09 心の距離
セリーヌがここいる。その温もりを腕の中に感じていると、まるで失われた半身が戻ってきたような心地よさと落ち着きがあった。
朝が来て、夜へと移り変わり、また次の朝が巡り来る。そんな当たり前とでもいうような普遍性すら感じてしまう。
「この馬を頼む」
手綱を彼女へ預け、入れ替わるように素早く馬から飛び降りた。魔法剣を引き抜き、迫り来る影を見据える。
黒装束は三人。目だけを覗かせた姿で、各自が短剣を手にしている。すると、その内のひとりが左手を引いたのが見えた。
男の手から一握りほどの球体が飛ぶ。周囲の霧を味方とするようにそこから煙が吐き出され、瞬く間に視界が白に覆われた。
「煙幕か」
「がう、がうっ!」
腰の革袋へ手を伸ばした直後、飛び上がったラグから警戒の声が上がる。その声に導かれるように、咄嗟に横へ飛んだ。
今まで俺が立っていた場所へ、短剣の刃先のような物体が次々と突き刺さった。恐らく毒針の類に違いない。
「飛竜斬駆」
絶妙の間で、セリーヌの鈴の音のような声が響いた。体を持っていかれるほどの強風が吹き抜け、煙を瞬時に吹き飛ばす。そうして、地面へ転がる三人の黒装束が顕になった。
眼前の光景に、俺は風の魔法石を取りやめ、雷の魔法石を手に取った。
放り投げた魔法石が砕け、舞い散る枝葉に混じり紫電が広がる。しかし、即座に身を起こしたふたりはその場を飛び退いていた。
「くそっ!」
素早く踏み込み、感電して倒れるひとりの喉を斬り裂いた。
あれだけの強風を受けながらこの反応。かなりの鍛錬を積んだ相手だ。恐らく、王城で戦った相手と同じ軍勢に間違いないが、王の左手だったエクトルさんが命を奪われたほどだ。暗殺を主とする集団なのかもしれない。
「セルジオン、全力で潰すぞ」
意識を集中した直後、視界の端でセリーヌが動いたのがわかった。馬に乗った彼女は、杖の先端を黒装束たちへ向けた。
「光竜爆去!」
彼女と男たちの間に球体が生まれた。それが瞬時に膨れ、光が溢れる。生み出された爆発力は辺りの木々を薙ぎ払い、男たちの苦悶の声が耳に届いてきた。
爆発の余韻が周囲の大気を震わせる。それはまるで、この林全体が彼女の力に恐れおののいているようにも思えた。
俺はその余韻へ飛び込むように、倒れて呻く男たちへ駆けた。彼等の首へ刃を振るい、止めを刺してゆく。そしてようやく一息ついたところで、馬上のセリーヌと目があった。
愛しさが溢れ出しそうな俺の心とは裏腹に、どこか冷ややかな彼女の瞳。それは、互いの温度差を如実に表していた。
こんなに近くにいるはずなのに、心の距離には大きな隔たりがある。もどかしさを抱えていると、彼女の艷やかな唇が動いた。
「リュシアンさん。しばらく会わない間に随分と雰囲気が変わりましたね……刺々しいというか、なんだか少し怖いです」
「怖い、か……」
自分で口にしながら苦笑が漏れた。
「そうかもしれないな。強くなるために、守るためには、変わるしかなかったんだ。でも、そのお陰で力を手に入れた。もう、前の俺とは違う。どんな相手にも屈しない」
「力に飲み込まれないよう、くれぐれも気をつけてください。過信するのは危険です」
「違う。俺はおまえのために……」
必死に訴えた途端、彼女は言葉を遮るように顔を背けた。濃紺の長髪が横顔を覆い、その表情を、心の内を見通すことができない。
空を仰ぎ見るセリーヌ。その視線を追うと、頭上を舞う鳥型魔獣の群れが目に付いた。
「ここで悠長にお話をしている場合ではありませんね。仲間たちとも引き離されてしまいましたし、戦いはまだ続いています」
「仲間がいるのか?」
「はい。ですが、私を守るために爆発に巻き込まれて……手練れの戦士たちですから無事だとは思いますが……実は、蝶の仮面を付けたあの魔導師が生きていたのです。崩落に巻き込まれて命を落としたと伺っていましたが、仲間を引き連れて襲ってきたのです」
「蝶の仮面? ユーグか」
即座にインチキ魔導師の顔が浮かんだ。
「それが、彼の者の名前なのですか?」
セリーヌに頷き返しながら、不安だけが増してゆく。王都から早々に去ったのは、このための布石だったというわけだ。
「あの野郎、こっちが本命ってことか……狙いは水流女王なのか?」
「プロスクレ様をご存知なのですか?」
「ご存知もなにも、俺はあの人との約束を果たすためにここへ来たんだ」
「私たちも、プロスクレ様に教えを請うために参じたのです。リュシアンさん、乗ってください。すぐに加勢へ向かいます」
「立場が逆だろ。それ、俺が乗ってきた馬なんだけどな……」
「そうでしたね」
「とぼけたところは相変わらずだな」
「私の杞憂でしたね……リュシアンさんはリュシアンさんですね。本質は変わりません」
彼女の柔らかな微笑みに、心を持っていかれる。伸ばされた手を握り返しながら、このままふたりでどこかへ消えてしまいたいという衝動に駆られていた。そんな俺を戒めるように、左肩へ降りてきたラグが一声吠える。
「飛ばしますから、しっかり掴まっていてください。あの……くれぐれも、変な所を触らないようにお願いします」
「こんな状況でそんなことするか! いいから先を急げ」
せめてもの抵抗に、僅かな間を空けて鞍を掴んだ。すると、彼女が着る純白のロング・コートが風に煽られ着崩れた。髪が風になびき、交差状に編み上げられた法衣の隙間から大胆に覗く、白い背中に魅せれてしまう。
「がう、がうっ!」
そんな俺へ再び警告するように、ラグが強い口調で吠え立ててきた。
苦笑いでそれに応えると、俺達を乗せた馬は一気に加速した。振り落とされないよう意識を集中させていると、鞍へ括り付けたままの荷物を思い出した。
「セリーヌ、馬を降りたら鞍の包みを解いてみてくれ。おまえに渡すために用意したんだ」
「私に? 何だというのですか?」
「新しい魔導杖だ。最高品質の魔鉱石から作り出した逸品だからな。魔力の伝導率も高いし、魔法力の消耗度合いも軽くなるはずだ」
「そんな上等なものを……本当によろしいのですか?」
「よろしいもなにも、悠久彷徨はセリーヌに渡すために作ってもらったんだ。使ってやらないと杖がかわいそうだろうが」
「ありがとうございます。ですが、次に会う約束すらなかったのに杖まで用意してくださっていたなんて……なんだか恐縮です」
「気にするなよ。俺が勝手にやったことだから。天使の揺り籠亭にある部屋だってそのままにしてあるし、冒険者登録も継続してる。今はマリーが腕輪を引き継いで、今日だって一緒に来てるんだぜ。おまえがいつでも帰ってこられるように、居場所は残してあるんだ」
セリーヌが振り返ることはない。彼女が今どんな顔をして、何を思っているのか。心の内を覗いてみたいと痛切に願ってしまう。
「積もる話は後ですね。まずは目の前に迫った困難を乗り切りましょう」
彼女の力強い言葉に頷き返した。





