マッド・ハッター
一閃、クロウの目がその光を捉える事が出来たことは暁光と言えるだろう。
それ程までに、真横にあった路地は暗く闇深かった。
いつの間にか、雲に隠れていた月の僅かな光を跳ね返したそれは刃物特有の鋭さで、クロウを肉薄する。
「ちっ」
クロウは小さく舌打ちをすると身をのけぞらせ距離を置こうとした。
その瞬間、ツルッと持っている鎌が手から抜け落ちかけ、慌てて
「レイ!!カフス!!」
そう叫べば、まだかろうじて手の内に収まっていた、大鎌が右手の袖に釦になって収まった。
「あっぶねぇ。もう少しで落とすとこだった。」
小さく呟けば、頭の中でレイヴンが
『気を付けてよねクロウ!!少しでも体から離したら、最初からやり直しなんだから!!』
「わあってるよっと、おっと危ない」
シャッと刃物が滑る音がして、それをバクてんの要領で避ける。
ついでに、脚で顎を狙ってみたがよけられた。
更に追撃をしてきた、珍入者の剣戟はやはり鋭く、あっさりとアウフとの間に入られてしまった。
「レイ、ロッド」
ある程度距離を置いて右手のカフスボタンに触れ小さく呟けば、クロウの手の内に棒状の武器が現れた。
「さてと、敵さんはアウフの仲間かな?いや、それにしては大きすぎる」
アウフの仲間が、現れたとして、それはせいぜい10歳程度の身長しかないことをクロウは知っている。
目の前にいるのは、クロウよりも身長が高いし、それになんだかずんぐりしている。
冷静に観察していると不意に、雲が風に流されて隠れていた月が顔を出した。
そして、その光に照らし出された敵の姿に思わずずっこけてしまった。
…………一言で言うなら、帽子で有る。
目の前の珍入者の頭は、騎士だか吟夕詩人だかが被っていそうな、羽根飾りが付いた鍔広の帽子に覆われていた。
それだけなら、まだ許せる。
(こんな時間に、あんな帽子被っている時点で、変人確定だが)
問題は、男の服装だ。
まず、左肩に山高帽、右肩にシルクハット、鎖で吊しているのか連なるように、鳥撃ち帽、鹿撃ち帽、テンガロンハットに野球帽、キャスケット帽に婦人用鍔広帽、よく見ればニット帽までぶら下がっている。
帽子、帽子、帽子、帽子………頭が痛くなりそうだ。
その姿はまさに、
「マッド・ハッター」
イカレ帽子屋の名に相応しい。
小さく呟いたが、どうやら珍入者………というか変人を通り越した変態の耳に、届いたらしい。
「なっ!?」
驚いたような声と共に、相手の警戒心が跳ね上がった事がクロウには、関知する事が出来た。
「貴様何故、僕の名前を!?」
「本名かよ!?」
思わず、突っ込みを入れてしまったクロウは、悪くない。
いや、違う。
突っ込みを入れてから、クロウは首を横に振り頭を切り替える。
冷静に考えて、マッド・ハッターという名前は有り得ない。
有るとするならそれは
「あー、レイヴン?コイツもしかしなくても、御同類だよな?」
一瞬、コードネームみたいな物かとも思ったが多分違う。
気配がするのだ。
自分と、弟と、そして家族と似たような気配が。
だからこそ、判る。マッド・ハッターは、目の前の男の本名では無い。
だが、その名前しか名乗れない。
その事を……。
『あー、多分ね。というか、クロウこの変人さん軍人みたいよ?腕章付けてる』
「マジか……トランプじゃ、無いよな?」
トランプとは、この国の警察機構の呼び名だ。一応、軍には属している。
ハート、スペード、ダイア、クローバージョーカーがあり、それぞれ管轄する
地区が違う。
今いる町には、ハートが居るはずだが、クロウとはそれなりに懇意で有り、事情もある程度知っているから、邪魔される事は無い筈だった。
それにこんな、愉快な格好をしていて軍に入れるとか、この国大丈夫だろうか?
今度、妹としっかりお話しようとクロウは心に決めた。
「さっきから何ボソボソと1人で喋っている、この変質者!!」
どうやらマッド・ハッターさんが痺れを切らしたらしく、大きな声で叫び、クロウに切りかかってきた。やはり、その剣戟は速く鋭い。
「うわっち、あぶねぇ。ってか誰が変質者だ変人!!」
いきなり切りかかってきたのと、不名誉な呼び名に、クロウの額に血管が浮かんだ。
「大体なーんで、同類に攻撃されなきゃなんだっつうの!!」
言葉と共に、手に持った棒で剣を弾く。
だが、マッド・ハッターの力はなかなか強く、手放させることは出来なかった。
「!?何を言っている!!こんな夜中に、幼気な子供を襲うような輩の同類になった覚えなんぞ無いわ!!」
返す刃で棒を叩き斬らんとしながら、吐かれた言葉に、クロウの目眩は激しさを増す。
確かに、クロウのやっていることは、端から見たら夜中に五歳にも満たない子供を襲っているようにしか、見えないだろう。
だが、同類にだけは、言われたくないのだ。
何故なら、同類………しかもマッド・ハッター程の力の持ち主ならば、少なからず自分達と同じ役目を担っているはずなのだから。