16 災厄の魔獣、襲来
うろたえる三人を目にした俺も、心の中に妙な引っ掛かりを感じていた。
「声って言えば、体中を掻きむしりたくなるようなあの不気味な咆哮。前にも聞いたことがある気がするな……」
すると、セリーヌが信じられないものでも見るような目を向けてきた。
「忘れてしまわれたのですか? ムスティア大森林で赤竜の思念体と戦った後、森を出る際に聞いたではありませんか。やはりあれは、聞き間違いではありませんでした」
そういえばあの時も、セリーヌは異常な怯えを見せていた。
「ってことは、あんたたちはその魔獣が何か知ってるのか?」
「来る……」
コームがつぶやくと、セリーヌとロランも釣られるように空へ視線を巡らせた。
「何が来るって言うんだ? 鳥型魔獣か?」
鬱蒼と茂る木々の先へ、抜けるような青空が覗いている。そこへ、拳ほどの大きさをした黒いものを確認することができた。
それは形を変えるように規則的な動きを繰り返し、徐々に大きさを増している。それと入れ替わるように、黒装束たちを乗せた鳥型魔獣の群れが飛び去ってゆくのが見えた。
「どういうことだ。説明しろ」
ラファエルから徐に肩を掴まれた。その顔には困惑と苛立ちが滲んでいるが、状況を理解できないのは俺も同じだ。
「俺にもわからねぇ。ただ、凶暴な魔獣が迫ってることだけは確かだ」
端的に言うと、こちらを見ているセリーヌの視線に気付いた。その瞳が素早く俺たちを巡り、後方にいたナルシスとマリーを捉える。
「ナルシスさんとマリーさんは、コームとロランを連れて避難してください。彼等も深い傷を負っています。すぐに手当てを」
「姫、待ちたまえ。僕も戦うとも」
意外な通告を受けたナルシスは、慌てた様子で細身剣を持ち上げた。それを目にしたセリーヌは、沈んだ面持ちで首を横に振る。
「勝てるはずがありません。あの強さは想像以上です。今は私に従ってください」
するとその目が、俺を真っ向から見つめてきた。強い決意に満ちた、あの目だ。
「プロスクレ様を救出し、すぐにここを離れます。力を貸してください」
「もちろん協力するよ。だけど、そんなに危険な相手なのか?」
そこまで話して、すぐに合点がいった。彼女がここまで警戒する相手は、恐らくあの魔獣以外に考えられない。災厄の魔獣。
「ナルシス、セリーヌの言う通りにしてくれ。みんなのことは頼んだぞ。ラファエル、ここまできたらおまえも力を貸せ。たぶん、俺たちが全力を出しても勝てるかわからねぇ」
「馬鹿が。一緒にするな」
吐き捨てるように言うラファエルを無視して、避難するナルシスたちの背を見送った。
周りへ視線を向ければ、赤ゴリラは健在。レオン、モルガン、ギデオン、グレゴワールが取り囲み、善戦を続けている。鳥型魔獣を排除したミシェルが、こちらへ駆け寄ってきている姿が見えた。
そして肝心の水竜女王は、未だに残る数十体の鳥型魔獣を相手にしている。敵のしつこさも相当なものだ。
「そういえば、あいつはどうした?」
怯えた馬と共に、林の中へ消えてしまったルネ。心配だが、彼女を探す余裕がない。
空を移動していた影は、今やはっきりと視認できる大きさにまで接近していた。
一見すると巨大な獅子の姿をした魔獣だ。しかし左右の肩にはそれぞれ、虎と黒豹の頭が乗った三つ首の変異種だ。背中には蝙蝠のような二枚の黒い翼。それを器用に操って空を飛んでいる。太い尾が不気味に動いているが、よく見れば大蛇であることがわかった。
その不気味な姿を目にした途端、ヴァルネットの街の飲食店でフェリクスさんに見せられた、一枚の羊皮紙のことが頭を過ぎった。
「まさか……ブリュス=キュリテールか?」
「んふっ。リュシアン君がその名を知っているとは意外」
不意に、ユーグの声が聞こえてきた。
「賢聖エクトルが施した封印を解くため、セヴランを呼び寄せた。生誕祭の騒ぎに乗じて奇襲と暗殺を計画。それがようやく結実」
「嘘だろ?」
それ以上は言葉にならなかった。俺とセリーヌがそれぞれに追っていた標的が、またしても同じ魔獣だったとは。
「リュシアン君も不思議に思っただろう? なぜ私が、水竜女王の存在を知り得たか。Gの体には魔導通話石を埋め込んでいた。私はそれを頼りに、君たちの会話を拾った」
「そういうことか……」
ジュネイソンの廃墟を出た後、待ち伏せされたように襲われた理由はそれだったのか。
「そして今日は、守り人にまで遭遇。彼女が並外れた魔力を持つ道理も納得」
「守り人?」
ユーグは確かに彼女と言った。ここにいる女性となれば、セリーヌかマリーだけだ。
「守り人だと? なるほどな」
ラファエルが、好奇の目でセリーヌを見ていることに気付いた。
そして、ユーグとの会話に気を削がれている間に、魔獣の脅威はいよいよ間近に迫っていた。世界中に漂う負の力を集めたようなその禍々しい魔獣は、存在自体におぞましさを覚えてしまう。見ているだけで足がすくみ、余りの恐怖に吐き気が込み上げる。
ブリュス=キュリテールは、初めから水竜女王しか見ていなかった。水竜の周りに集う鳥型魔獣を容易く蹴散らし、中央の獅子顔が怒涛の勢いで竜の肩口へ喰らいついた。
衝突音と竜の悲鳴が大気を震わせる。魔獣は二本の前足で竜の胸元を掴み、のしかかって動きを封じようとしている。
揉み合うふたつの巨影は、勢いもそのままに落下してきた。それはまるで、地上へ破滅をもたらす巨大な隕石のようだった。
地震のような激しい揺れが巻き起こる。木々が倒れ、土煙が押し寄せてきた。
だが、押し寄せてきたのはそれだけじゃない。持ち上げた腕で顔を守りながらも、不安と恐怖に押し潰されそうな自分がいる。それでも、隣にはどうあっても守りたい人がいる。絶対に挫けるわけにはいかない。
「どんな相手にも屈しない、なんて啖呵を切っちまったばっかりだしな」
自然と苦笑が浮かんでいた。怖くないと言えば嘘になる。だがそれ以上に、セリーヌの力になりたいと願っている自分がいる。
腹に力を込め、剣を握り締める。喉がはち切れんばかりの雄叫びを上げ、地を蹴った。
立ち込める土煙を突き破るように走り、一気に魔獣を目指した。囮役が務まるかはわからないが、やれるだけのことをやるだけだ。
視界に、丘のような巨影が映る。魔獣の四肢に踏みつけられた仰向けの水竜を目にした途端、体の奥底から怒りの炎が吹き出した。
体中が燃えるように熱い。凝縮された熱は力となり、体の隅々まで行き渡る。体内で燃えたぎるその力は、俺の体を突き破って今にも吹き出しそうなほどの勢いを放っている。
魔獣の左肩へ乗った黒豹の顔と目が合った。だが、よくよく考えればたかが豹。俺の体へ宿っているのは伝説の存在である竜だ。
黒豹が吠えた直後、四肢を踏ん張った魔獣がすぐさま飛び掛かってきた。その動きをはっきり視認していた俺は、即座に横へ踏み出し、相手の攻撃線から抜け出した。
「炎纏・竜薙斬!」
炎を纏った渾身の一閃が、すれ違いざまに魔獣の横腹を斬り裂いた。





