探索 ――excavate――(1)
クレーンに吊るされたヒュスビーダが、壁を支えに少しずつ下りる。
クラウスはそれを崖底から見守って、ヒュスビーダの懸垂降下を待っていた。ヒュスビーダの向こうに蔦の這うような岩と、崖上の森と、雲を流す青みを深めた空が見える。
ヒュスビーダの腕や足は動きがぎこちなく、搭乗者の緊張さえ忠実に表していた。
つい先ほどまでは、崖のうえでレイアがクラウスを疑っていた。
「ほ、本当に毎回こんなことやってるの?」
「もちろん」
崖の深さを覗き込んだレイアは、信じられないと顔に書いて渋面を作った。
「じゃあ、やって見せてよ」
「もともと、フォローのために先に下りるつもりだよ」
カリオテを崖に下ろしていく間中、はらはらとした顔でずっと見下ろしていたレイアの顔は、思い出すだけで笑いがこみ上げる。
クラウスは見上げる機体にその表情を重ねて、また笑った。
クレーンヘッドにしがみ付くようなヒュスビーダを、クラウスは大声で励ます。
「その調子だ、あと半分! 機体の体重を意識しろー!」
ヒュスビーダはクラウスの声になんの反応も見せず、淡々と崖を下りていく。
クラウスは笑う。
彼が初めて懸垂降下に挑戦したとき、ぶらぶらと揺れる操縦席が怖すぎて、サリスの声に反応すれば即座に転がり落ちるような気がしていた。
クラウスの倍も時間をかけて、ヒュスビーダは崖下までたどり着く。
「うまくやれたじゃないか。お疲れさん」
「……そりゃ、どーも」
ヒュスビーダの腰にはめたクレーンヘッドを外してやり、引き上げられていくのを見送る。
ひどく気疲れしている様子のレイアだが、機体の姿勢を正して直立させている。どうやら、余裕が戻ってきているようだ。
カリオテでヒュスビーダの肩を叩き、クラウスは冷やかす。
「あれだけ勢いよく動き回ってたヒュスビーダも、断崖絶壁が相手じゃ形無しだな」
「ふん。別にあんな崖、普通は通るわけがないもの。考慮に入れる必要ないわよ」
「帰りにまた使うけどな」
ヒュスビーダが勢いよくカリオテを振り向いて、クラウスはさらに笑った。
ハーラに乗るサリスとヴァルサを待って、合流した一同は再び遺跡を行く。
風穴を空けた広間は川の飛沫に当てられて、空気がすっかり湿った森のものに変わっている。
それは同時に、遺跡をかつて存在した意味ある空間ではないようにしていた。
遥か未来に置き去りにされた、壁にこびりついて取れない廃油汚れのようなものだ。そう感じたクラウスは、奇妙な寂寥感に口を重くした。
サリスは燈台を持ち去った柱と石畳とを見回して、レイアに尋ねる。
「見覚えはある?」
「いえ。分からないわ。見覚えがあったとしても、変わり果ててるんじゃないかしら」
そりゃそうか、とサリスはハーラの肩をすくませた。
轍のある通路を探索して規模を確認したクラウスたちは、機巧外殻の装備を変更していた。
明かりを増やし、武器を持つ。ハーラは魔力センサをゴーグルに装着している。
魔力濃度で景色を見ているサリスは、ヒュスビーダを見て、ゴーグルのなかで目をすがめた。
真っ直ぐ丁字路に進み、レイアのいた行き止まりではなく、左手に折れるスロープを進む。
先頭を歩くカリオテは、明度と範囲を増したライトで道を照らしていく。
地底の暗闇は、それさえ覆い潰すように、道の先を閉ざしている。
「この先はなにがあるのか分からないから、気をつけてよ」
「分かってる」
サリスに答えて、クラウスは床を照らした。石畳の継ぎ目が深い影を刻んでいる。
辺りを見渡すようにハーラが左右に振れて、呆れ果てたようなため息を吐いた。
「にしても、ずいぶん贅沢に魔法を使ってるわねぇ」
「往年の貴族の別荘とかかね」
「さあ。魔族に別荘なんて聞いたことないけど」
闇に濡れるような壁は、光を当てると一瞬で乾いた姿をさらす。
クラウスは意識して深呼吸をした。暗闇が濃すぎて、まるで壁に向かって歩くような圧迫感に襲われる。
「暗い」
レイアがポツリと漏らす。
ふとカリオテの踏んだ石畳が軋んだ。
「なにか踏んだ」
反射的に情報共有を行いながら、クラウスは足元を照らした。
そこにあるのは、これまでとなにも変わらない、なんの変哲もない石畳のように見える。
だが、魔力を見るサリスは、含み笑いをこぼした。
「いいね。掘り返して」
「分かった」
クラウスはカリオテに削岩機を構えさせ、継ぎ目に突き刺すように杭状の尖端を打ち込む。
相変わらず防護魔法で鉄板のような石板を、てこの原理で掘り起こした。
岩の重量と裏腹に、思いがけないほどの軽さでその石畳は起き上がる。
「なんだこりゃ、穴?」
それは穴のように見えた。
石畳の真ん中にちょうどつっかえ棒が渡してあり、そこを支点に石板をひっくり返せるようになっている。そして、つっかえ棒の手前に、石板の形に沿って垂直に穴がくり貫かれていた。
波形に地層の模様がにじむ黒い岩肌がむき出しになっている。
んー、とうなり声を上げながらハーラが屈み込んだ。
「落とし穴にしては浅いし、倉庫かな? もともとひっくり返せるようにできてたみたいね。それにほら、隅のほうに魔結晶が押し込まれてる」
ハーラの機械腕が指し示す先に、鈍く光る濁った宝石が積み重ねられている。魔結晶だ。
ヴァルサがハーラの肩から飛び降りて、ライトをくわえて身軽に穴に飛び込んだ。
オルギスほど大柄な者が入ると、穴は途端に手狭になる。彼はひょいと魔結晶を二つほど選んで握ると、ひらりと石畳に飛び上がった。
欲を出して道中で持ちすぎると、後々お宝を見つけたときに置いていかなければならない。この辺りであれば、引き返してからまた取りに来ることも容易だ。
大きな画鋲のような、淡く光るマーカーを刺したあと、ヴァルサは手のひらに握る魔結晶を検分する。ほう、と驚いたように声を漏らした。
「ずいぶん質がいい。魔導線には使えないだろうな」
「素敵。この遺跡の住民は気前がいいわね」
ハーラの肩を揺らしてサリスが笑う。
レイアはそんな二人の様子を、見るでもなく眺めている。ヒュスビーダの外装は細波のように煌きを揺らめかせた。
「大丈夫か?」
「……ん、なにが?」
ヒュスビーダの体がクラウスを向く。
レイアの視線を感じて、わけもなく動揺したクラウスは慌てて理由を探した。
「いや、さっきから黙り込んでるからさ」
「ああ、いえ。なにか思い出せないかなって思ってただけ。なんでもないわ」
さらりと答えて、ヒュスビーダは道の先に体を向ける。
外装が発光しているためか、その姿は闇に浮かび上がり、世界から切り離されたように存在を示している。
肩に後付けしたライトが道の先を照らし、この先にある曲がり角を暴いた。
角は大きく馬車を膨らませられるよう広く作られていて、角の脇には小部屋が作られていた。サリスたちが小部屋を確認する間、クラウスは同じような隠し穴がないかどうか確認していく。
「クラウス。あんたはなんで冒険者なんてやってるの?」
ふとレイアがそんなことを聞いてきた。
「聞いた限りじゃ、危険で安定もしない、食いっぱぐれのする仕事みたいに感じたけど」
「その言い方はないんじゃないか? まあ、間違いじゃねぇんだけどさ」
ぼそぼそと不満を言ってから、そうだな、とはっきり声に出して返答を考える。
「まあ物心ついたときからやってるから、ってのが一番大きいだろ。俺はヴァルサたちに拾われたらしくてさ。親なんて知らない、俺たちは他人だ、そうきっぱり教えられて育ったよ」
クラウスは答えながらカリオテの足を持ち上げて石畳に乗せる。
揺らしてみて頑丈なことを確認。次を当たる。
「他の生き方をしようと思ったことはないの?」
「一度。思ったというか、トレーラーを降ろされた。一年ぐらいな、街に預けられてよ」
「わざわざ戻ったんだ?」
「まあな」
クラウスは苦笑した。呆れられたことにも、また知り合ったばかりの異性に自分のことをべらべらと語っていることにも。
苦笑ついでに付け加える。
「冒険者の生き方が性に合ったんだろうな。気が軽いよ、毎日必死で生きるってのも」
ふうん、とレイアは鼻を鳴らした。
つまらなそうな声だったが、それ以上にどこか寂しそうな声だった。
居心地が悪そうに口を曲げたクラウスは、ヒュスビーダを振り返る。
カリオテは踊り場のようなスロープの途中を調べ終えた。
「レイアは、なにか思い出したか?」
「なにも。でも、ずっとこうしてヒュスビーダに乗ってたような気がするわ。なんだか、とても感覚に馴染んでる」
「へえ」
答えを聞いて、クラウスは嬉しそうに笑った。
クラウスもまた、機巧外殻に触れていない時間のほうが少ないような生き方をしている。
「なあ。レイアさえ良ければ、このまま一緒に冒険者やらないか?」
気づけば、クラウスはそんなことを持ちかけていた。
クラウスの思う以上に、勢い込んだカリオテはヒュスビーダに近づいている。カリオテに振り向いたヒュスビーダは、外装の輝きを揺らめかせた。
「なんで?」
「いや、深い意味はねえけど……行くとこがないならさ。それに機体を操るのがうまいなら、冒険者はうってつけの仕事だと思うし」
「嫌」
クラウスは聞き間違いかと思った。
それほど極端に、レイアはきっぱりと否定の意を示している。
「少なくとも、あんたと一緒には行かない」
念を押した。
呼吸の音が耳に聞こえる。
壁にカリオテの駆動音が反響してかすかに響いていた。
クラウスは自分が誘った内容を自覚して、一気に頭を赤くする。
「ぐ……。そうかよ! あとになって行き場がなくても知らねーぞ!」
「あんたに身の振り方を心配される謂れはない」
レイアは淡々と平坦な声を返す。
恥ずかしくなったクラウスは肩を怒らせて先に進もうとする。
「あ、こら馬鹿クラウス! 勝手に離れるな! あんた何年やってんの!」
戻ってきたサリスに一喝され、スロープに踏み出しかけたカリオテの足をびくりと止める。
指示にしっかり従っている自分の体に、クラウスはうんざりと毒づいた。
ヒュスビーダは柳が風を受けるかのように、外装の輝きをゆったりと波打たせる。
遺跡はまだまだ続いている。




