競争 ――rivalry――(1)
無言のまま通路を進む。
下り坂は終わって左に折れ、真っ直ぐな道が伸びている。
カリオテの背後で、サリスはヒュスビーダに近づいて、覗き込むように機体を傾けていた。
「レイアって肉が好きなんだよね。どんな肉が好きなの?」
「べ、別に、好きってわけじゃない。太らせた家畜肉はちょっとくどいと思うけど」
好きそうだね。サリスは出かかった言葉を飲み込んだ。
「じゃあ何の肉が好きなの? 山羊? 豚とか鳥は?」
「そんな、どれが好きってものでもない。それでも強いて言うのであれば、鹿肉がいいかな。血抜きが難しいけど、あっさりしてて肉の味が楽しみやすいでしょ」
「グルメだ」
「違うってば」
思わず口走ってしまったサリスに、レイアはすかさず否定を差し込んだ。
「クラウス、狩るなら猪より鹿がいいってさ」
サリスはレイアを無視してクラウスに話を振る。
クラウスは苦々しい自嘲を浮かべる。
ヴァルサの話もあって、聞き耳を立てていたのがサリスに気づかれたのかもしれない。
無理に取り繕うこともなく、カリオテを少し振り返らせて会話に交ざる。
「鹿なんて、この辺りにいたか?」
「いないかな。もう少し北のほうに行かないとね」
じゃあ鹿とか言うなよ、とクラウスは口を尖らせる。
ふと、ヒュスビーダがハーラを振り返った。
「ここはどの辺りになるの?」
「ん。大陸の真ん中辺だねー」
「……ふうん?」
あいまいな返事をして、ヒュスビーダは前に向き直る。
突然黙ったレイアをクラウスは訝る。
ハッと機体を震わせたサリスは、慌てたように言い方を変えて繰り返した。
「えっと、英峰の東っ側だよ。ここも連なる山脈の一つね」
「ああ、なるほどね」
今度は少し嬉しさをにじませてハッキリとうなずく。
ハーラが安堵するように肩を下ろしたのを見て、クラウスはようやく状況を察した。
「分からないならそう言えばいいだろ」
ヒュスビーダは勢いよくカリオテに体を向ける。
「別に、分からないわけじゃない。少しピンと来なかっただけ!」
「人、それを分からないという」
「うるさい、バカラウス!」
おお、とクラウスは感嘆の息を吐いた。
「そんな罵倒の仕方は初めて聞いたな」
がしゃん、とヒュスビーダはカリオテの肩をどつく。
ヴァルサが迷惑そうにじろりと目を向けて、ヒュスビーダは戸惑うように身をすくませた。
しかし、レイアは鼻を鳴らしてそっぽを向く。意地を張っているらしい。
ヴァルサはヒュスビーダから視線を外し、道の先に向ける。真っ直ぐに続く道をにらんだ。
「妙だな。なにも起こらなさすぎる」
「もう仕掛けはないんじゃないの?」
「じゃあ、この通路はなんのために長く引かれているんだ?」
「あー、そっか。どうなんだろ」
魔力センサの異常だけ気を使っていればいい、と軽く構えていたサリスは、ようやく気を張って通路に視線を走らせる。
石畳をライトで一つ一つ照らしていくハーラに、レイアは不思議そうな声を向けた。
「あの照明の魔術を使わないの?」
「んー? 無理無理。自前の魔力じゃないし。魔力は機巧外殻に載せてる分しか使えないから、無駄遣いはできないの。どれだけかかるかも分からない探索で、いちいち使ってらんないわ」
ハーラは軽く手を振って見せる。
レイアはまた鈍い反応を見せている。今度はクラウスにも分かった。
「機巧外殻はアーティファクトと違って、魔力がないと動かないんだ。魔力槽に貯蔵していて、その魔力を流用して魔術を使う。魔力の浪費は命に関わるんだよ」
その点、永続的な魔法の効果で動く魔導鎧は優れている。
原動機によって出力される機械的な運動力ではなく、魔法で格段に増幅させた、搭乗者の身体能力で動いているのだ。
そういう特異な鎧に搭乗している自覚はあるのか、レイアはふうんと鼻を鳴らす。
「けっこう難しいものなのね」
「まあ、精密機械だからね」
サリスは苦笑して言う。レイアの声はあっさりしすぎていた。
先頭を行くカリオテのライトが、通路の先を照らし出して、クラウスはうなった。
「ん……なんだ? 道の先に部屋があるぞ」
「お。今度はなに?」
サリスは、待ちくたびれた、とばかりに声を弾ませる。
その声を背に、クラウスはギアを落とし、早足で部屋に近づいていく。四角く区切られた出口の向こうがライトに照らし出され、平板に光を反射する。
「それほど広くなさそうだ。いや、これは」
クラウスは気づいた。カリオテの背中に乗っているヴァルサも喉を鳴らす。
石で組まれた小さな部屋に、通路は開いていなかった。
「行き止まり? 馬鹿な、一本道だっただろ!」
「待てクラウス、うかつに走るな!」
カリオテが部屋に駆け込んだ二歩目の石畳が、不気味に沈み込んだ。
声にならない声を上げながら、クラウスは反射的にカリオテを操縦する。
ギアを抜き、操縦桿を振って腕を振り、蹴り下がるように。
しかし、蹴った勢いで石板は吹き飛び、足場を失ったカリオテは空中で倒れていく。
「う、おああああっ!」
「つかまって!」
ヒュスビーダの伸ばす腕がカリオテの腕をつかんだ。
クラウスが反射的にトリガーを絞り込み、マニピュレーターがヒュスビーダの腕を握る。ギシャ、と軋むような音が重なった。
互いの肘をつかみ、カリオテの重量が一瞬でヒュスビーダの上半身を絡めとる。
翡翠の輝きが燃え上がり、二機を支える足の爪が石畳の上をスケートのように滑っていく。
「くんの、させるかっ!」
サリスの咆哮とハーラの腕がヒュスビーダの胴を抱え、機械腕を壁に打ちつける。
パイルバンカーは文字通り楔となり、二機をかろうじて支えた。
ヒュスビーダが崖底に飛び出した爪を引いて、石畳を踏み潰す。
機体の急停止に振り放され、つんのめるように転がったヴァルサはカリオテの腕をつかみ、懸垂をするように自力で体を支える。
そのつま先さえ空を掻いた。
ヴァルサの手から零れ落ちたライトが転がり落ちて、闇を切り裂きながら落ちていく。
石造りの壁が二転三転と高度を落としながら閃き、光が砕け散ったあと、カツンと石を叩く音が洞のように広く響いた。
奈落は闇に閉ざされて、残響の溶けた石が沈黙に冷えていく。
やがてレイアは、カリオテを見下ろしてつぶやいた。
「うかつね」
「……すまん」
心の底から染み出たような声で、クラウスは詫びた。
ヴァルサがカリオテを伝って通路に戻り、三人がかりでカリオテを引き上げる。亜人たるオルギスの怪力は、生身でさえ充分な力がある。
「まったくもー。あんた、何年やってんの」
「申し訳ない」
「おそらく、そういう罠だったんだろう。長く罠のない道を歩かせて、危機感を緩ませる。みすみす引っかかる必要はなかっただろうがな」
「悪かった」
クラウスは謝り倒す。
完全に油断していたクラウスの失態で、そのためにヴァルサはもちろん助けようとしたレイアまで巻き込みかけた。
サリスもヴァルサも、一言ずつ文句を言った以上に責めることはしない。
さっさと話題を切り替えて、意味のあることに意識を注ぐ。
「この先が行き止まりということは、途中に隠し通路でもあったのだろう。そして、連中はそれを見つけている」
ヴァルサの分析に、サリスはうなずいた。
「いないってことは、そうなんだろうね。でも魔力センサに異常はなかったけどなあ」
「落とし穴にもなかっただろう。機械的な仕掛けは魔力では見抜けない」
「ここまで魔法をふんだんに使っておいて、今さら物理的な仕掛けなんてねぇ」
「おそらくそれも、狙いなんだろう。どうも隠匿が主眼になっている」
「悠長に立ち止まって話してないで、早く探しに行かない?」
二人の会話に、レイアが割り込んだ。
焦りを表すようにヒュスビーダの身をうずかせて、急き込むように言葉を連ねる。
「いずれは追いつくと思ってたけど、分かれ道があったなら話は別。かなり離されてるかもしれない。のんびり構えている暇なんてないわ」
ヴァルサはあくまで平静な目をヒュスビーダに向ける。
「焦ったところでしくじるだけだ。急ぐならば、なおさら落ち着け」
しかし、すっとヒュスビーダは身を引いた。
これまでの焦燥がまるでなかったかのように、平然と立っている。
獲物を見つけて気配を隠す獣のように、静まり返っていた。
「そうね、分かってる。忠告ありがとう」
声さえもひそやかに落ち着いている。
そして翡翠の機体は身を翻し、通路を歩き始めた。
「どこに行くの?」
サリスの呼びかけに足も止めず、ただ声だけを返す。
「動く気がないなら勝手に行くわ」
「ちょっと待って、独断行動は危ないって! なにをあんなに焦ってるの、あの子」
ため息混じりにサリスがぼやき、ハーラが急ぎ追おうと足を踏み出す。
その背中に、声が掛けられた。
「なあ」
これまで押し黙ってうつむいていたクラウスだ。