16 青き閃光
地面を転がりながら、左腕からはガラスの割れるような破砕音が聞こえていた。加護の腕輪が持つ魔力障壁が破壊された警告音だ。
「んふっ。残念ながら、読みは外れ」
三人のユーグが前方からゆっくりと迫っていた。残りのふたりは、街路樹へもたれたモニクを取り囲んでいる。
体を起こそうと両手を付くが、全く力が入らない。それどころか、右手の甲に残された痣からラグが飛び出してきた。こんな時に、竜臨活性の効果まで切れてしまうとは最悪だ。
「髪色も黒へ回帰。力は消失」
三人のうち、ひとりが俺の魔法剣を取り上げた。ふたり目は俺の左肩へ魔導杖の先端を据える。三人目はそれを傍観しているだけだ。
「さて、逆転の秘策は。はたまた無策か」
「手の内を簡単に明かすかよ」
ユーグの姿を見上げると、三人目はあらぬ方向へ視線を向けていた。
「レオン君とドミニク君はカンタンの娼館。そこらに残る傭兵では助けに成り得ない。さて、それではモニク君はどうだ」
俺も釣られるように視線を向けた。モニクはふたりのユーグから魔導杖を向けられ、完全に動きを封じられている。
「最も、突発的に組んだところで、お互いにどこまで信用できるものか」
「おまえと組むよりは確実だろ」
「んふっ。連れないことを。モニク君、君は私より信用されているようだが?」
話を振られた彼女は、苦い笑みを浮かべた。
「どちらに付くかと聞かれれば、困る質問だね。でも、ひとつだけ確実なことがある。私はボウヤと心中するつもりはないってこと」
「だそうだ。どうする、リュシアン君?」
俺も端からモニクを信用していたわけじゃない。ここであいつが手を引いたとして、俺の何かが変わるわけでもない。
目の前のこいつを。ユーグを倒すだけだ。
視線を落とした俺は、左肘の側にいるラグを見た。竜臨活性が切れた今、残された道は炎竜王を呼び覚ます以外にない。
「返事がないのは観念の意か?」
俺の左肩へ添えられていた魔導杖へ、魔力が収束するのがわかった。
「光爆創造!」
肩を衝撃が襲った。ハンマーで打たれたような重い一撃と共に、熱さと激痛が広がる。
「ぐあぁぁぁぁぁ!」
思わず苦悶の叫びが漏れた。だが、体が痺れて悶えることもできない。歯を食いしばり、苦痛に堪えるだけだ。
焼けるような痛みに呻いていると、額を脂汗が伝った。痛みに耐えかね拳を握ろうと思ったが、左腕が全く動かない。
「勢い余り、君の肩を壊してしまったか。お詫びと言ってはなんだが、この剣を返そう」
傷跡を狙い、鋭い痛みが加わった。火傷でただれた患部へ刃が食い込んできた。
激痛で頭の中は真っ白だ。この窮地を脱する方法。それを考える余地がまるでない。
「リュシアン君、残念だ。君とモニク君が加われば、大幅な戦力増強は確実」
俺の左肩を剣で刺していたユーグが、その勢いで背中を踏みつけてきた。肩にかかる負荷が増し、更に刃が食い込んでくる。
まるで地面へ貼り付けにされた虫けらの気分だ。這いつくばり、痛みに耐えることしかできない惨めな存在に成り果ててしまった。
「この世界に何を求める? その目で、醜い現実に絶望したばかりだろう。仲間ですら、淫乱奴隷の過去を隠匿。こんな世界は消し去り、すべて作り直せばいい」
「くだらねぇ。その発言を撤回しろ」
シルヴィさんをそんな風には呼ばせない。
怒りに歯噛みしていると、ふたりのユーグが遠ざかっていった。石畳は無残に砕け、あちこちへ瓦礫が転がる歓楽街の大通り。そこまで歩み出ると魔導杖を掲げた。
「斬駆創造!」
真空の刃が飛び、逃げ遅れた人たちや負傷した傭兵を斬り裂いてゆく。
「やめろ!」
俺の叫びに応えるように、三人のユーグは一斉に笑いを漏らした。
「やめろと言われて留まるのなら、世界を変えるなど愚か。我らの理想は高い。この国の愚か者たちへ思い知らせ、鉄槌を下す」
「勝手なこと言ってんじゃねぇ。俺たちはここで生きてきた。これまでも、これからも。愚かなのはてめぇだろうが」
「相互理解は不可能。残念だが、リュシアン君には引導を。新世界に君の居場所はない」
背中を踏みつけていたユーグが離れ、俺の視界の先へ三人が並び立った。各自が魔導杖を構え、その先端へ魔力が収束してゆく。
「セルジオン。さっさとしやがれ……」
炎竜王へ当たり散らすように吐き捨てた。だが、元を辿れば自分自身の力不足が招いた結果がこれだ。手に負えなくなり、炎竜王の力へすがろうとしているに過ぎない。俺は自分の行動に責任を持てない弱者だ。
「闇照らす光、希望の証……」
この詠唱は光の魔法だ。俺の左肩を破壊した圧縮型とは違い、広域展開の効果を持たせた爆発属性の魔法で確実に仕留めるつもりか。
「この身へ宿りて……」
だが、その詠唱が完成することはなかった。
闇を切り裂く勢いで、三人のユーグたちの背後を青白き一筋の閃光が駆け抜けたのだ。
その閃光は砂塵を巻き上げ、三人目のユーグの隣で停止した。
「零水一閃」
人影は静かな声を漏らした。
刃が払われる小気味よい音と共に、鞘へ収められる金属音。それを追うように、三人のユーグの上半身が地面へ崩れ落ちた。
「どうしてこんな所に……」
モニクのかすれた声が聞こえた。
「止水の剣聖、ヴァレリー=ブランジェ。これはまた、想定外の珍客」
モニクの言葉を遮るように、ユーグのひとりが声を上げた。これで残るはふたり。俺を襲った三人も偽者だったということか。
「剣聖? 王の左手か……」
魔力灯の仄かな明かりが、その人影を浮かび上がらせた。
中性的で端正な顔付きをした人だ。切れ長の目には落ち着きと力強さを感じる。すっと通った鼻筋と、引き締められた小さな唇と細い顎。胸元まで伸びる黒髪。
俺よりも身長が低く、一見儚げにも見えるのだが、その全身には気迫が漲っている。
身につけているのは銀色の軽量鎧。恐らく魔力を秘めた上等な品に違いない。そして胸の膨らみを見て、相手が女性だと気付いた。
今更だが、王の左手のひとりであるフェリクスさんから他の四人についての詳細を聞いていない。剣士と拳闘士がひとりずつ。そして魔導師がふたりだったはずだ。
かつては共にパーティを組んだ間柄だと言っていたが、王の左手に任命されたことを機に解散。それぞれが後進の育成や研究に励んでいるという程度の知識しかない。
「騒がしいと思って立ち寄ってみたが、あなたがこの騒動の元凶?」
剣聖は剣の柄に手をかけ、腰を低くして身構えた。剣を収めた鞘が、途端に光を帯びてゆく。恐らく鞘に収めることで、魔力を蓄積させることができるのだろう。
「んふっ。ならばどうする。止水の剣聖とて恐れるに足らぬ」
ふたりのユーグが同時に杖を構えた。その一瞬がすべてを分けた。
剣聖が地を蹴ると同時に、ふたりのユーグは燃え盛る火球を放った。
「暴風創造!」
その瞬間を待っていたように、ユーグの背後で大きな竜巻が生まれた。そうして、風に包まれた女魔導師モニクの体が宙へと舞い上がる。
竜巻の不意打ちに弾き飛ばされた、ふたりのユーグ。彼らは前のめりになって体勢を崩した。剣聖がその好機を逃すはずがない。
「零水一閃」
再び解き放たれた剣聖の一閃。それが火球を斬り裂き、魔導師たちすら両断していた。
視界の先で、ふたりのユーグが遺体となって転がる。しかしそれと入れ替わるように、夜空へ舞い上がる大鷲型魔獣グラン・エグルの姿があった。
その脚が持つ鋭い鉤爪は、見慣れた魔導師を抱えて飛んでいる。
またしてもやられた。ここに見えていたすべてのユーグが囮だったというわけか。
「有用な戦闘情報の獲得に感謝。リュシアン君、今回も勝負は預ける」
拡声魔法に乗って忌々しい声が飛んできた。それを聞きながら、右拳で地面を打つことしかできない。
「くそっ。ふざけやがって」
ランクールの人々、ドミニクの部下、オルノーブルの人々。その犠牲は計り知れないほどに膨れ上がっている。最早、あいつを止めることは俺の使命なのかもしれない。
そしてこの状況で、ようやく体が自由を取り戻してきた。手のひらが切れることも構わず、肩に刺さった剣を引き抜く。大きな虚脱感を覚え、そのまま地面へ座り込んだ。
「ちくしょう!」
地面へ剣先を打ち付け、天を仰いで大声で吠えた。
気付けばモニクも消えている。やり場のない怒りの叫びは、夜空へ虚しく吸い込まれた。





