20 甘美な世界
貴賓館を後にした夕刻、ようやく宿へ戻ってきた。王の左手の面々は貴賓館へ一部屋ずつを用意されているという。改めて待遇の違いを思い知らされてしまった。
大鷲の羽根休め亭と書かれた看板をくぐり、広い玄関口を抜けて二階へ。三階建てのこの宿は、規模も内装も天使の揺り籠亭とは雲泥の差だ。
生誕祭が間近ということもあり、すべての宿が満室だという。加えて、魔獣の襲撃で多数の負傷者も出ている。街へ点在する広場にパビリオン・テントも設営されたがそれでも足りず、城の外にまで明かりが広がっている。寝食できる場所があるだけでもありがたい。
「あれ?」
部屋の前まで来た時だ。扉の前に、シャルロットとマリーを見つけた。シャルロットはブラウスにズボンという服装だが、カートルというワンピース姿のマリーは新鮮だ。
「リュシアンさん、おかえりなさいっ!」
いつもの愛情突進で攻めてきた。さすがにここで避けるのは危ない。その華奢な体を抱きとめた途端、石鹸のような清潔感のある香りが鼻孔をくすぐった。
「ふたりでどうしたんだよ?」
胸の中のシャルロットと、扉の前で険しい視線を向けてくるマリー。ふたりを代わる代わる見ていると、シャルロットが顔を上げた。
「マリーちゃんと一緒に焼き菓子を作ったんです。ぜひ食べて欲しくて」
「へぇ。すっかり仲良しなんだな」
「はい。宿も同じ部屋にしてもらったし、素直で優しくて、とってもいい子ですよ。ここの女将さんには、姉妹みたいだねって。お人形さんみたいなマリーちゃんと比べたら、私なんて雲泥の差ですけどね」
舌を出し、照れくさそうに微笑む。
「シャルロットさん、何度言わせるんですか。またそうやって自分を卑下して。女神ラヴィーヌの加護も逃げていきますよ」
「そうだったね。ごめん、ごめん」
「とは言っても、私が大司教様からよく言われていた言葉なんですけどね」
ふたりが楽しそうに笑うので、こちらまで幸せな気分になってくる。するとシャルロットは体を離し、布の包みを差し出してきた。
「後でゆっくり食べてください。お疲れでしょうから、今日はこれで」
受け取った包みから甘い香りが漂い、左肩に乗っているラグまで鼻を鳴らしている。
「シャルロット。王都はこんな状態だけど、帰りに礼をさせてくれ。ベストまで台無しにしちまったし、新しい服を見に行こう」
「本当ですか!? 嬉しい!」
胸の前で両手を組み、飛び上がりそうな勢いで喜んでくれている。かと思えば、微笑みと共に意味ありげな視線を向けてきた。
「ひょっとして、私にエッチな下着とか着させるつもりですか? 相変わらずお好きなんですね。恥ずかしいけど頑張ります!」
「どうしてそうなる?」
両頬に手を当てるシャルロットは、いつもの調子に戻っている。俺としても、冒険者として今後の関わりもある。ぎくしゃくしてしまうことはどうにか避けたかっただけに、一安心といった所だ。
そこへ険しい顔のマリーが近付き、彼女の腕に触れた。
「行きましょう。この人といると、野蛮な気質がうつる気がします」
「だから、それはマリーちゃんの誤解だってば。リュシアンさん、凄く良い人なんだから」
「みんな騙されているんです」
なにやら酷いことを言われながら、ふたりの姿が遠ざかってゆく。
「じゃあさ、一緒にお風呂に入りながら、リュシアンさんの良い所を説いてあげるね」
「必要ありません」
「そんな顔したら美人が台無し。マリーちゃん、顔も小さくて本当に羨ましいなぁ」
「そんなことありませんって。シャルロットさんはとても魅力的ですよ。あの……抱きつくのは構いませんけど、胸を触るのは……」
「え!? マリーちゃんも結構……待って。どうしたらこんなに大きくなるの!? お風呂でじっくり聞かせてもらうからね」
「ふぇっ!? あっ、どこを触って……」
なんだか面白い組み合わせだ。シャルロットと一緒にいることで、マリーの寂しさが少しでも和らいでくれたら幸いだ。
包みを手に扉を開け、魔力灯に触れた時だった。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「は?」
硬直したまま、包みを落としそうになった。なぜかエロメイドが待ち構えている。というより、いつからここにいたのか。
シルヴェーヌは、前に見た際どいメイド服姿だ。頭にはカチューシャ。首にカフスを巻き付け、胸の谷間と背中を大胆にさらけ出している。おまけに膝上丈のミニスカートで太ももを見せ付け、膝下は黒の網タイツ。
「お風呂になさいますか? それとも私を召し上がられるのが先ですか?」
「いや、色々とおかしいだろ……っていうか、ランクS冒険者も招集されてますよね?」
スカートの裾をたくし上げるメイドに言い放ったが、彼女は顔色ひとつ変えない。
「何のことでしょうか。私はメイドです」
「頼むから、現実を見てくれ」
「ご主人様がお疲れだろうと思いまして。癒やして差し上げようという想いを察してください」
しなだれかかってきたメイドに、包みを取り上げられた。彼女はそれをテーブルに置くと、両手をついたまま顔だけを向けてきた。
「こんなものよりもっと甘いもの……甘美な世界をふたりで味わいませんか?」
テーブルに左手をついたまま、右手で再びスカートをたくし上げた。こちらへお尻を晒しながら、妖艶な腰付きで俺を誘っている。
「悪いけど、そういう気分じゃない」
「随分と素っ気ない対応ですね。そのご様子では、私の体の異変にも気付いていらっしゃらないんでしょうね」
「異変? 何があった!?」
俺が前に受けた呪いのようなものだろうか。
「エッチをしないとおかしくなってしまうという、非常に危険なものです」
「勝手におかしくなっておけ」
一瞬でも心配した俺が馬鹿だった。
すると、メイドは途端に真剣な顔へ変わり、カチューシャを外して歩み寄ってきた。
「リュシー、話したでしょ。誰でもいいから抱いて欲しいっていう衝動に駆られる時があるって……それがまた来てるの……エミリアンに薬を盛られたせいかもしれない」
「定期的に起こるものなんですか?」
「最近は収まってたんだけどね。お酒で紛らわせれば誤魔化せるくらいには。ヴァルネットにいた時は、リュシーがいたから」
すっかりシルヴィさんの顔に戻ったメイドは、すがりつくように抱きついてきた。
「リュシーが、他の男に抱かれてこいって言うなら従うから。ただ、あたしのことを軽蔑しないで欲しいの。これからも側にいさせて」
彼女を黙って抱きしめるしかなかった。
「軽蔑なんてしませんって。それに、シルヴィさんの力はこれからも必要です。戦うだけじゃない。俺たちの精神的な支えなんだ」
セリーヌの顔が胸をかすめた。罪悪感がないと言えば嘘になる。俺が今から口にすることが、正しいのかはわからない。
「どこの誰かもわからないような奴に抱かれるのはやめてください。シルヴィさんが、この人ならっていう相手を見つけるまで。それまでは俺が、シルヴィさんを癒やしますから」
「リュシー。ありがとう」
その夜、ベッドの中で本能のままに激しく乱れるシルヴィさんを見ながら、どこまでが真実なのか測りかねていた。
「もっと激しく! 何もかも忘れさせて!」
疑惑と疑念のすべては、欲望と快楽に満たされた官能的な世界へ飲み込まれていった。





