11 あいつの好きにはさせねぇよ
「とりあえずの応急処置だからな」
荒くれどもの喧騒亭にある保管庫。そこで食材の入った複数の木箱を見つけ、箱へ覆い被せるようにアンナをうつ伏せに寝かせた。
店主から薬箱を借り、傷口の洗浄と消毒。腰の皮袋から出した、止血と痛み止めの軟膏が塗られた湿布を貼り、包帯で固定した。
「縫合したら傷跡が残っちまう。寺院へ行って、癒しの魔法で治療するしかねぇ」
箱を降り、床へ座り込むアンナ。不満と焦りの滲んだ顔で、俺を見上げてきた。
「傷なんてどうでもいいから。アンナは気にしないから、すぐに縫ってよ」
「俺にそんな技術があるわけねぇだろ。傷跡にしたって、女性なんだからそういうことには気を使え。それに傷の深さもわからねぇ。万一、歩けなくなったら大問題だ。きちんと診てもらえ。戦いは俺たちがなんとかする」
何気なく、後方に立っているレオンの顔を伺うと、奴は機嫌を損ねた顔をした。
「なに? おまえが癒しの魔法さえ使えれば、みたいな顔はやめてくれないかな」
「何も言ってねぇだろうが」
やはり、マリーの不在は痛手だ。彼女の魔法力なら、十分もあれば完治するはず。エドモンで三十分。寺院へ連れて行ったとして、並の司祭では一時間は必要になる。
無い物ねだりをしても仕方ない。気を取り直し、レオンと向き合った。
「アンナを寺院まで護送してくれないか。俺はみんなを助けに戻る」
すると、レオンは盛大な溜息を漏らした。
「ひとりでどうにかできるとでも? それに、寺院だって傭兵たちが先回りしている可能性がある。無闇に飛び込むのは気違いだよ」
「じゃあ、どうしろって言うんだ」
「こんな所で喧嘩しないで!」
保管庫にアンナの声が響いた。
「いつもいつも……なんで仲良くできないの? ふたりが組めば最強なんだから」
「がう、がうっ!」
木箱に乗っていたラグまで、アンナの意見へ賛同するように吠えたてる。
「そんなこと言われたって、いきなり絶妙の間で動けるか? そういうのはお互いの信頼関係が大事だろうが」
レオンの実力は認めるが、俺を敵視している傾向がある。そんな奴と簡単に歩調を合わせられるとは思えない。
「そんなの簡単だよ。碧色、あんたが俺に合わせてくれればいい」
「は? 剣も魔法も使えるおまえは、どう見たって支援役だろうが。俺に死なれたら困るって言ってたのは、どこのどいつ様だよ」
「あの場では困る、って意味だったんだけど」
俺を威嚇するように、レオンの目が不意に細められた。
「言ったはずだよ。俺はマリーを助けられればそれでいい。そうなれば、取るべき行動はただひとつ。カンタンを追い、奴を殺す」
「あくまで最優先はマリーかよ。緊急性が高いのは、どう見てもシルヴィさんだろ」
「よく考えてみなよ。魔導師と甲冑剣士は、エミリアンの部下。となれば、カンタンの側にはザコの傭兵だけ。人質もわかるけど、あの人だってランクSの冒険者だよ。自分の身を守れなかったのは、あの人の落ち度だ」
「そういう言い方はねぇだろ。それに、ユーグと肉人形もいる。こっちは俺とおまえだけだ。ドミニクも、どこで何をしてるんだか」
レオンはすかさず呆れ顔を向けてきた。
「どうせ裏切ったんだよ。あんな賊ごときに、いつまで頼るつもり?」
「あいつは家族同然の仲間を助けることに執着してた。急にいなくなるのは変だろ」
「別になんとも。とにかく、俺は好きなようにやらせてもらうよ。あんたがエミリアンを追うつもりなら、ここからは別行動だね」
「勝手にしろ。でも、カンタンは殺すな」
「もう。リュー兄も冷静になってよ。あれだけの相手と戦うんだよ。レン君と協力して、マリーちゃんを先に助けるべきでしょ。アンナだって、今すぐ助けに行きたいんだよ。シル姉が、よりによってあの男に捕まるなんて」
瞳に涙を浮かべたアンナは、赤毛の短髪を闇雲に掻き乱している。
彼女の気持ちも怒りもよくわかる。いや、エミリアンへの恨みといってもいいだろう。
「悪かった。アンナの言う通りだ」
竜臨活性を途中で解いたとはいえ、反動が襲ってくるのは時間の問題だ。その時に動けるのがレオンだけでは絶対に勝てない。革袋から取り出した魔力石で力は回復したが、あの反動だけは避けられない。
「まずはマリーだな。その後で、すぐにシルヴィさんを助けに向かう」
「リュー兄。シル姉をお願い……助けてくれたら、アンナが何でも言うこと聞くから」
俺のスボンを掴んできたアンナ。その乱れた赤髪をそっと撫でる。
「任せろ。あいつの好きにはさせねぇよ」
決意と共に、パメラとルネを見た。
「俺とレオンが暴れれば、傭兵どもの注意を引けるはずだ。その隙に、アンナを寺院へ連れて行ってやって欲しいんだ」
投げかけに、パメラがひとつ頷いた。
「わかりました。私が先に行って様子を見てきます。ルネはここに隠れていて」
「クロスボウと双剣、それからシルヴィさんの斧槍も置いていく。これも見張ってくれ」
俺たちの言葉に、ルネは黙って頷いた。
アンナの治療中も、ルネは一言も発していない。この子もこの子で事情がありそうだが、よく見れば額へ脂汗が滲んでいる。
「この子、大丈夫か。顔色が悪いぞ」
「ルネ。どこか痛むの?」
パメラの問いかけに、首を横へ振った。
「具合が悪いなら、アンナと一緒に寺院で診てもらえ。レオン、早速仕掛けるぞ。カンタンのことだ。娼館のどこかにいるんだろ。インチキ魔導師に会わないことを祈るだけだな」
そうして俺たちは慎重に店を飛び出し、夜の闇へ紛れた。
カンタンが身を潜めるとすれば、中央にあった別棟のどこかだろう。マリーが一緒に戦ってくれれば、戦局はこちらへ傾くはずだ。
石畳で舗装された裏通りを駆け抜ける。
この街は王都に近い交易地点。酒場が多いだけでなく、賭博場や娼館といった娯楽も豊富にある。こんな時間でも街は賑わいを見せ、通りにも人の姿が溢れていた。
「なんだか不気味だな」
「なにが?」
隣を走るレオンが、俺のつぶやきを拾う。
「傭兵がいねぇ。捕まえる気がないのか?」
「無闇に戦力を分散させるより、ひとつ所に集めた方がいいって考えなのかもね」
インチキ魔道士の肉人形にしても同じこと。全戦力で迎え撃たれたら相当に厄介だ。
程なく、歓楽街の入り口が見えてきた。女性の姿をした看板が門扉の隣へ立てかけられている。覚悟を決めて、そこを通り抜けた直後。
「見つけた」
声は頭上から降り注いできた。
音もなく着地するひとつの影。俺はその姿を見据え、即座に魔法剣を引き抜いた。
「ひとりで来るなんて意外だな」
「こっちにも色々あるのよ。わざわざ抜け出してきてあげたんだから、感謝してほしいわ」
俺の言葉に、女魔道士のモニクが微笑む。
「何が狙いだ」
「ユーグに邪魔されて、ゆっくり話もできなかったじゃない? あなたが殺される前に、聞いておきたいことがあるの」
握った魔導杖を手の平へ打ち付け、物色するようにうろつくモニク。道端へ放置されていた木箱を見つけると、そこへ腰を下ろした。
「俺の死は確定か。随分と自信があるんだな」
「まぁね。さっきの戦いで、あなたたちの力は底が見えたから」
意味深で、感情を逆撫でするような笑み。俺が鼻で笑い飛ばすと、モニクはゆっくりとした動作で脚を組み直した。
膝上丈で露出の高い魔導服。そこから覗く色白の脚が艶かしく、つい視線が向いてしまった。年齢は三十半ばといった所か。円熟味を帯びた大人の色気を漂わせている。
俺の視線に気付いたモニクは、笑みを更に深くした。
「私の質問に答えて。返答次第では、あなたたちへの対応を改めてもいいわ」
「改めるってのは、どういう意味だ。雇い主のエミリアンを裏切るのか?」
「あの人とは、どうせお金だけの関係だし。私とドゥニールは旅の路銀が必要だったから、一時的に護衛を請け負っただけ」
「その言葉を、すんなり信用するほどバカじゃねぇ。あんたはユーグと繋がってた。あいつの仲間なんだろ?」
「ただの顔見知り。彼が所属してる団……なんだっけ? 終末のなんたら」
顎に手を添え、虚空へ目を向けるモニク。とぼけているわけじゃなく、本当に思い出せないらしい。
「終末の担い手、か」
「それそれ。入団してくれって、前からしつこく誘われてるのよ」
「待て。終末の担い手っていうのは、あいつの呼称じゃなくて、組織の総称なのか?」
まさか複数で構成されているとは思わなかった。俺たち冒険者が持つ、二つ名のようなものだと誤解し続けていた。
「今はユーグのことは忘れなさい。あなたは私といくつかのやり取りをする。それだけに集中してくれればいいの」
釣り上がり気味の目が、闇夜の中でも鮮烈に浮かび上がって見える。それに飲み込まれないよう、跳ね除ける勢いで睨み返した。





