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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

SF・ホラー短編

闇で恐怖を塗りつぶす

作者: 相戯陽大

闇は何も見えないから怖いのです。この世で最も怖いものが見えても対処のしようがないものなら、闇は唯一の安息になるでしょう。

傷だらけでボロボロの部室、校門前の誰を象ったのかわからない真っ黒な男性の像、見た目は歴史がありそうなものだが実は創立30年だと言う大学、ここに入学してから早1ヶ月が経っていた。学生の本分は学業だ、と耳にタコができるほど聞かされた新入生ガイダンスも終わり、サークルの仲間と馴染み始め、この学校の居心地がすごく感じている。 考えてみれば大学生というのはいい身分だ。言ってみれば名誉のある無職。単位を取らなければいけないなんていうのは学生自身が決めた目標であり、人から強制されるものではない。自由すぎて何をしていいのかわからないという贅沢な悩みを除けば、大学という場所は楽園にほかならない。


そんなことを考えていたが、いざ授業となるとこの上なく退屈なものに感じる。退屈だからといって授業をさぼることはないが、退屈に感じることとそのせいで眠くなるのは人間を守る防衛機構だ。まぶたが重い。先生の声だけ聞こえていればいいだろうと目を閉じてしまう。そのうち聞こえる声もどんどん小さくなり、意識を手放す寸前まで耐える。うつらうつらしていると、自分の席の真後ろに人の気配を感じた。先生が見ているのだろうか。気配に気づいて飛び起きると、先生は教壇の上に立っている。それなら後ろの気配は誰だろう、そう思って後ろを振り返る。


そこにいたものを具体的に表現する言葉が見当たらない。そこで視界に入ったのは、人間一人と同じくらいの大きさの透明なものが、後ろの席の学生の首を撫でているところだった。輪郭がぼやけていて形が分からない上にどんな材質でできているのかすら分からない。そこだけ空気が濃くなっていてうっすら目に見え、触れなくてもわかるほど強い熱を帯びている、そんな感じのものだった。なぜ授業中の教室にそんな大きなものがあるのか、なぜ後ろの席の学生はこれを気にしないのか、いつからここにあるのか、私の中に疑問の渦が押し寄せていた。もしかすると幽霊か何かなのではというほど存在が不可解な代物だった。次に私が気づいたのは、私が飛び起きてからずっと教室に音がないということだ。学生どころか先生もしゃべらず、誰も微動だにしないから服が擦れる音すら聞こえない。まるで私と透明なそれだけのために時間が流れているかのように。


透明なそれが学生の首を撫でるのをやめ、私に目を向けた。目がどこにあるのかはっきりしなかったが、視線のようなものを感じた。私が透明なそれと目を合わせた瞬間、目の前の学生の首が机に落ちた。首を止めていたネジを緩めたかのように、綺麗な首の断面が私の目の前にあった。


恐怖の二文字が心を支配する。私は思わず教室の扉へ走りだした。一刻も早くこの教室から出なければさらに奇怪なことに出会うだろう。何が起こっているのか全くわからない、だからこそ私の本能は逃げることを選択した。ドアノブに手を掛ける。しかしそのドアノブは1ミリたりとも回らなかった。その事実と背中に感じる強い熱が焦燥を生む。何を思ったか私はドアに体当たりを始めた。それがどれだけ無意味なことかなんて考えている暇はなかった。私が狂乱している間、断続的に何か重い物が落ちる鈍い音がしていた。自分の背後で何が起こっているのだろうかと振り向きたくなる。人間は不思議な生き物だ。誰が何をしているのか知っていて、それが見てはいけないものだと分かっていても振り向いてしまう。感づいていた通り、透明のそれは人間の首を一つ一つ外していた。私がどんなにこの教室の中を逃げ回っても、それは透明なそれから見れば落としたネジを拾い上げているようなものなのだろう。


疲れてドアに体当たりをするのをやめたとき、ゴトッ、ゴトッという音が鳴り止んだのに気づいた。とうとう私以外の首を落とし終えたのだろうか。熱がどんどん近づいてくる。私はこれから首が落ちるのだろうか。なぜ私は生きているのだろう。こんなことが起こる前に死んでいれば恐怖を感じずに済んだのに。なぜ私は他の人のように時間が止まっていないのだろう。そうであれば恐怖を感じずに済んだのに。


寝るなら教室から出なさい、そんな先生の声で目が覚めた。そうだ、あれは夢だったんだ。あんな不条理なことが起こってたまるか、実際、学生も先生もみんな生きている。あの透明な化け物もいない。ただ一つこの夢の前と後で変わったことと言えば、この夢のことを1週間たった今も忘れることができず人の顔を見るのが怖くなったということだろうか。このせいで人と話すことはめっきりなくなり、逆に人も私のことを人間以外の何かとりとめのないもののように見ている。いや、目を凝らさなければ私のことが見えていないのかもしれない、あの透明な化け物のように。


それからというもの、私は授業に出ることなく図書室に篭ることが多くなった。エドガーアランポー、ロバートJチェイムバーズ、アブドゥルアルハザード…死んでいった過去の人物だけが、もっと怖い話があるから聞いてくれと私に話しかけてくる。次に生きている人間が私に話しかけたのはそれからちょうど1ヶ月後のことだった。長い間話さないと声を発することができなくなる。この時の私もその状態だったから、彼女が一方的に話しかけてきて、私は首を縦か横に振るだけの素っ気ない会話になった。



「君っていつも一人だよね?」


「ひとりって寂しいよね。わかるよ、私もひとりだったもん。」


「本当だよ、気持ちわかるって。でも今は大丈夫、私の話を聞いてくれる人ができたから。」


それからというもの、私は毎日のように彼女の話を聞いた。それまであった恐怖が消えたわけではなかったが、大学での生活が楽しくなった。しかしどんなに彼女と親しくなっても私の口が声を発することはなかった。それでも彼女は淡々と身の上話を続けるのだった。


「実は私も声が出せない頃があってね、そのとき今の私みたいに私に話を聞かせてくれる友達がいたの。その子も声が出せない頃があって、話を聞かせてくれる友達がいたんだって。一人になったことがあるからこそ、一人になってて誰にも気づかれない人と仲良くなれるのかもね。それでね、そうやってずっと語り継がれてきた秘密の話があるの。私も君と仲良くなったから、秘密の話、教えてあげるね?


この学校ができて初めて入学した学生の中にハーフの子がいて、肌が黒いからって子供の頃からずっといじめられてて、そのせいか内気な性格だったんだって。大学に入ってからは目に見えるようないじめはなくなったみたいなんだけど、陰口とか無視とかそういうのは続いてたみたい。それでもなんとか学校に通ってたみたいなんだけど、ある日突然その子が肌を黒く塗って登校して来たの。ハーフだったから真っ黒っていうわけではなかったみたいなんだけど、その日はそこだけ夜中になったみたいに真っ黒。そんなことをするくらい悩んでたんだと思う。それを見た学生はみんなその子をいじめるのをやめて、卒業する頃には学校一の人気者だったんだって。ここまでは図書室の大学の歴史の本にも載ってる話。


でもね、その子は卒業するまでずっと真っ黒な肌のままだった。人気者になって周りから理解してもらえたのに、なぜか黒く塗った塗料を落とさなかった。それにね、この子の同級生の代のうち5人は大学で自殺したんだって。しかもその5人はその子と高校が同じで、自殺したのはその子が肌を黒く塗った日なの。つまり、黒く塗ってからその子の全てがうまく行き過ぎてる。なんでだと思う?それはね、肌を黒く塗るとニャル様っていう神さまが体に宿って助けてくれるから。その子はそれを知ってたから、一人で寂しそうにしている人にこの秘密の話をしたの。そこからこの話は語り継がれてるんだって。話を聞いた人はみんな、体の一部を黒く塗って秘密の呪文を唱えるの。透明な体を人に見えるようにするためにね。さすがに全身を真っ黒にしてる人はいないみたいだけど、おまじないみたいなものだから君もやってみたらどうかな?


私はこの話と秘密の呪文を聞いてから、肌を黒く塗るよりも先に図書室に向かった。孤独を浄化するおまじないよりもこの学校の一期生に肌を黒く塗りつぶしている人がいたということの方が気になったのだ。あの秘密の話が事実なら、ここの図書室に一連の話が書いてあるはずだと考えてのことだった。彼女の言う通り図書室には学校の歴史についての本があり、読み進めていくといじめの一件の一部始終が書かれていた。


「我が校は不幸にも第一期生の代から人種差別が起きていた。エジプト人の父親と日本人の母親を持つ女子学生が肌が黒いという理由で差別されていた。じつにあるまじきことである。しかしこの学生は自らの肌の色に誇りを持っていることを強調するため、全身を黒く塗って登校したのである。この心に周りの学生は感動、反省をし、我が校の平等の象徴として校門前に黒の像を建てるに至ったのである。」


この本は持ち出し禁止だったため、代わりにエジプトの神々についての辞典を借りて校門前へ向かうことにした。しかし神話とオカルトの棚を探しても見つからない。諦めようとしたそのとき、ふと一冊の文学作品が目に止まった。なぜその本を読もうと思ったのかはわからない。ただ、ロバートブロックというこの作家が私の探している神を描いていたの確かだった。私はこの本を借りて校門前の黒の像へ向った。あの像はこのいじめられていた学生を象ったものではない。あの像はどう見ても男性を象ったものだからだ。それならその学生が信仰していたニャル様を象ったものだろう。この本にニャル様の名は載っていないが、語り継がれる間に名前が間違って伝わった可能性もある。この本にはこの黒の像に似たエジプトの神が記されていた。


ナイアーラトテップ。


私はその名を呟いた。それが彼の名前だった。今の今まで声を失っていた私が久しぶりに発したのは彼の名前だったのだ。エジプトの人々は歴史から抹消された彼を今でも恐れ、ごく一部の狂ったものたちが彼を崇拝する。気まぐれに人間のもとへ這いよっては見たものを渾沌に陥れる。本にはそうかかれているが、彼は私を助けてくれる神さまだ。ニャル様、お願いです。どうか私をこのどうしようもない恐怖から救ってください。あの透明の化け物を私の記憶から消し去ってください。鞄からマジックを取り出し、手の甲を黒く塗る。そして私は渾沌の象徴である神の召喚を願い、呪文を唱えた。


にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな! にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな!


唱え終えたとき私はやっと気づいた、私はもう狂っていると。周りにいた学生たちはみな私に冷たい視線を向けていた。当たり前だ、私は人目を気にすることなくこの黒の像の前で不可解な呪文を唱えたのだから。それから間もなく黒い雲が現れた。雲は黒く冷たい雨を降らし、校舎を、学生たちを、空気までもを黒に染める。辺りは闇に染まっていく。私は確信した。これはニャル様の仕業なのだ。彼を呼び出してしまったことを後悔する自分がいる一方で透明のない世界が私の中の恐怖を取り除いてくれたことに喜ぶ自分もいる。まだ少し残っている正常な部分がそんな自分を恐れ、正常でいることが辛くなっている。私は闇と悲鳴の中で呪文を叫び続けた。死ぬこともなく恐怖から逃げられる世界、なんて素晴らしい世界なんだろう。そう考えるのが一番楽だった。」


そこまで話した頃には、彼女は息を荒らげていた。今、彼女にはナイアーラトテップが作った闇しか見えていないのだろうか。ナイアーラトテップを信仰すれば、私はあの透明の化物の恐怖を忘れて生きることができるのだろうか。私は今黒の像の前でこの手記を綴っているが、未だにこの握っているペンで手の甲を塗る誘惑に駆られている。


クトゥルフ神話に興味を持ち、何冊か読んで自分も書いてみたいという衝動に駆られました。ただおぞましいものの描写というのが難しく、なかなかうまく書けません。ニャル様のトリックスター感ももうちょっと出せたらなと。これがうまくかけるようになれば小説の表現の幅が広がるような気がします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 能天気な主人公が段々と崩れていく様がリアルです。 クトゥルフ神話的な狂い方ですね。 (クトゥルフ神話をそんなに知らない者ですが。) 自分のようなにわか知識でも読めるいい作品だと思います。 …
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