさんならば、水を操ることができます。そこへ、テオファヌ様の風の魔法が加われば、水の移動や潜水も可能になるでしょう。コームはレオンさんと共にマリーさんの護衛に就き、神器の回収を進めてください」
それらは全て、食事の席で決められたことだ。風竜王は俺たちをフォールの街へ送り届けた後、マリーたちを乗せて神器の回収を手伝うと約束してくれた。回収が終わり次第、再び迎えにきてもらうという段取りだ。
一通り話を聞いたコームさんは額を押さえ、疲れた顔で首を左右に振った。
「セリーヌ様のこと、私が何を言っても聞かないでしょう。ただし、これだけは覚えておいてください。プロスクレ様の加護が失われた今、島を覆い隠していた霧の結界も消失しました。我々は神器を回収すると共に、その一件を報告する義務があります」
「それは重々承知しております。ですが、目の前で危機に晒されている命を見捨てるようなことはできません!」
溜め息をついたコームさんは、なぜか俺へと目を向けてきた。その顔は疲れ果て、深い哀愁を帯びている。





