伝承 ――prologue――
戦争があった。
なぜ戦っているのか、なにと戦っているのか、意識している者はいなかったし、理解している者もいなかっただろう。その戦争に従事している少女自身、その実感はあまりない。
人々は敵を憎み、戦闘の勝利に喜び、敵の死と己の生を望む。剣を磨き、矢を揃え、戦闘の備えを怠ることは決してない。しかし、戦争の情勢を知る者は一人としていなかった。
少女は、それがひどく他人事のように思える。戦っているらしい。死んでいるらしい。仲間意識というものは感じられなかったし、敵に対して憎悪の念を抱いたことはない。
ただ、望まれたままに戦場に赴き、剣を構え、魔術を唱えた。
戦闘は毎日のように起こり、森や岩山、荒地や平原、ときによっては村の家屋を踏み潰しながらの戦闘になることもある。敵は多く、強く、また戦意を鈍らせることがなかった。
その日も彼女は武器を持つ戦士とともに森に向かい、敵を打ち倒した。
その帰りは、彼女だけになっていた。
戦勝に浮かれて話しかけてくる者がいないことを、ほんの少し退屈に感じながら、足場の悪い森を抜ける。普段と違い、帰る彼女を迎える歓喜の声はなかった。
陣地は踏み荒らされ、燃え盛る廃屋は膨らむような黒煙を立ち上らせていく。拠点を襲撃した敵は、帰還した彼女を見るや否や、牙を剥き武器を持ち、爪を立てる。
少女は敵を打ち払いながら、廃墟を脱する。生存者を確かめることもない。それでもなお、浮ついたような、奇妙に実感の湧かない感覚はやまず、感情が湧かなかった。
少女に打ち倒された巨人が、折れた牙を血とともに噴き出しながら、少女を呪う。
「裏切り者め」
いつものように戦う彼女は、初めて敵から罵声と断末魔以外の言葉を聞いた。
「人族ならず、魔族ならぬ外れ者め。貴様の行く道に屍の山と血の河は消えまい。貴様の生に禍の止まぬことを」
血の滲む言葉を吐いて息絶えたトロールを踏みにじり、彼女は敵を六つも切り裂く。
戦いながら川辺に下りて道を行く彼女は、拠点を失って補給が受けられないことを意識に上らせた。目前と直近の戦闘に意識を向け、少女は走る。やはり、感慨は湧かない。
連綿と続く敵との戦いを、人々はまるで当然であるように感じていた。竜ならば、この戦争の始原より見守ってきた者がいるかもしれない。だが竜といえば、彼らにとっての敵だった。天災が如き力を持つ竜種は、人の宿敵であり、敵の頂点に君臨している。
人々は敵を魔族と呼び、魔王と呼ばれる竜のもと、生まれては死ぬ戦争に明け暮れる。
竜の寿命にしたがって、その戦争は、数万年に及んだという。