冒険者 ――explorer―― (3)
ハーラは足を浮かせ、引っかかったつま先を軸に半回転し、背中から川に滑り込む。カリオテの足元にまで転がってきたハーラを、クラウスは慌てて両手で押さえた。
「なにが起きた?」
ハーラの腕から打ち出された杭は伸び切っていて、射出に問題はなかったことがうかがえる。
ハーラは身動きもしない。サリスが一番驚いているのだろう。
クラウスは壁に目を向けた。
遺跡の壁は、パイルバンカーの打ち込まれたと思しき場所に、小さなへこみを作っている。そして、壁としての機能を保っていた。
クラウスはようやくなにが起こったかを理解した。
ハーラのパイルバンカーを受け止めて、この壁はびくとしないのだ。
機巧外殻の外装など、紙切れよりも容易く打ち抜くパイルバンカーだ。
古くかつての遺産でありながら、尋常な壁ではなかった。
「なにをしている」
「ヴァルサ。サリスがパイルバンカーを打ち込んだんだけど」
ヴァルサは各種調査用の計器類を、ザックに巻きつけて背負っている。亜人の身体能力で、彼は生身でワイヤーを伝って下りてきた。
途中で切ったクラウスの言葉も、ヴァルサは遺跡の壁を一瞥して続きを悟る。
水面を蹴って、寝転がっているハーラに水を掛けた。
「サリス、機体は無事か」
「う、うん。魔導線のリンクは良好。損傷なし。足が滑って吹っ飛んだおかげで、パイルバンカーが詰まった衝撃はうまく逃げたみたい」
ようやく起き上がったハーラは、自分の腕を確かめるように機械腕を目の前に運び、壁と見比べるように体を前後に揺らす。
そういう小さな動作さえ、機巧外殻は忠実に映し出す。
機体の無事を確認したサリスは、改めて壁をしげしげと見上げる。
「……この壁、なんなの?」
「今、調べる」
ヴァルサは抱えている計器のうち一つ、直方体の頭に尖った三角帽子をかぶせたような魔導計を取り出した。遺跡に歩み寄り、壁に尖端を刺す。魔術の持つ効果を測定するものだ。
描かれる波形を読み、ヴァルサは淡々と述べる。
「防護術式……いや、魔法か。かなり精緻に組み込まれているな」
「魔法? こんな地層に? そんなに維持するわけないじゃない」
「そうだな。正確には霊脈の魔力を引いて防護の効果を生成する魔法、と言うべきだろう」
会話を交わす二人を交互に見て、カリオテは困ったように両手を広げる。
「何の話だ?」
「……クラウス。お前も冒険者として発掘稼業をするなら、もう少し勉強しておけ」
ヴァルサは狼頭の眉間を揉みながら淡々と言う。
ハーラの体がクラウスに向き、サリスが解説を継いだ。
「地面に地層ができるくらい、古い遺跡なのは間違いない。けど、穴を掘ったとしても、岩を貫いてかつ馴染ませるくらいだから、古すぎるのはありえない。たとえば三千年前……人族が国家基盤を持っていなかった集落期だと、天然の洞窟なら使えたとしても、拡張はできなかったでしょうね」
「ほお」
「地下建築ができるようになるくらいに石工建築技術が発展したのは、千年前の話。その二百年前に術式革命が起こっているわけだから、魔結晶を使った術式が発明されて、瞬発力の魔術はともかく、手間のわりに効果が薄い魔法なんて代物は、ほとんど撤廃されてた」
「はあ」
クラウスの生返事に、サリスは気づかなかった。よく回る舌を動かす。
「それなのに、防護魔法がかかってるの。魔法なんて十年も持つだけで信じられない。手間ばかりで難しい技術なのよ、魔法って。それが現在まで持続する精度で掛けられてるとなると、千年前の石工住居時代では考えられない」
クラウスはカリオテの操縦桿から手を離して、渋面を作る顔の顎に添える。首を傾げた。
「つまり、どういうことだ?」
「地面のしたにある遺跡に、高度な魔法が掛かっているのは不自然だ、ということだ」
ヴァルサがまとめた。
語られた大量の情報を頭の中で整理するように黙り、おぼろげながら理解したという不明瞭な顔でヴァルサを見るクラウスは、カリオテの腕で壁を指す。
「じゃあ、この遺跡はなんか、ありえないのか?」
「いや、そうでもない。魔法が隆盛を極めていた魔王期の遺跡なら、あるいは」
しかし、そう言うヴァルサの声には、その事実を信じるつもりが感じられない。
「魔王期だとすると、三万年前の遺跡になるんですけど? 竜だって代替わりするレベルよ?」
サリスは胡乱な表情が目に見えそうな声を出した。
同意するようにうなずき、ヴァルサは怜悧な目を遺跡に向ける。
「竜王の御世であれば、万年単位で生きた個体もいたそうだがな」
「魔王期なんて意味不明な時代のことは知らないわよ。とにかく、もう一回、今度こそ本気で穴ぶち開ける」
ハーラは立ち上がった。
威嚇するように体を揺らして、装甲を流れる雫を垂らす。
再びパイルバンカーを壁に向けて、ガチリと装弾した。
慢心して同じ失敗を繰り返すほど、サリスは穏やかな人格ではない。
機体に搭載された、魔導増幅器が唸りをあげる。魔結晶で作られた羽が回転する甲高い音が峡谷に響き、せせらぎと交じり合い、杭の先端が鈍く光りを帯びていく。
魔法阻害、硬度強化、そして機械的な射突速度をさらに加速させる魔術。
「なにが魔法だ、霊人なめんなっ!」
サリスの叫びと同時に、機械腕の肘から爆発的な煙が噴出し、パイルバンカーが空気を食い破って壁を突き刺す。
防護魔法により強固にすぎる壁は、異物が入り込む隙間を作ることができない。
互いに押し合い、圧力を逃がす空間を求めるように、広く周囲を巻き込みながら爆裂した。
瓦礫が飛び散り、空間を暴れまわり、暴虐の嵐を振りまいて去っていく。
風にさらわれて、蜘蛛の子を散らすように土煙は薄らぐ。
機巧外殻が容易に入れる大穴が、壁にぶち抜かれていた。
ハーラは杭を打ち出した姿勢のまま、瓦礫に打ちのめされて立ち尽くす。
生身のヴァルサはちゃっかり壁の脇に避難して、暴れまわる瓦礫を避けていた。
自分の頭ほどの岩塊を見て、また飛び散った瓦礫に洗われたカリオテを見て、頬のない口を開く。
「よくやった」
入り口ができた。
間口に這い上がるように、サリスはハーラを入り込ませる。自らこじ開けた穴でありながら、あまりに乱暴な入り口に登りにくそうにしていた。
やっとのことで遺跡に入ったハーラは、驚愕に機体を強張らせる。
サリスが上ずった声を張り上げた。
「な、なにこれ?」
ハーラの隙間からヴァルサが身軽に体を滑り込ませ、クラウスもハーラ越しに屋内を見る。
悠久の時を超えた遺跡とは思えないほど、そのなかは整えられていた。
苔色の壁はぴっちりと石を積んで組んであり、床には巨大な正方形の石板が敷き詰められて、太古にもかかわらず水平に均されている。
なによりも、その精緻な部屋は、大型トレーラーさえ何台も停められるほどの広間だった。
巨大な角柱が一定間隔に立てられて、空間を支えている。柱には巻きつけるような蔦植物のレリーフが彫り込まれ、そのうえに光を放つ燈台が並べられていた。
遺跡は見た目以上の規模で広がっているようだ。
地下とは思えない部屋の光源を見て、クラウスは尋ねる。
「あれは何で光ってるんだ?」
「魔法よ」
即答したサリスは、悪い冗談でも見ているような声でうめいた。
「あのね、普通、魔法っていうのは物体に付与して効果を発生させるもので、長続きはしない。それは言ったよね。でも、唯一例外があって、それこそ魔法が迂遠な手段ってことの証左なんだけれど、魔法効果を半永久的に持続させる方法があるの」
「そんな便利なものがあるのか」
「便利なんてもんじゃないわ。はっきり言って職人芸よ。術式で記述できないくせに、何ヶ月、何年と掛かるんだもの」
うげ、とクラウスは顔をゆがめた。それは、高価そうだ。
ハーラは燈台の近くまで歩み寄り、まじまじと見上げながら、説明を続ける。
「尋常じゃない緻密な魔法を、半端じゃない時間をかけて、丁寧にかける。そうすることで、物質に魔結晶と同じ性質を持たせる……魔質化させる、という技術よ」
「ははあ、魔質ね」
クラウスは面倒くさそうに言う。
魔質は、魔力が結晶化してできた擬似物質だ。
見た目や振る舞いは普通の物質とまったく同じだが、魔質は特定の波長を持つ魔力を当てると分解され、魔力に還元される。それと魔力の伝導性が極めて高いという特質がある。
魔術の触媒に用いる魔結晶は、その代表例だ。
感情を表さないヴァルサも、感嘆の色をにじませる。
「恒久魔法は時間も手間も技量も必要で、貴重だ。この部屋は宝物で出来てるようなものだな」
「なるほどな」
腰に固定したワイヤーを入り口につなぎ、カリオテも遺跡に入る。石畳は固く、カリオテの重量にもビクともしない。
浮き足立ったハーラは踊るようにくるりと回って、部屋を見渡した。
「この分じゃ、相当なお宝が期待できそうね。ここまでの大当たりは初めてだわ。ヴァルサ、早く行こう!」
まるで動物園に来た子どものようにはしゃぎ、ハーラはヴァルサを急かす。
計器を取り出して遺跡の床に刺そうとしたヴァルサは、何も言わずに片付けた。炭素構造から年代を調べようとしていたはずだ。
「調べなくていいのか?」
ヴァルサはカリオテの固定器を足場に登り、肩に張り付く。
「行ってやれ。魔王期の後期なのは間違いない。財宝は約束されたようなものだ」
「最高」
クラウスは笑い、ヴァルサを肩に乗せたままカリオテは大股に歩き出す。




