25 託された想い
「レオン、無事だったか……」
「色々あったけど、どうにかね」
安堵の息が漏れたが、馬上のレオンも額から血を流している。鎧は破損し、体中も傷だらけ。息も絶え絶えのはずなのに、それを見せないよう落ち着き払っている姿はさすがだ。
感心していると、レオンは不満を滲ませた目で俺を見下ろしてきた。
「あんたもようやくランクLになったんだ。その腕を存分に見せつけてもらいたいけど、涼風がうるさくてね。あんたの剣になると言ったんだから、約束を守れって」
「あいつがそんなことを?」
思わず苦笑を漏らした直後、視界の奥で大蛇がゆっくりと頭を上げた。
先程レオンが放ったのは、爆発属性を持つ攻撃魔法だ。セリーヌが放った風の竜術に加え、レオンの魔法を受けても起き上がってくるとはかなりの頑丈さだ。尻尾でさえこれならば、本体はどこまで強靭なのか。
「時間がねぇ」
魔獣の本体が起き上がれば手詰まりだ。今、考えられる最善の方法はこれしかない。
肩を借りていたセリーヌの膝裏へ腕を回し、素早く抱き上げた。
「え? リュシアンさん!?」
彼女の体が軽いということもあるが、炎の力が吹き出した直後から毒の影響を感じなくなり、体が楽になっている。
そういえば、シルヴィさんを助けに娼館で戦った際も、腹部の刺し傷が即座に治ったこともあった。セルジオンが何かしらの力を働かせてくれているのは間違いない。
驚きに目を瞬くセリーヌを高く持ち上げ、びゅんびゅん丸の背に乗せた。そうして、手綱を握るレオンへ目を向ける。
「先に行け。すぐに追いつく」
「わかった」
「待ってください。リュシアンさん!」
抗議の声を上げるセリーヌを無視して、レオンは白馬の腹を蹴った。
咄嗟に伸ばされたセリーヌの手が空を切る。そうして俺は、再び魔獣と向き合った。
強烈な怒りの波動を漲らせ、ブリュス=キュリテールがゆっくりと体を起こした。俺の左肩の上で、ラグが低い唸り声を上げる。
破壊の権化とも呼ぶべき姿を前に、恐怖と絶望が背筋を伝う。三つ首と大蛇、八つの目に睨まれ、心は逃げ場を失っている。
「随分と早いお目覚めだな。永遠に眠っててもらって構わないんだぜ」
俺の言葉を理解しているのか、魔獣は低く唸った。すると右肩に乗った虎の顔が、あらぬ方向を見て鼻先へ皺を寄せる。
心の内へ焦りが広がる。虎の視線は間違いなく、びゅんびゅん丸を追っていた。
その瞬間、恐怖という感情は消えていた。
レオンとセリーヌは必ず守る。
「おい、三馬鹿!」
俺と魔獣が動いたのは同時だった。
駆け出そうとした魔獣の横腹へ、渾身の飛び蹴りを叩き込む。敵は大きく体勢を崩し、慌てた様子でこちらへ向き直った。
敵は怒りに唸っているが、これで標的は完全に俺へと切り替わったはずだ。
「行かせるかよ。てめぇの相手は俺だ」
後先を考えている余裕はない。今はただ、セルジオンの力を信じて戦うだけだ。
魔法剣を正眼に構える。全神経を研ぎ澄ませ、内なる声に耳を傾けた。
セルジオンの力は捉えている。扉は開かれ、迎え入れてくれているというのに、俺が火力の調整方法を間違っているのかもしれない。
「俺の体を使っていい。暴れてみせろ」
王都でも見た驚異的な力。あの力があれば、ブリュス=キュリテールすら押さえ込めるかもしれない。
するとその時、俺の集中を阻害するように別の気配が膨らんだ。
この力には覚えがある。水竜女王だ。
『リュシアン、聞こえていますか? 災厄の魔獣を湖まで引き付けてください』
「湖? 何があるんですか?」
『急いでください。一刻を争います。魔獣はあなたが纏うセルジオンの力を察知して、必ず動きます』
「やるしかないんですね?」
半ばやけになって駆け出すと、水竜女王の言う通りに魔獣が追ってきた。それと同時に、俺の両足へ緑の光が纏わり付く。
風の魔法の補助効果を得て、脚力が一時的に向上した。湖までは数十メートル。林を抜ければ追いつかれずに振り切れるはずだ。
後ろを気にする余裕はない。木々を避ける俺とは違い、迫る脅威は乱立する木々を軽々と薙ぎ倒してしまう。死を具現化したような巨影は、すぐ背後に迫っている。
『プロスクレ、待つんだ!』
『これ以外に方法はありません』
言い争うふたつの思念が流れ込んできた。
もうひとつの声にも聞き覚えがある。俺たちを王都へ運んだ謎の竜巻。あの時に聞いた声に間違いない。
『あなたに託します。彼らを必ず、マルティサン島へ導いてください』
マルティサン島。水竜女王の言葉に、頭の片隅で引っかかりを覚えた。ど忘れをした時の感覚に良く似ている。聞き覚えがあるものの、思い出すことができない。
そんな俺を置き去りに、事態は急展開を迎えた。水色の鱗を持つ巨体が風の魔力を帯び、高速低空飛行で横手から迫っている。その背から、仲間たちの姿は消えていた。
間もなく湖へ辿り着くという所で、プロスクレが一声吠えた。魔獣がそれに吠え返し、敵意が俺から逸れたのがわかった。
『リュシアン、ガルディア様のことを頼みます。あの御方の力が戻れば……』
水竜女王は手の平で水を掬うように、疾走する魔獣の横腹へ激突。勢いもそのままに、敵の右脇腹へ喰らい付いた。
二体の体が大きく宙に跳ね、もつれ合いながらオーヴェル湖へ飛び込んだ。
「プロスクレ!」
眼前で高い水しぶきが上がると同時に、湖面へ青白い光が弾ける。直後、その飛沫すら逃さないというように、湖は瞬く間に凍り付いてしまった。
飛沫を上げた湖面は、氷山を思わせるように眼前へ聳えている。まるでこの湖の周囲だけ、北方の凍土へ移動したような有り様だ。
「どういうことだよ?」
信じられない光景を前に、体中から力が抜けてゆく。四つん這いになって崩れ落ちた途端、再び何かの気配を捉えた。
『ここに長居をするのはよろしくない。一旦、場所を変えましょう。話はそれからだ』
「待ってくれ。プロスクレとブリュス=キュリテールはどうなったんだ?」
『それについては後ほど。君は何も心配することはありません』
「心配ないわけないだろ」
水竜女王に聞きたいことは山ほどある。この氷山から抜け出す方法があるのだろうか。
全ての疑問を置き去りにして、体は風の球体に包まれた。そのまま上空へ浮かぶと、氷山の他に、ブリュス=キュリテールの攻撃でできた巨大な陥没が目に付いた。赤ゴリラの遺体は戦いの余波を受け、半分以上が崩れてしまっている。想像以上に激闘の爪痕は深い。
上空には、他にもいくつかの球体が見える。
ナルシス、マリー、コームが包まれたものと、レオン、セリーヌ、びゅんびゅん丸が包まれたものだけは確認できる。
他の球体の中には誰がいるのか。そう思いながらも、体力と気力は限界を迎えていた。
球体の中で倒れ込みながら、意識は深い闇へ飲み込まれていった。





