終末 ――epilogue――
「そろそろ川から上がったら? 体冷えるよ」
「そうだな。あ、風が寒い」
「手遅れ」
顔を上げたクラウスは、レイアの姿がどこにもないことに気がついた。
「レイア?」
「いるよ。機体のなか」
操縦席を覗き込むクラウスの耳に、鈴を転がすような笑いが触れる。
「言ったでしょ? 私はヒュスビーダの頭脳部に、魔力として格納される。有体に言えば、ヒュスビーダと同化できるの」
「はあ。便利だな」
「そうしないと乗り切れないでしょ。クラウス、もっと詰めて」
「え?」
クラウスは操縦席に目を下ろす。
そこには伸びている男が一人。操縦席は一人用だ。
詰めて乗るということは、なにを意味しているのか。崖に挟まれた底という場所はなにを要請しているのか。
そっと壊れやすいものを手探りするように、クラウスは尋ねる。
「まさか、マジで?」
「自業自得」
レイアはばっさりと答えた。
胸部装甲は開けたままで勘弁してもらい、崖上に戻ったクラウスたちを、ゼイレンが迎えた。
「こんなとこまで戦いに行ってたの。見失って困ったよ。……カリオテは?」
「大破。魔動機はまだ生きてるけどな」
うげ、とサリスはうめいた。
修理というより、ほとんど別機に買い換えるようなものだ。まとまった金がどれほど必要になることか、考えるだけで頭痛の種が増えるだろう。
ふとクラウスは冒険者稼業のリーダーが近くにいないことに気づいた。
「ん? ヴァルサはどこに?」
「ああ、ヴァルサなら」
「ジェノ!」
言いかけたサリスを遮って、女の声が響いた。
声の主を探すよりも早く、赤い影がヒュスビーダに飛びついて、ジェノを担いで去っていく。地面に横たえて顔色を覗き込んでいるのは、どこからどう見ても、サザだった。
クラウスは混乱した。
「え、あれ? サザって、死んだんじゃ?」
「あん? 勝手に殺すなクソ野郎」
ガラの悪い口調でクラウスをにらみつける目は、泣き腫らしたように赤くなっていて、迫力がまったくなくなっている。
「彼女は魔族だ」
ヴァルサがハーラに乗ったままやってきた。胸部装甲は開けられている。
その言葉に、クラウスは目を丸くする。
「魔族? 魔族って、魔王に纏ろう者の魔族?」
「そうだ」
ヴァルサの肯定に、サザが素っ気無く鼻を鳴らした。
「魔族は腹を刺されたくらいじゃ死なねーよ。死ぬほど痛かったけどな」
「結果論になるが、死者が出なかったのは不幸中の幸いだ。サザが魔族だからこそ、彼らはレイアもまた魔族であることに気づき、その線からヒュスビーダの捜索ができたんだろう」
「けっ」
不貞腐れたようにサザは吐き捨てる。
ヴァルサも手を下した本人でありながら、悪びれる様子はない。死んでいたら死んでいたで、何事もなく対応したのだろう。冷酷な生き方をしている。
クラウスは未だに信じられない顔でサザを見た。
散々魔族を悪しざまに言っていたわりに、彼女自身がそうだというのだ。
いや、むしろだからこそ、コンプレックスになっていたのかもしれない。
同時に、ジェノに対する呆れが深まる。
魔族の肉体は魔力で作られているため、基本的には強靭で衰えることもない。守られたくないという願いは、一体どれほど高望みなのか。
と、そこでふとクラウスは口を開く。
「なあ、ひとつ聞いておきたいんだがいいか」
「あんだよ」
面倒くさそうにサザはクラウスをねめつけた。
サザが他人に悪意を向けるのはデフォルトだ、と割り切って、クラウスは言葉を続ける。
「レイアを外れ者とか、災厄の渦とか言ったよな。どういう意味なんだ?」
「そのまんまだよ。つーか、人族が自分の兵器にすんのに、魔王に従う魔族を使ってどうすんだよ。あいつは戦場の最前線で戦って、魔族のくせに魔族を殺して、人族が死ぬ渦中にいて、人族同士の諍いにも使われた。兵器としちゃ普通じゃねーの? ただ、死を吸いすぎたやつは、状況を招くように繰り返す。迷信だけどな」
ヒュスビーダが通りがかる、のように、古い慣用句のようなものらしい。
縁起の悪い評判にクラウスは顔を曇らせる。レイアはなにも言わない。
「っていうか、なんでそんなに詳しく分かるの? やっぱり魔王?」
サリスが興味を惹かれたように尋ねた。サザは嫌な顔をして、しかし律儀に答える。
「魔族は魔王を感じられるっても、会ったこともねえよ。調べたからに決まってんだろバカ。あたしじゃなくて、ジェノがだけどな」
古文書の内容を盗み見たサリスが知らないということは、トレーラーにない情報もまだあるのだろう。
綿密な調査の末にたどり着いたようだ。ジェノの情熱を目の当たりにしたようで、クラウスは複雑に顔を歪める。
ゼイレンはふと体を揺らし、翡翠のアーティファクトを向いた。
「あんたらは、ホントにヒュスビーダのことはもういいの?」
サリスの問いかけに、ゼイレンを見上げるサザはあっさりとうなずく。
「ああ。別にあたしは、もともと興味ねーし。ジェノが言うから手伝っただけだ。ここまでやられたら、もうしゃーねぇだろ」
その言葉にクラウスは一度納得してうなずき、少し考え込み、そこに含まれる重大な事実を発見して目を剥いた。
「……尽くすタイプ!?」
「うるせぇ殺すぞ!」
髪の色に匹敵するほど顔を赤くして、サザは凄まじい剣幕で怒鳴る。
怒鳴りながらもジェノには気を払っていて、筋金入りらしいことが目に見える。
軽く笑ったサリスが、ゼイレンの腕を広げ、鶏を追いやるようにばたばたと前後に振った。
「話に決着がついたんだから、いいんじゃない? もう帰ろう」
「その前に、カリオテの魔動機を引き揚げるぞ」
「そんなん後でいいよ。ほら早く」
「なにを急いでんだ?」
訝るヴァルサとクラウスを無理やり追い立て、追い出しにかかる。
怪訝がるクラウスをヒュスビーダが操縦席に揺り戻し、胸部装甲が勝手に締められた。
「レイア? なにすんだよ」
「まだ分からない? 起きたときに無関係の他人がいたら邪魔でしょ。お邪魔虫は御免よ」
クラウスはまだ腑に落ちない顔で、首をかしげている。
呆れたため息をついたレイアは、それ以上なにも言わなかった。
そのまま隅っこで体を丸めているのも馬鹿らしく、クラウスはヒュスビーダの操縦席に座る。見た目こそ爬虫類の腹のようなシートだったが、座り心地はカリオテよりもいい。
操縦桿の位置や構造などは、カリオテと変わっていない。
ヒュスビーダが歩くゆったりとした揺れが、座席にまでかすかに届く。
森は立ち回りに荒れ果てて、藪がほとんど寝かされている。見晴らしがよくなって、木々の隙間に山の稜線まで窺える。
「クラウス。ちょっと、隅っこに寄ってくれない?」
突然、レイアがそんなことを言い出した。
「ん? こうか?」
体を横に傾けて、椅子の隅に寄せる。
「ダメ。もっともっと」
「なんだよ。これぐらい?」
「まだ行けるでしょ! 寄って」
繰り返しにイラついたクラウスは座席をほとんど飛び出して、操縦席の壁に体を押し付けた。
「こうかよ! だからなんで」
膝がぶつかる。
操縦席のちょうど反対側に、レイアが膝を抱えて座っていた。きょろきょろと顔を巡らせて、顔を少し赤らめている。
「お、思ったより近いな。どうしよう」
「なんの、用、なんだよ?」
クラウスはつい口を挟んだ。
うん、とうなずいたレイアは手段を講じる機を逃し、膝が触れ合う状態のまま口を開く。
「その、一度改めてちゃんと言おうと思って。お礼」
「ああ……いや、別にそんな」
「いいの! 私なりのケジメみたいなものだから」
礼を言われるほどのことじゃない、と口走りそうになったクラウスを、レイアは慌てた表情で声をかぶせて遮る。
その勢いに押されて、クラウスは「そ、そうか」などと言いながらうなずいてしまった。
「そ、それじゃあ、言うね」
「おう」
「え、えっと」
目を泳がせてレイアは言葉を探す。
クラウスも肩に力を入れて、瞬きもせずに待っていた。
礼を言うだけのことで、なんで緊張してるんだろう、と馬鹿馬鹿しい考えが頭をよぎる。
レイアも下手に宣言してしまって、言うタイミングが見つけられなくなってしまっていた。小さく深呼吸して、リズムを取り、思い切って突っ走る。
「あ、りが、とう! 助けてくれて」
「ど、どういたしました……て」
噛み噛みだった。
不恰好な礼になったことを恥じ入るレイアと、受け答えるだけなのに噛んだことが慙愧に堪えないクラウスとで、ヒュスビーダのなかは一種不気味な沈黙が降りる。
沈黙を破って、レイアが勢い込んで指を立てる。
「い、言ったからね! お礼!」
「あ、ああ。言われた。分かってる」
「そう、分かったなら、いいのよ。うん」
沈黙。
なんだこの空気、とクラウスは悲鳴のように思った。
助けを求めるように顔を巡らせるクラウスの目に、うってつけのものが飛び込んだ。
「……レイア」
「なに?」
「ヒュスビーダ、操縦してみていいか」
言われたレイアは、少しきょとんとしたあと、はにかんでうなずく。
ヒュスビーダの足を止めた。
「どうぞ」
と言ったころには、レイアの姿は消えていた。
少し失敗したか、とちらりと思ったが、クラウスはすぐにその考えを捨てた。座席に座りなおし、操縦桿を握る。足踏桿に足を合わせる。
深呼吸して、クラウスはレイアに言う。
「動くぞ」
「う、うん……」
足踏桿を踏み、ヒュスビーダの足を動かす。交互に動かし、腕を振り、普通に歩き始める。
クラウスは舌を巻いた。
操縦感覚はカリオテと同じでありながら、より力強くより滑らかに、より繊細に機体が操縦に追随する。
「どう?」
少し自慢げに、レイアは問いかけた。
「ああ、こりゃあ」
感嘆の呼吸で、クラウスは口を滑らせた。
「大したことないな」
カリオテに乗れない今、アーティファクトをすごいな、と言ってしまうと、引き返せなくなるような気がしたのだ。
素晴らしいと思うからこそ、口では異なることを言って頭を冷やした。
「なんですって?」
もちろん、時と場合が最悪だった。
「あ、いや、これは」
さっと顔色を蒼白にしたクラウスは顔を上げて、しかしどこを見ればいいやら分からない。
「あんたもう降りろ! 降りろッ! あんたなんか、一生量産機に乗っていればいい!」
「ま、待て落ち着け! お前量産機馬鹿にすんなよ!? じゃなくてほら、だから」
「降ーりーろッ、二度とヒュスビーダに乗るなバカ! ああもう、なんで機体の運動とハッチは手動で委譲されないと権利がないの!?」
「だあああ! 機体が搭乗者を叩き落そうとすんなよ!」
「うるさい、こっちにだって搭乗者を選ぶ権利くらいある! ていうか、もう誰も乗せない! 私が自分で動けばいいし!」
「そりゃそうだけど、せめて魔動機を引き揚げる作業までは」
「私がやるからあんたは堕ちろ!」
「どこに!?」
言い合いに興奮して、ヒュスビーダは怪しいダンスを踊るようにふらふらと歩く。その妙に恥ずかしい動きに、二人して気づいていなかった。
やいのやいのと騒ぐクラウスたちを眺めて、サリスは笑う。森を抜けて山道まで戻り、ゼイレンをトレーラーに収容したところだ。
彼女は隣に立つヴァルサを横目で窺った。
「ほんと、どーしようもない子たちね」
「そうだな。お前は次の仕事に目安をつけていてくれ。俺は昼飯を用意する」
ヴァルサは狼頭に感情の色を見せず、淡々と指示を下す。
返事をする前に、サリスは悪戯っぽく笑って、あえて口に出して尋ねた。
「あの子たちは、どうするの?」
「機体の整備だ」
予想通りの即答に、サリスは笑みを綻ばせる。
はぁい、と気の抜けた返事をしてみせた。
大型トレーラーは、おあつらえ向きに四機分の固定器がある。




