冒険者 ――explorer―― (2)
渓谷の崖崩れ跡に、一部だけ、レンガ模様の黒い壁が露出している。
「あれか」
「確認できたか」
声がカリオテの背中に掛けられた。
ヴァルサは狼頭に感情の色を見せず、巨大なカタツムリのような機械を両手で抱えている。
貝の部分に径の太いワイヤーを巻き込み、軟体部に当たる場所に小型のパイルバンカーが収められている、固定式のワイヤーアンカーだ。
受け取るマニピュレーターのなかでガシャリとこすれる重々しい音に、苦い笑みを浮かべる。
機械仕掛けの腕は片手で担げる。だが、これはクラウスの体重よりも重い。
コンテナのうえから、サリスが感嘆の息を漏らす。
「さすが、亜人随一の力自慢、オルギスね。いつ見ても怪力だわ」
「お前もそこにいると危ないぞ」
「はいはいっと」
ヴァルサに笑って答えて、サリスはコンテナの縁に手を掛ける。体を吊ってから飛び降りた。
サリスが下りたことを確認もせず、ヴァルサはコンテナに戻って操作盤を動かす。
必要な警告はしたのだから巻き込まれても自業自得だ、と考えているかのように迷いがない。あるいは、考えていないかのように。
無視された格好のサリスは、そうと気づいてすらいない、ご機嫌な顔でカリオテに歩み寄る。
有名な童謡を鼻歌に歌い、外装を無駄に叩いた。
ヴァルサの操作を受けたトレーラーは車体を支持するアウトリガーを展開し、コンテナに格納していたクレーンアームを伸ばす。
下ろしていくクレーンヘッドをサリスがつかみ、カリオテ腰部の固定器に連結させた。カリオテの装甲板を平手で叩く。
「じゃあクラウス、先に壁開けておいてね」
「おう」
応じて軽く腕を振った。
サリスから一歩離れ、カリオテのマニピュレーターでワイヤーをつかむ。固定器がしっかりと機体と連結していることを確認して、クラウスは機体を崖に投げ出した。
川面に靄がかかるほどの遥かな断崖がクラウスを迎えた。
一気に開いた視界と、空気の這い上がるような浮遊感が、操縦席を突き上げる。
腰部の固定器が引き締まるような鈍い音を上げる。
カリオテの巨体が振られて崖に打ちつけるように張りついた。
びしり、と岩を叩く音とともに、カリオテの姿勢は安定する。
操縦席の腰周りには簡素な計器台があり、各種計器が申し訳程度に並んでいる。
クラウスは方位針と水平計を見ながら、慎重にカリオテの足を壁の突起に引っ掛けて、自らを吊り上げるワイヤーを頼りにゆっくりと壁を懸垂下降していく。
「それにしても深いな」
眼前に迫る壁の閉塞感と、靄がかった川面までの浮遊感との落差が激しい。
クラウスは緊張に強張った顔で、機体の足元に神経を集中させる。芋虫が這うようなものではあったが、着実に安全に、岸壁を伝い下りていく。
それにしても、とクラウスは怪訝に眉根を寄せて、岸壁の岩質に目を向ける。
ワイヤーの補助があるとはいえ、カリオテの巨体を支えている。
「崖崩れを起こすにしちゃ、しっかりした岩だな。大丈夫か?」
そんなことをつぶやいて、カリオテの体重を地層の分かれ目に乗せた。
瞬間。
ぼこりと岸壁が剥離した。
カリオテと同程度に大きい岩塊が転落し、そこに足を乗せていた機体は玉乗りの要領で岸壁から剥がされて離れていく。
「う、おおおおおっ」
クラウスの顔から血色が消え失せる。
岸壁が視界からどんどんと離れていき、岩に赤みが強くなる地層の色合いが広がっていく。
胃の腑が浮く感覚に押し上げられ、尻に体重が掛からなくなった。
落ちる。
ぎゅき、と固定器が悲鳴を上げる。
カリオテの姿勢がうつ伏せに傾く。不思議なくらい谷底の川がよく見えて、クラウスは場違いにも感動を覚えた。
植生が川面に影を落としている。
転がり落ちる岩塊が岸壁に接触して大きく跳ねていた。
クラウスは操縦桿を握り締める。
鋼のように張り詰めるワイヤーを支えに姿勢を垂直に直し、脚部のギアを深く入れて緩衝器を最大に開き、両足を開いて着地姿勢を整え、その瞬間につま先が地面に触れる。
浮遊感がごっそり消えた。
岩盤に重量物が落着して、クラウスは絡め取られたようにシートに叩きつけられる。
轟音が峡谷に反響して、大気が怯えるように大きく震えている。
川のせせらぎが静寂を押し流す。
クラウスは初めてこの世に音が存在することを思い出したかのように、瞬きをした。
「――ぉおー……ほ」
息を吐く。
「死んだかと思った。ああ、なるほど、なるほどな。岩はいいのか。地質か。そうか」
自分を確かめるように声をこぼしながら、機体の状態を確認する。
脚部の緩衝器は、現状無事。装甲は多少歪んだかもしれないが、機能に問題はない。腰部の固定器にも損傷はなく、また腕に持っているワイヤーアンカーも壊れていない。
川の水がカリオテの傷を舐めるように濡らしている。
落下した岩は向かい側の岸壁にもたれて、川の流れに渦を作っていた。
しぶきで湿った空気を吸って、クラウスは鼻にしわを作る。
「こらクラウス! ヘマするな! トレーラーが倒れるところだったでしょ!」
崖のうえから投げられた声が、反響して低く引き伸ばされている。
もう一機の機巧外殻、ハーラが、崖のうえから機体の腕を振り上げていた。ハーラに搭乗しているサリスが怒鳴っているようだった。
「悪い、崖が崩れたんだ!」
「分かってたことでしょうが! 気をつけなさい!」
「悪かったって!」
声の応酬だけでも、山彦のように残響が尾を引いている。
クラウスは肩をすくめてワイヤーアンカーを壁に押し付けた。起動トリガーを握る。
ばすん、とガス圧の抜ける音と同時に、炸裂した二本の杭が岸壁に打ち込まれ、固定される。カタツムリはフレームとワイヤーを収める貝だけが残った。
クラウスは機体の肩にあるレバーを引き下ろす。
胸部装甲のハッチを開け、機巧外殻を降りた。
質のいい皮の靴は水を弾き、冷たさもほとんど感じない。クラウスは機体を回り込み、固定器のクレーンヘッドと、アンカーのワイヤーとを付け替えた。
縦移動の命綱から横移動の命綱だ。
クラウスが何も言わないうちから、クレーンヘッドは引き上げられていく。
このあとはハーラも同様に懸垂下降する手筈だ。
「降りてくる前に、壁を開けておかねーとな」
機巧外殻に戻ったクラウスは、胸部装甲を下ろしながらぼやいた。
下流にある、岸壁から露出した人工壁を見る。
レンガ模様のそれは、明らかに建築技術に裏打ちされたものだ。
年月の経過を感じさせる風合いと同時に、年月でさえ削り取れなかった重厚さで、今でも壁を保っている。
川の水を蹴りながら下ったクラウスは、壁を観察して口を曲げる。
「原型が残りすぎてる、ような気がするな」
しかし、それほど時間を掛けずにクラウスは思考を切り上げた。
普段から遺跡探索は検証をヴァルサが、考証をサリスが受け持つことになっている。クラウスは雑務担当だった。
「んじゃ、とりあえず外観を探りますか」
カリオテは背負った削岩機を手に握る。
遺跡の規模を推測し、探索や発掘の戦略を立てることが第一だ。
トリガーを握り、削岩機の先端に伸びる杭が高速で振動する。押し付けたそばから岸壁を砕き、削り取っていく。めり、と音を立てて岩が滑り落ちて、遺跡が露出する。
しばらくクラウスがその作業に取り組んでいると、水の弾ける音がカリオテに響いた。
「どう、入れそう?」
ハーラが川底に足を滑らせないよう気を使いながら、ゆったりと歩いてきている。
クラウスは操縦桿のトリガーを離し、削岩機を停止させてから返事をする。
「入り口がないな。結構、大きい」
コンテナほどの大きさまで壁を開けているが、一向に壁の終わる気配がない。
ふーむ、とサリスは聞いているのかどうか分からない声でうなり、ハーラを壁に近づける。わずかに前屈みになり、機体から遺跡の壁を検分している。
細かい分析をする前に、とりあえずという感じてサリスは言う。
「すごい当たりっぽいね。建物が地層に埋まってる、なんて相当古いよコレ」
クラウスは、言われてみれば、という顔をして、カリオテの握る削岩機に目を向けた。これで無遠慮にばりばりと岩を削っていた。
しかし、サリスはハーラを下げると、両手を広げてあっさりとした声を放る。
「本当は入り口を探したほうがいいけど……完全に地層の底に埋まってるしね。考古学者じゃないんだから、涙を飲んで、風穴を空けちゃいましょうか」
クラウスはさすがに驚いてハーラを見た。
「いいのか? 遺跡自体価値があるんじゃ」
「それじゃお金にならないでしょ」
冒険者らしいばっさりした物言いをして、ハーラは代替腕を壁に添える。
がちり、とギアの組み変わるような音がして、機械腕が展開した。錐のような尖端が見えている。
パイルバンカーだ。
ワイヤーアンカーのような固定するためのものではない。
破壊し、穴をこじ開けるための、凶悪な対装甲兵器としてのものだった。
魔動機が稼動する甲高い音が漏れ、ハーラは壁に機械腕を押し付ける。
「行くよー。下がってて」
軽い声で警告するサリスに従い、カリオテは数歩後退りする。
それを確認したサリスは、パイルバンカーを打ち出した。カウンターウェイトの鉄塊が肘から突き出す。
ばきん。
ハーラが弾け飛んだ。




