難民と名もなき国
フィゼラー大森林を挟んださらに北に位置する国、ザンナル。皇帝を擁するこの国は広大な国土と精強な兵士、そして盛んな商売を行っていた。だがこの国は亜人に対する締め付けが大変厳しく、最近になって国を捨てて逃げ出す者が後を絶たなかった。
「今月に入って早くも千に届くかといった状態か・・・乾民も釣られて逃げ出している」
ザンナル帝国大臣、クリムツカはため息を溢した。奴隷や乾民(貧民の蔑称、ザンナルでは水は農業や産業全てに関わる為富の象徴とされ、『持たざる者は乾いていく』というザンナルの故事から)といった労働者が産業を支えるこの国では労働力として優秀な獣人や亜人の脱走に頭を悩ませていた。
「大臣閣下、なぜ此処はそんなに酷いのでしょうか?」
御付の文官がそう尋ねる。
「おそらくフィゼラー大森林があるからだろう・・・あそこは天然の迷路だ。獣人や案内がある行商人ならばともかくあんな入り組んだところを大人数で入ったところで追いかけるのも連れ戻すのも採算が合わないと放置してきたツケだなこれは」
ザンナル帝国は平原を中心に栄えた国で農業などが盛んだが林業などには疎く、岩石や焼きレンガで出来た建物で生活していた。そして交易ルートも大森林を避けて海路かさらに大回りの街道を通って行商人を使っての交易だった為公的機関が国を出たことがほとんど無いといった有様であった。
それ故に森林を開拓したり、木材加工といった産業も民間レベルで止まっており馬車などもサマルやリットリオに比べてずいぶんとお粗末であった。
だがその代わりに草原を走破する機動力を持ち、彼らの国の特産品である軍馬を擁した騎馬隊は精強であった。そしてパイクや密集陣形といった防御陣形にも妙があり攻守のレベルは高かった。
一方で極地を移動できる装備や隊はおらず、それ故に地図もなく鬱蒼としていて来た道を正確に帰還する術もない大森林には誰も手を出せずじまいであり、それが亜人たちの脱走の一助にもなっていた。
「だがそれにしたって多い・・・」
「大臣閣下!大変です!潤民が国外逃亡を計った模様です!」
「なんだと?!」
潤民とは読んで字の如く潤沢な資金や資金として担保できる水源などを持つ富裕層である。そんな彼らが離脱を計るとなるといよいよもって不味い事態になる。
「何処へ向かった?」
「それが・・・フィゼラー大森林で」
「またあそこか・・・どういうことだ?潤民の出自を調べろ!」
「はっ!」
足早に出て行った部下を尻目に大臣は顎に手を添えて考える。今回の脱走は本当に不思議だ。
確かに奴隷や乾民が逃げ出すのは昔からあった。しかし今回は数が多すぎる、そして潤民までもが・・・。
「わが国に仇なす者の存在が・・・?考えすぎか?」
クリムツカは祖国に迫る影を感じ薄ら寒い感触を味わう・・・。
「それでは戸籍の配布を行う!皆一列に並んでくれ!」
一方、ヴォルカン達の方では難民の流入の対応に追われていた。
ザンナル帝国での逃亡者の中にある潤民とはザンナル帝国で富裕層として活動していたエルフだった。
彼女達は表立った活動こそしていなかったものの獣人達の積極的な保護を訴えて支持を広げていたのだ。
しかしヴォルカンの建国を彼女達のネットワークで察知したエルフ達は徐々に資産の売却などを始めた。秘密裏に進めたつもりであったが獣人達にとっては死活問題であり、庇護者の引き留めを計るものや同行を願うものなどが増えてしまったのだった。
それゆえに人数も雇っていた獣人プラスその家族と親類ということで膨大な数になってしまい駆け落ち等で済ませるはずだった出奔が大規模なものになったのだった。
「旦那様、いかがいたしましょう・・・」
「増えるのはいいが出所が出所だ、下手するとザンナル帝国とやらと外交問題になるやもしれんな」
今までのは貧民の夜逃げ程度だったんだろうがそれが富裕層の脱出となればそれはただ事ではない。
ましてや今回の騒動が何度か続くとなると夜逃げから計画的な亡命になってしまう。なにせエルフ達は俺の身内だ、スパイ扱いされても可笑しくない。
「下手をすると開拓ついでに滅ぼされかねん」
生活に窮して逃げ出すのと市民が亡命を先導しているとなると事情が全然ちがうからな。
「そんな!それでは同胞達はどうすれば・・・?」
「ん?なんだその悲劇のヒロインみたいな顔をして・・・誰も亡命者を追い返したりはしないぞ」
「そうなのですか?」
「おれとしても国民の頭数は欲しいところだ、それがエルフ達に無条件で従ってくれるというなら尚の事だ」
本来なら逃げ出してきた獣人達になにかしらの対策がなされているかとも思ったが彼らには刺青が彫られているだけで特になにも魔法や拘束などはなかった。なのでささっと魔法を使って刺青を消し、知らぬ存ぜぬを繰り返すことにする。
(ただ、いざと言うときの為に兵力と軍事力を増強する必要があるな・・・。まさか突然必要にに迫られるとは思っていなかったが、俺達の国の独立の第一歩と思えば避けられない戦いになるかもしれない。自分の身も守れない国を誰も国とは認めないだろうからな)
慣れない政務に追われながら俺は頭の中で対策を練ることにする。