28 伏せられた歴史
コームさんが馬車の手綱を握り、マルトンの街が見える所までやってきた。
三列備えられた座席の先頭にはレオン。中央の席にセリーヌとマリー。最後尾に俺とルネが座っている。そして馬車の後ろには、びゅんびゅん丸に乗ったナルシスが続く。
マルトンの街は、廃墟と化したヴァルネットから更に奥地へ位置する。なだらかな平地が広がり、豊かな自然に恵まれた地域だ。
放牧が盛んなことでも知られ、町外れで育てられている家畜からは良質な毛皮が取れる。衣服や寝具に至るまで、活用の幅は広い。
夕闇に支配された街をぼんやりと眺めていたが、不意に気掛かりを覚えた。それを問うべく、隣へ座るルネに目を向ける。
「ヴァルネットに戻るならともかく、どうして反対方向のマルトンなんですか?」
ルネは考え込むような顔をして、顎へ右手を添えた。その仕草が見た目に似合わず、思わず吹き出しそうになってしまう。
「あの漆黒の剣士……ラファエルと言ったか。彼は危険な匂いがしたのでね。今は少しでも距離をとっておきたいと思ったのです」
「ラファエルか……あいつも竜臨活性を使えるんです。恐らく、得意とするのは雷ですけど、理由はわかりますか?」
問い掛けると、前の席に座っていたセリーヌとマリーも興味深げな目を向けてきた。
「僕もそれが不思議でね。魔法ならともかく、竜臨活性となると話は別だ。マリーのように、僕たち竜王から直接加護を受けた者が、極めて強い力を得ることは過去にもあった。しかし竜臨活性ともなると、竜の力を取り込んだ意外に考えられない」
「がう、がうっ!」
ルネの言葉を肯定するように、俺の左肩の上でラグが大きく吠えた。
「私はプロスクレ様に命を救われたのに、その御恩を返すことができなかったんですね」
寂しさと悔しさの入り混じった顔で、マリーが悲痛な声を漏らした。そんな彼女の肩へ、セリーヌが手を置いて微笑む。
「今回も、プロスクレ様は身を挺して私たちを守ってくださいました。その御恩に報いるためにも、これから私たちがひとりでも多くの人たちを救って差し上げれば良いのです」
「女神様……やはり、貴方様の考え方は素敵です。私は一生を捧げて付いていきます」
マリーは徐にセリーヌへ抱き付き、その豊満な胸に顔を埋めた。そんな彼女が羨ましくて、謎の嫉妬心が湧き上がってしまう。
「いえ、そんな……私ごときに、マリーさんの一生を捧げられても困ってしまいます。どうか、ご自分の信じる道を進まれてください」
「私の道は、女神様に仕えることだと悟りました。何の迷いもありません!」
「それでは困るのです。マリーさんの力は多くの人を救うことができます。私の側にいては、その力を持て余してしまうでしょう」
マリーは胸の谷間からゆっくりと顔を上げ、疑うような目でセリーヌを見据える。
「私のことが邪魔ということですか?」
「そうは言っておりません」
困っているセリーヌを放っておくわけにもいかない。俺は頭を掻いてマリーを見た。
「マリーにだって、聖女としてやるべきことがあるだろうが。何のために霊峰の寺院を出てきたんだ? 各地を見て回り、見聞を深めるっていう大事な役目があるんだろ? 大司教の跡を継いで人々を救済するのは、おまえが適任だと思ってるんだけどな」
「そんなこと……あなたに言われなくたって良くわかってるわよ」
バツの悪そうな顔でつぶやいたマリーは、名残惜しそうにセリーヌから離れた。そして、乱れた黒髪を手櫛でとかしながら、澄んだ瞳をこちらへ向けてくる。
「あなたからそんな風に思われていたなんて意外だったわ。女性に対して、容姿にしか関心がないんだとばかり思っていたから」
「おい」
座席の背もたれを思い切り蹴ってやりたい。
「おまえ、俺に対する偏見が激しすぎるぞ。人を欲望の塊みたいに言うんじゃねぇ」
「だってその通りじゃない。シルヴィさんとはただならぬ関係みたいだし、シャルロットさんを泣かせるし、女神様を前にしたら終始浮ついた顔をしてるし。女性の敵よね。誰でもいいんじゃないかって思っちゃう」
「くっ……確かにそれは否定できねぇけど、これでもシルヴィさんとシャルロットとは、きちんとけじめを付けたつもりなんだ」
「へえぇ。そうなんですかぁ?」
マリーから険しい視線を向けられた途端、隣でルネが楽しそうに笑った。
「人間というものは面白い。本当に興味が尽きません。人の姿へ擬態する力を持つのは恐らく僕だけだが、みんなに同じ能力がないことがとても残念だ」
「笑いごとじゃないんですよ。俺の話はいいですから、ラファエルの力について知っていることを教えてください」
「そういえばそうでしたね。君たちのやり取りが面白くて忘れていた……竜の力を取り込むということはつまり、彼は何らかの手段を用いて、雷竜王グローストの肉体の一部を手に入れたのかもしれません」
「雷竜王グロースト」
俺のつぶやきに、ルネはひとつ頷いた。
「だが、肉体の一部を手に入れたとはいえ、力をそのまま取り込めるわけではない。適性と相性は確かに存在します。君がセルジオンの力を取り込めたのは相性が良かったからだ。しかも意思疎通を交わし、力を使いこなすまでもう一息という所にまで来ている」
「ですが、グロースト様の遺骨は突如消失したと伺っております」
不意にセリーヌが口を挟んだことで、ルネは小さく唸った。
「そうですね。遺骨を保管していた王城が天災に見舞われ、災害がようやく収まった時には遺骨が丸々消えていたとか」
「俺、そんな話は初耳ですけど」
知らない事実に困惑していると、ルネは怒りを滲ませた顔で俺を見てきた。
「無理もない。竜に関する歴史や記述は、ことごとく伏せられてきたはずだ。普通に生活していれば、それらを知ることなく一生を終えているでしょう」
「伏せられるって、誰にですか?」
「それは当然……」
「テオファヌ様、それ以上は」
セリーヌの不安げな顔を前にして、ルネは思い留まったように口をつぐんだ。
「そうでしたね。この話の続きは、マルティサン島へ着いてからにしましょう。今ここで話すべき内容ではない」
「ここまで言われたら気になるじゃありませんか。勿体つけないで教えてくださいよ」
声を上げた途端、こちらを振り返ってきたレオンと目が合った。
「詳しい理由はわからないけど、誰がそれを隠したか。これまでの話の流れを整理すれば大体の察しはつくと思うけど。平穏な日常を取り戻すには誰を相手にすればいいのか。俺は今、それが一番気になってるんだけど」
「そうですね。その気持ちも良くわかりますが、ひとまず今は全てを忘れましょう。まずは心身を癒すことを優先しなさい」
ルネの言葉が示すように、馬車は検問を通過してマルトンの街へ入った。
そうして馬車を返却していると、びゅんびゅん丸を連れたナルシスが近付いてきた。
「ここは放牧が盛んな街だからね。良質な肉料理が堪能できるんだ。僕がお勧めの店へ案内しようじゃないか。ついてきたまえ」
意気揚々と歩くナルシスに続き、俺たちは夜の街へと繰り出した。





