04 オルノーブル歓楽街
商業都市という表の顔から一変、日暮れと共に裏の顔が姿を見せる。性の香りが充満し、男女の欲望が入り乱れる一画。オルノーブル歓楽街。
二階建ての木造建築物が軒を連ねているが、それらの多くが娼館だ。間には酒場や雑貨屋も見受けられるが、娼館以外の建物を探す方が難しいくらいだ。
舗装された石畳には魔力灯が等間隔で並び、この通りだけは昼のように明るい。
「さぁ、お兄さんもどうだい? 安くしておくよ。女の子を見るだけでもどう?」
あちこちに立つ呼び込みの男たち。すれ違っただけで即座に声を掛けられるものだから鬱陶しくて仕方ない。そんな店員に混じって、野良の娼婦までもが声を掛けてくる。
「ねぇ。一晩買ってくれない?」
すかさず腕を取られるが、相手をしている場合じゃない。やんわり断った側で、別の娼婦と話を付けた男が宿の中へと消えてゆく。
こうして街を見回すと、軽量鎧で武装した男たちをそこかしこに見受ける。しらふを保ち二人一組で行動する彼等こそ、治安維持に努める傭兵団に違いない。ドミニクの情報通りなら、百人程度が滞在しているはずだ。
「それにしても、妙な取り合わせだよな」
歓楽街の大通りを進むドミニク。その後ろ姿を眺めて苦笑が漏れてしまった。
「どうしたんスか?」
隣で、エドモンが不思議そうな顔をする。
「ドミニクも、着替えを済ませてそれなりに見えるようにはなったよ。で、俺たち三人は、歓楽街へ遊びに来た金持ちを護衛する冒険者。設定が強引すぎねぇか?」
「同感っスよ。ボロを出しそうで怖いっス……ドミニクの旦那の偽名がドミン。リュシアンの旦那はリアン。レオンの旦那がレオノール。オイラはエド。覚えやすくしてくれたとはいえ、うっかり間違えそうっス」
ドミニクが上手くやってくれるだろうが、安心していられないというのも事実だ。
不意に視線を感じて目を向けると、エドモンの隣を歩いていたレオンが、俺たちを威圧するように睨みを効かせていた。
「強引だろうと不安だろうと、この作戦で成功させるしかないんだ。もしも失敗したら、次はないと考えた方がいいよ」
その右手の動きを見逃す俺じゃない。
「剣に手を掛けるな。まさか俺たちを脅してるわけじゃねぇよな?」
「気構えの問題だよ。不抜けたことを言い続けるなら、気合いを入れ直そうと思っただけ」
「仲間にも武力行使かよ!?」
「穏やかじゃないよねぇ」
俺の突っ込みに乗じて、ドミニクが笑った。
「マリーのことが心配なのはわかるけど、それにしたって度が過ぎるだろ。もう少し、落ち着いたらどうなんだ?」
傭兵どもの館に着いたら、皆殺しにしかねない勢いだ。不安で仕方がない。
「これでも落ち着いているけど」
レオンはぶっきらぼうに言い放つと、魔力灯が彩る夜の街へ物憂げな視線を投げた。
「邪魔をする奴がいれば、ひとり残らず排除できるくらいには冷静だよ」
どうやら、いくら言っても無駄だ。ドミニクが穏便に収めてくれることを期待しよう。
そして俺たちは騒々しい歓楽街を抜け、緩い傾斜の先にある住宅街へ入った。この一帯は歓楽街で財を成した富裕層や、人気を誇る娼婦たちの邸宅が並んでいるのだという。
「ここだねぇ」
ドミニクが見上げているのは、その中でも一際大きな建物だ。ヴァルネットの街にある天使の揺り籠亭。あれが二軒収まってしまうほどの規模を誇っている。
「でかい屋敷だな……まさか傭兵たちが、この街の警護報酬で建てたわけじゃないよな?」
鉄の門扉を抜けた先には石畳が延び、建物入口の両脇へ、ふたりの見張りが立っている。
「リアン。そうだとしたら、ここの傭兵たちは相当に残念な頭だってことだよねぇ」
ドミニクは俺の言葉を鼻で笑う。
「この屋敷の持ち主は、カンタンって男でね。あそこの歓楽街じゃ、その名を知らない奴はいないってほど有名さ」
「へぇ。だとすると、マリーを攫ったのもそいつが絡んでるってことか?」
「その言質を取る意味も兼ねて、わざわざここまで来たわけなんだけどねぇ。さてと、ここからは一層慎重に頼むよ」
事前に打ち合わせた通り、屋敷の前でレオンと別れた。ここからは、三人と一匹だ。
ドミニクは身に付けた服の襟元を正し、背筋を伸ばして敷地内へと踏み込んだ。しかし案の定とでも言うべきか。見張り役のふたりは怪訝そうな表情を浮かべている。
恐らく二十才前後。歳は俺と大差ないが、こんな所で見張り役とは、ほんの下っ端だ。
「何の用だ?」
警戒心を剥き出し、剣の柄へ手を添える。ここを訪れる部外者は珍しいのかもしれない。
「大将に会いたいんだ」
ドミニクは、つとめて落ち着いた声で言う。
「ここにはいない。いたとしても、おまえのような奴には会わない。どういう関係だ?」
「居場所だけでも教えて貰えないかねぇ」
ドミニクは腰へ提げた革袋を外し、そこから抜き出した数枚の硬貨をふたりへ渡す。とはいっても、その金は俺が貸したものだが。
後ろから盗み見ただけだが、各自が一ヶ月は食い繋いでいけるほどの金額だ。人の金だと思って好き勝手に使いやがって。
「大将と面識はないんだけどねぇ。市場へ流れる前の初な女が欲しい、ってカンタンに相談したら、ここを紹介されたってわけ」
すると、ふたりの見張りは顔を見合わせ、小声で何かを話し始めた。
「ここで待ってろ」
ひとりが中へ消え、待つこと数分。武器を預けることを条件に、入館を許可された。
扉を抜けた瞬間から、仄かに漂う香水の香りを捉えた。恐らく、娼婦たちもこの屋敷に出入りしているのだろう。傭兵たちが街で買い付け、ここで行為に及んでいるのかもしれない。
そうして金が回るのは悪い話じゃない。この街がこれだけの発展を遂げているのも、金が上手く循環しているからだろう。
「隊長は不在だが、副長のひとりであるサロモン様が、会ってもいいと仰ってくださった。我ら闇夜の銀狼が誇る双剣の使い手。連戦連勝の英雄だ。くれぐれも粗相のないようにな」
「そいつはありがたい話だ」
恭しく頭を下げるドミニクに続き、ホールへ敷かれた赤い絨毯の上を進んだ。絵画や調度品に彩られたその場所を抜け、緩いカーブを描く階段を登って二階へ。ラグも初めて訪れるこの場所に興味が沸いたのか、しきりに首を動かして辺りを伺っている。
廊下の左右にはいくつかの扉が並んでいる。実際に中へ入ってみるとかなりの広さだ。カンタンという男は相当なやり手らしい。
「この部屋だ」
見張りの男は扉をノックすると、それをゆっくり押し開けた。
小綺麗な部屋だ。十人は楽に座れる大きさの長テーブルが中央に置かれただけの簡素な内装。打ち合わせ用の部屋なのかもしれない。
テーブルを挟んだ対面へ座るのは、三十才前後とおぼしき男。端正な顔付きと鋭い目付き。落ち着き払った佇まいだが、全身からは闘気が漲っている。彼が副長のサロモンか。
「まぁ、掛けなよ」
案内役が退室すると、サロモンは椅子を勧めてきた。ドミニクだけが従い、護衛役の俺とエドモンは壁を背にして控えた。
「隊長が出払っていてね。すまないが俺が応対させてもらうよ。副長のサロモンだ」
「ドミンと言います。故郷の街では、細々と商いをやらせてもらっています」
「話は手短に済ませたくてね。奴隷の女を買いたいって、完全に行き先を間違えてるよ」
「おかしいですねぇ。カンタンから、ここへ行けと言われたんだけどねぇ。あちこちから連れてきた、活きのいいのがいるってね。変に仕込まれていない、初な娘が欲しくてねぇ」
すると、サロモンの目に怪しい光が宿った。
「カンタンさんとの間で、妙な誤解があったみたいだな。確かに、街のあちこちで買った娼婦たちを連れ込んでるよ。隣の部屋でもお楽しみの最中だ。若い奴らは盛って困るよ」
「それは娼婦でしょう? 私が欲しいのは、奴隷市場へ流れる前の生娘なんですよねぇ」
「あんた。その話、他言してないよな?」
不意に、サロモンの声音が低くなった。と同時に、会話へ含まれた違和感に気付いた。ドミニクの言う奴隷市場とは何のことだ。この話には、俺の知らない何かがある。
「もちろん言うわけがありません。気立てのいい娘をひとり譲って貰えれば満足です。それが叶えば、私は再び店へ籠もるだけです」
サロモンは目を閉じ、深いため息を吐いた。
「わかった。付いて来い。ただし、あんたの他に護衛はひとりだけだ」
ドミニクと目が合い、俺は黙って頷いた。するとその時、背後の扉がノックされた。
「なんだ?」
サロモンが答えると、勢いよく扉が開いた。そうして若い兵士が顔を覗かせ、俺たちを見るなり顔を強張らせたのがわかった。
「何の用かと聞いている」
「すみません。“膝枕”に侵入者の形跡が」
「なんだと!?」
サロモンが慌てた様子で席を立ったが、何のことだかわからない。
「女神の膝枕……確か、カンタンが経営する最も大きな娼館の名前だよねぇ?」
ドミニクの言葉に、傭兵の動きが止まる。





