奪還 ――recapture――(5)
ジェノは大きな舌打ちを打ち、ヒュスビーダを起き上がらせる。
その第一歩に、カリオテが全身ごとぶつかった。重量でなぎ倒す。
「肝心なところがダメだな!」
「操縦系奪われるようじゃ、兵器としてダメでしょ!」
クラウスはレイアと言い合いながら、倒れた機体のなかでも操縦桿を操る。
左腕を失っているカリオテが剣を向けようとして、ヒュスビーダに腕ごと蹴り飛ばされた。マニピュレーターから剣がすっぽ抜けて転がり、木の根に刺さる。
「くそっ」
「こんなところで止まれるものか!」
ジェノは吼えた。
カリオテを殴り、殴り、蹴り飛ばして、引き剥がす。
爪のような鋭利な指先には魔力が通い、刃になってカリオテの装甲を削っている。
「ここまで来て、アーティファクトを確保して! そこで奪われて終わるわけにはいかない!」
「そりゃあこっちも同じだよ!」
再び左肩から突っ込む体当たり。
腕のないカリオテは、優位な重量を活かして戦うしかない。
かわす気のないヒュスビーダは正面から殴り返し、左肩の装甲を引き裂いて駆動機を砕く。
左腕が完全に死んだ。
装甲が割れ、クラウスの生身の肩が露出する。
構わず右腕でヒュスビーダをなぎ倒すカリオテにも、ジェノは応じている。翡翠の足を滑り込ませ、蹴り上げて転がした。巴投げ。
天地が回り、一瞬で方向感覚が失われる。
混乱する三半規管を無視し、クラウスは操縦の手は止めない。
素早く立ち上がり、膝を突いているヒュスビーダを蹴りつけて転がす。木のそばに転がったヒュスビーダを追いかけて足を大きく引く。
「この野郎!」
もう一発蹴り込んだ足を、抱え込むように受け止められた。
「だっ、離せ!」
「離してやるさ!」
その足を捻りながら、軸足にヒュスビーダは両足を添え、蹴り飛ばして足を払う。
転がるように起き上がったヒュスビーダは、倒れたカリオテの胸部装甲を掻き切り、装甲をえぐった。防護術式が弾け、魔結晶の破片がばらばらと操縦席のクラウスに降りかかる。
「くそッ」
「よくもサザを!」
ヒュスビーダは、カリオテの腹に開いている穴を掻き広げる。
「殺しにかかってきたのは、お前だって同じだろうが!」
その腕をつかんで、カリオテは投げ飛ばした。
だがヒュスビーダはカリオテの腕を放さず、投げた己の勢いでカリオテはつんのめる。
体勢を崩した二機はもつれ合うように転がり、互いに押し合いながら二転三転と回っていく。
そこは崖だ。
渓谷の終わりに位置する崖が、二機の重量に崩れた。
転がり落ち、二機は交互に水柱を立てる。
水を押しのけ、しぶきを上げながら、二機はそれぞれ体を起こした。
「くそったれ!」
カリオテは立ち上がりきれず、腕を突きながらヒュスビーダに肩口をぶち当てる。爪で応じるヒュスビーダは、カリオテの肩装甲を削るに留まった。
川の流れに押しのけられ、転がりながらも、二機は相食む。
「私は、ヒュスビーダを持ち帰るッ!」
「しつけぇやつだな、ふざけんな! そんなもん、レイアが行く気になったらにしろよ!」
水を流し打ち払いながら、二機は一瞬向かい合う。
「わけの分からん女のことなど知ったことか!」
「言ったなこの野郎!」
カリオテが全身で掛かっていく。
ヒュスビーダはタックルを受け止めた。カリオテの脇を握り潰すようにつかんで持ち上げ、横倒しに投げ転がす。
「ぬりゃあ!」
「っだあ! くそっ。なんでそこまでアーティファクトにこだわる!」
素早く転がったカリオテは、追撃にかかるヒュスビーダの土手っ腹に蹴りを叩き込んだ。川に足を取られ、ヒュスビーダは呆気なく転ぶ。
追い討ちに踏みにじろうとしたカリオテの足を、転がったままのヒュスビーダが払ってひっくり返す。
「貴様には、関係ない!」
「ぐあっ! ああそうとも関係あるかよ! ふざけやがって、高級機があって!」
水面に背中を打ったカリオテは、立ち上がるヒュスビーダに足の裏を蹴り込む。相手が後退りしている隙に、水を切りながら勢いよく立ち上がった。
仁王立ちするカリオテに、ヒュスビーダは姿勢を低くして怒声を叩きつける。
「貴様に分かるものか! するまいと誓ったことを強いられる惨めさが!」
「知らねぇよ、手段を選べる贅沢に浸った妄言なんか!」
動き出す前に先手を取ってカリオテは殴りかかった。
ヒュスビーダはその腕を叩いて逸らし、刺々しい装甲に覆われた膝をかち上げる。カリオテの両足が一瞬浮き上がった。足に引きずられた水がカリオテの装甲を叩いて弾けていく。
「その贅沢があるのなら、今ここに私はいない!」
「ほざくな! あれだけ機体が揃ってるじゃねえか!」
カリオテは拳を叩きつけて姿勢を崩させ、さらに肘鉄砲を打ち込む。
よろめいたヒュスビーダは足の爪を川底に食い込ませ、頭から突進していく。
「実用性が必要なだけだ!」
カリオテは肩を盾に受け止めて、正面から組み合う。
ヒュスビーダはカリオテの懐に己をねじ込もうと身をよじる。
「恥を捨てて、姉に金を借りて装備を揃えた! もはや商人か冒険者か分からん!」
受け止めているカリオテは、片足を引き、軸足から円を描くようにぐるりと体を翻す。ヒュスビーダを受け流した。
波が流れとぶつかってしぶきを上げ、姿勢を崩したヒュスビーダを突き飛ばす。ヒュスビーダは頭から岸壁に突っ込んだ。
「やっぱ贅沢じゃねえかクソッタレのボンボンが!」
翡翠に張り付いた石と泥を跳ね飛ばし、ヒュスビーダはカリオテに向き直る。
「ああ、そこまでして収入を安定させたさ! 笑え!」
「ははは! お笑いだクソッタレ! 我がままにレイアを巻き込んでんじゃねぇ!」
水を蹴るヒュスビーダの動きに応じ、カリオテは素早く足を入れ替えて体勢を整えていく。
クラウスは目を走らせて周囲と翡翠の動きを視界に入れる。戦闘者として動きながら、一人の男として苛立ちを叫ぶ。
「お前の腕じゃ、どうせ使いこなせねぇだろ! どうしてヒュスビーダまで欲しがる!」
カリオテは川底を蹴った。
間合いを詰め、機先を制してヒュスビーダに回し蹴りを叩き込んだ。直撃。
衝撃を受けつつ、腕を巻きつけるようにカリオテの足を抱えたヒュスビーダは、装甲に爪を立てる。
ぐるり、と。
カリオテの足をねじって、関節をひねるように駆動部を砕いた。
砕きながら、疲れ果てた声を絞って、ジェノは怒鳴る。
「私が、弱いからだッ!」
「はあ?」
一瞬、クラウスは呆気に取られた。
疲労のあまり取り繕う余裕すらないジェノは、カリオテの胸部装甲を殴りつける。術式武器の爪を使う思考すら残っていない。
それでも、防護術式の剥がれたカリオテには充分すぎる衝撃だ。
「戦闘も商売も、なにもかも上手くいかん! 副業で始めた冒険者のほうが、稼ぎが多いときすらあった! 甘っちょろい情で商売する姉よりも、うまく商会を回せない! 私はッ」
術式の砕けた胸部装甲は、ヒュスビーダに何度も何度も何度も何度も殴られて、丸めた紙を広げたものほどぐしゃぐしゃに歪みきる。結合部がねじ切れた。
外れたハッチを川に投げ捨てた。クラウスに直射日光と水しぶきが降りかかる。
目を眇めるクラウスの眼前で、ヒュスビーダは怒りに肩を震わせている。
「私はサザを守れない! そんなことが、許せるものか!」
怒鳴る翡翠の顔面を殴り飛ばす。
両足を浮かせて吹っ飛んだヒュスビーダは、頭から川に突っ込み、高い水しぶきを上げた。
片足まで潰されたカリオテは、立ってバランスを保つのが精一杯だ。クラウスは歯を食いしばって、直接襲いかかる水しぶきのなか両目をしっかりと開く。
「んな贅沢を、言ってんじゃあねぇッ!」
半身を起こすヒュスビーダに、クラウスは怒声を浴びせた。
「特別になんざなれやしねえ、英雄なんざ作り話だ! ヒュスビーダを持ってたって、なにひとつ変わりゃしねぇよ! 今のざまを見てみやがれ! アーティファクトなんざクソくらえだッ!」
咆哮が渓谷に響き、せせらぎにかき消されていく。
「……認められるか。そんなこと。たとえアーティファクトがクソだったとしても、そんな簡単に、諦め切れるわけがないだろう!」
「あーそうだよこんちきしょう! 分かってんだよ、俺だって! でも高下駄に憧れたって、仕方がねえだろ!? てめぇの持ってるその足で、どこに立つかは決められるんだ!」
むしろ自分に言い聞かせるかのように、クラウスは大声で言う。
もはや声を上げて突っ込んでくるだけのヒュスビーダに、カリオテは足を引いて腰を落とす。
生きている足で踏ん張りながらヒュスビーダの突進を押さえ込み、勢いを逃がして組み伏せる。立った波がぶつかり合って消えた。
ヒュスビーダを押さえ込みながら、クラウスは叫ぶように高らかに宣言する。
「俺は、ヴァルサに憧れてるッ!」
ヒュスビーダがもがくように体をよじり、横目にクラウスを見上げた。
見えもしないジェノの目を見返すように、正面から見据えて、無駄に大声で言葉を続ける。
「頭が切れて力が強くてバカでかい! どんなことだって動じずに対処するなんて、クソほど格好いいじゃねえか! 現実主義で冷静なあんな男が、俺を拾って、仲間にしてくれたんだ!」
カリオテは右腕を上げて、背中の固定器に手を伸ばす。
この混戦のなかにあって、フレームが歪みながらも背中に張り付き続けていた、削岩機だ。
トリガーを引くと、高い音を立てて杭が高速振動する。
「だから! 俺は! 俺と同じように、過去も未来も曖昧で、居場所がないレイアを助ける! 俺が居場所を作ってやる! ヴァルサが俺にしてくれたように! ああ! 悪いかこの野郎!?」
喧嘩を売るように怒鳴りながら、カリオテは腕を引いて、引き絞り、振りかぶる。
ヒュスビーダは機体を反転させ、手を川底に突いて起き上がろうとする。その動きを迎え撃つように、削岩機の杭は、翡翠の脇腹を突き刺した。
カリオテの右腕が弾ける。
衝撃と戦闘で疲労していた装甲が外れ、連結器ごと腕がもげた。
そして、削岩機の衝撃をくわえ込んだヒュスビーダは、その胸部装甲をこじ開けさせる。
ヒュスビーダのなかに収まっているジェノは、汗だくで髪を振り乱して息を切らしていた。
操縦桿を握り締めたまま、目を見開いて、眼前に仁王立ちするカリオテを見上げている。
もはや裂けたベルトを捨て、クラウスはふらつく足に力を入れて、ヒュスビーダに飛び移る。
コックピットにしがみつき、呆然と腰を下ろしたままのジェノの顎骨に、拳を振り上げる。
「俺がレイアを守るんだよ!」
叩き込んだ。
容赦のない一撃だった。
後頭部をシートにぶつけたジェノは、その長身から力を失わせてだらりとコックピットに沈む。意識を失ったようだった。顎が早くもはれ上がっている。
「色男が台無しだろ。ざまあみろ」
ジェノは、どこまでも素直で純情な一人の男は、こうして負けた。
脈と呼吸を確認したクラウスは、深くため息をついてずり落ちるように川に半身を沈ませる。
汗をさらう川の流れが心地よかった。
「……この状況は、私が助けたほうがいい?」
顔を上げると、レイアが操縦席に足を掛けてクラウスを見下している。
「さぁー、どうだろうな」
クラウスの声は枯れていた。
額に指を当ててレイアはため息をつく。
ぐったりとしているクラウスを見て、レイアは散々ヒュスビーダをクソだなんだと言ってくれたことに対する詰問を、延期することにした。
川の流れは淀みなく、せせらぎの音は崖に反響してやかましい。
「結局。私は、なんのために助けられたの?」
あー、とうめいて、クラウスは気だるげに答える。
「言ったろ。居場所を作ってやる、って。どこにいても場違い、みたいな感覚はなしだ」
「そんなことを、私が望んでなかったら?」
その意地の悪い質問にも、クラウスは動じなかった。
手を挙げて、追い払うようにひらひらと振る。
「どこなりと行っちまえ、好きなように」
「……いいの? こんなになってまで助けたのに」
「言ったろ、居場所を作るって。それが座を留めずに移ろうことなら、そうさせるのが一番いいさ。ヒュスビーダの部品としてこき使われるんじゃなしにな。ヴァルサは、俺を引き止めなかった。それはたぶん、そういう意味なんだろ」
空を願う小鳥ならば、閉じ込める鳥かごを壊してやる。
かごの中で歌うのが好きな鳥ならば、招き入れて守りたてる。
クラウスが言っているのは、そういうことだった。
クラウスが一向に頭を上げないことを確認して、レイアは目を細める。
「結局、全部受け売りなわけね」
「悪かったなー。それは、今後の課題で……」
「ったく。仕方ないわね」
ふふふ、とレイアはひそやかに笑った。
くたばっているクラウスは、レイアの笑顔を見逃した。




