嘘つき村
「あそこの村に嘘つきは居ませんよ」
と、あそこの村の住人は皆揃ってそう言う。
嘘つきばかり住む嘘つき村だから仕方がない。だが村のフィールドワークを大学院の課題に出された僕には、少々厄介な問題だ。
何しろ皆が嘘をつく。質問の答えはいつも反対に受け取らないといけない。
「何故嘘をつくのですか?」
「嘘をつくのが嫌いだからです」
「では嘘をつくのが好きなのですね?」
「ええ。嘘をつくのが嫌いだからです」
万事こんな調子だ。最初は慣れずに苦労した。
嘘をつかれていい気分はしない。初めは真面目に答えて欲しいと思ったが、よくよく考えれば正直に答えられては僕の課題はこなせない。
嘘をついてもらわないとフィールドワークにならないのに、嘘ばかりつかれては何と言うか話が進まない。
厄介な課題を出されたものだと僕は辟易した。当惑や困惑もした。
朝、おはようございますと声をかければ、もう遅いとよ答えが返ってくる。
思わずすいませんと謝れば、ダメだダメだ冗談じゃないよ笑って応える。
そう。嘘はつくが、顔は普通なのだ。そのギャップがまた僕を困惑させる。
僕はそれでも頑張って課題の為に質問をした。
「嘘ばかりついていると、不便ではないですか?」
「ええ。不便ですね」
「どうして不便に感じないのですか?」
「人間関係が上手くいかないからでよ」
「人間関係が上手くいくんですか?」
「いや。正直も方便さ」
僕はこんがらがる頭を整理する。
ここの住人は嘘をつくのが好きで、何より人間関係が上手くいくから嘘をつくらしい。
確かにそういう考えもあるだろう。嘘も方便というやつだ。
だけどたまには本当のことを話して欲しい。脳内で相手の言葉を反対に切り替えないといけない僕は、ほとほと疲れ始めていた。
そう。特に相手の本心を訊きたい時だってある。いくらひっくり返せば本心とはいえ、本人の口から訊きたい言葉もある。
そんな訳で僕はその人の目を覗き込んだ。
僕が村にきて一目で恋に落ちた女性だ。
そう何日も村にいられる身分ではない。僕は思い切ってこの思いを打ち明け、相手の気持ちを確認するつもりでいた。
「好きか、嫌いかで答えて欲しいんだけど。いいかな?」
「嫌よ」
「じゃあ。僕のことをどう思ってるか、訊きたいんだけど。いいかな?」
「いいよ」
「そんな。僕は君のことが好きなんだ」
「私は嫌いよ」
「ああ。やっぱり……」
「そうよ。嫌い」
「そうだよね。僕なんか――えっ?」
ふふんと彼女は笑い、僕はその後何を話して何を聞き出したかまるで覚えていなかった。
僕は村にいる間中、ことあるごとに彼女に会った。
何を話していても楽しい。お恥ずかしながらこういう体験は初めてだからだ。たとえ相手が嘘ばかりついてもだ。
そう、初めはとても楽しかった。
彼女の言わんとする反対を考え、それが僕の望む言葉であった時の喜びはちょっと他では味わえない。
だが慣れてくると贅沢なもので、その反対の意味を考える間がもどかしく感じる。
何より彼女の口からは、『嫌い』としか聞いたことがない。
ここまで仲良くなったのだ。たまにはまともに『好き』と言われたい。
だが彼女に好きと言われる為には、どうにも嫌われないなといけないのだ。
しかし僕は彼女に嫌われる訳にはいかず、とうとうプロポーズの返事まで嘘でもらってしまった。
「嫌よ。大嫌い」
彼女は僕の妻になってくれた。
僕は村で暮らすようになった。村人は嘘はつくがいい人ばかりで、特にその嘘で不利益を受けることもない。
慣れさえすれば暮らしていくのに苦労はしなかった。僕自身も上手く嘘がつけるようになった。
だからそれはただ僕は魔が差しただけなんだ。
僕は用事で隣の村に出かけた。そこは正直者しか居ない村だった。
そこで村一番の美人に微笑まれたのだ。
その美女に、あらいい男ね――と。
正直村の住人は嘘をつかない。僕は一瞬でのぼせ上がった。
僕も今や嘘つき村の住人だ。だから嘘をつくことには慣れているつもりだった。
僕たちは相変わらず嘘で会話する。
「何しに隣村にいったの?」
「遊びにだよ」
「誰に会っていたの?」
「女の人だよ」
むしろ本当のことを口にする自分に、僕は内心の動揺を隠し切れている自信がない。
だが彼女の態度は変わらない。
相変わらず嫌いよ嫌いと、僕のことを思ってくれる。
でもやはり彼女は嘘をつくのが上手いようだ。
「大嫌い」
彼女の笑ってないその目に僕はそう思う。
そう。自分の心に嘘をつくのが彼女は実に上手いのだ。