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第五章

 結局ケレンはライオネルを見舞うことはなかった。

 皇太子は只今侯爵邸の応接間にいて、ケレンの目の前で優雅に紅茶を飲んでいる。こちらを窺うように見据えてくる瞳の色は闇で陰っている。

 今朝早く、ブラッドリー伯が多数の部下を引き連れて侯爵家を訪ねてきた。訪ねてきたというのは穏便すぎる表現で、実際には扉を壊す勢いで雪崩れ込んできた。今は侯爵邸のあちこちで、文字通り部屋をひっくり返すように不正の証拠の捜索が行われている。騒がしい音が応接間まで聞こえてきたが、共に訪ねてきたライオネルはどこ吹く風だった。伯爵のうしろから優雅に姿を現した彼はまるでケレンを迎えに来ただけのように、応接間での接待を命じたのだ。

 部屋の中にふたりきりなのは、ライオネルがエスクアとヨルドを部屋の外で待機するように命じたからだ。苦々し気な顔で心配を露わにしていたヨルドを、ライオネルが鼻で笑ったのを見た。なにかあればすぐに助けに来られる距離ではあるのに、扉一枚隔てているだけでこんなにも不安になる。ライオネルに接待を命じられた時点でこうなることを多少予想できたケレンとは違って、ヨルドの心中は穏やかではないだろう。

「それで、侯爵たちをどこに逃がしたんだ?」

「さあ。どこか出張にでも出かけているのでしょう。父は忙しいので、しょっちゅう家を空けておりますから」

 緊張する鼓動を抑え込むようにケレンも紅茶を飲んだ。父と母、それに弟や妹たちは昨日までに侯爵領に到着しているはずだった。一昨日息子の方のブラッドリーから急ぎの書簡が魔法で届いて、すぐに父たちをこの屋敷から逃したのだ。道中はテディ子爵率いる帝国随一の騎士団が同行しているので、万が一という心配はない。侯爵領は帝都から離れている分、追手が着くまでに猶予があるし、領民たちは絶対的な侯爵の味方だ。領主さまを陥れる計画を知れば、そう易々と追手を町の中へ入れることはしないだろう。

 舞踏会のあとすぐ、ケレンは皇太子とブラッドリー伯が企てているらしい計画を父に打ち明けた。テディ子爵にも同席してもらったのは、父が不当に拘束された場合、皇太子に食ってかかるような気がしていたからだ。父は意外そうな顔もせず、いつかはこういうときがくることを予想していたような態度だった。有力貴族たちの間では皇宮でのポジション争いのため、相手を陥れようと画策する者も後を絶たないのだろう。

 無事に家族を逃がし終えたケレンは、広い侯爵邸の中にアメリアとヨルドと共に残った。ブラッドリーは侯爵邸の捜索を知らせてきたが、伯爵たちがどのような手段で証拠をでっち上げるのかまではわからなかったと書簡の中で詫びていた。当日は同席する予定だと言っていたので、今は父親に従ってどこかの部屋をひっくり返すふりをしている最中だろう。

 ブラッドリーからの書簡を受け取った時点で、ケレンは彼らがなにをしようとしているのかに気づいた。表向きは侯爵を拘留し家探しをするという名分だが、それはこの屋敷を捜索するための言い訳に過ぎない。手下の誰かが偽の証拠を仕込んで、あとは見つけたふりをしてライオネルに提出すればいい。侯爵邸から見つかったという大義名分さえあればいいのだ。

「随分と派手に捜索されておりますが、証拠が見つからなかったらどうするおつもりですか?」

「見つかると踏んでいるからこうしてやって来たのだろう?それに、わたしの前では証拠などあってないようなものだ。わたしがそうだと言えばそうなるのだからな」

 薄く笑うライオネルに、高潔な皇太子の面影は最早なかった。目の前にいる彼は果たして、出逢った頃のライオネルと同一人物なのだろうか。

「横領犯の家宅捜索など部下たちに任せておけばよろしかったのでは?殿下のお手を煩わせることはないでしょう」

「この前言っただろう?いずれお前は自らわたしの元へ来ることになると。今日はその返事を聞きに来た」

 ソファに深く身を預けた彼が膝の上で指を組んだ。優雅な仕種であるのに、その顔に貼りついた柔らかな笑みから凄まじい圧力を感じる。

「なんのことでしょう?」

「惚けるつもりか?侯爵家を人質に取られてもその態度でいられるとは」

 白を切りとおしたケレンをライオネルが笑い飛ばした。こちらへと乗り出してくる綺麗な顔が心の内を体現するように醜く歪む。

「自ら選んで来た方が随分と楽だろうと思って選択肢を与えてやっているのだ。さっさとあの男と別れてわたしの元へ来るがいい。男がすきなら、わたしの方が条件がよかろう?」

「そういう問題ではありません。俺はヨルド以外と添い遂げるつもりはない」

 そう強い声音で言い切って目の前の男を睨めつけた。恐怖で震える掌を叱咤するように握り締めて、精一杯の虚勢を張る。絶対に、ここで折れるわけにはいかない。

「お前がわたしを選ぶだけで丸く収まることはわかっているだろう。こんな茶番は早く終わらせた方が身のためだぞ」

「横領疑惑がある侯爵家の息子を婚約者に据えるなどどうかしている。それに俺はその横領犯を逃がしたのですよ?」

「疑惑は収まり、皇宮はお詫びにお前を婚約者に迎える。素晴らしい筋書きだと思わないか?」

「侯爵家の者を婚約者に迎えたいなら、それに相応しい令嬢が必要でしょう」

「ああ、あの女では話にならない。兄上はあの女が気に入っていたようだが、あれはわたしを奥底へと抑え込もうとする。その点お前の魔力は素晴らしい。このわたしにぴったりだ」

 皇太子を兄上と呼んだ男がにたりと笑った。その刹那、ライオネルの顔にまるで違う顔が貼りついたような錯覚を覚える。一体この男は誰なのだろう。ケレンはライオネルの心が闇に染まって、横柄な態度を取っているのだと思い込んでいた。けれどこれでは、まるで闇自身が意思を持って話しているようではないか。

 ぞわりとした、気味の悪い恐怖を覚えた。思い返せば、ライオネルは皇太子らしくない言動をすることが何度もあった。年相応の男なのだなと思わせるような気安さや横柄な態度をしていたのは、そもそもライオネルではなかったのだ。心が闇に支配されたのではなく、心を喰われて成り代わられてしまった。

 そうだとしたら?

「お前はいったい誰なんだ。皇太子殿下ではないだろう」

「わたしもまた皇子なのだ、ロックウッド。皇太子になる資格だってある」

 そう言われて混乱した。戸惑うケレンを見て男が笑い、ますます身を乗り出してきた。ほとんどテーブルを乗り越えて手を伸ばしてくる男から可能な限り身を引いた。逃げ出してしまえばいいのに身体が上手いこと動かない。その身体から滲み出る闇の力の圧で雁字搦めにされていた。そのことに、今更になって気づく。

「ああ、いい香りがする。わたしの元へ来るのが嫌なら、ここで抱いてしまうのもいい。その綺麗な顔がどう歪むのか見てみたい」

「どうかしている!」

 かろうじてそう叫んだ。いつの間にかテーブルを乗り越えて目の前に迫っていた男に、易々と組み敷かれてしまっていた。力の加減を知らない指が手首に食い込んで痛い。お前は華奢だからその気になれば抑え込める、と言うヨルドの声が聞こえるようだった。ここまでの圧をかけられたらどんな屈強な男でさえ抑え込めるだろうが、たしかにケレンは非力過ぎた。ただのライオネルだったとしても抵抗できたかどうか怪しい。

 身体中の魔力を搔き集めても闇からの圧を軽減することができない。シャツのボタンを外されて、その隙間に冷たい手が忍んでくる。舞踏会のときと同じ、どろりとした感触が肌の上を滑るのを感じた。けれどそれはけしてケレンの中へと染み込んでくることはない。

 どうにかしなければいけないのに、考えれば考えるほど動かない身体が恐怖に蝕まれていった。すきでもない男に身体をまさぐられる気持ち悪さに肌が粟立つ。人間の掌で触れられているような感じがまるでしない。小刻みに震えながらぎゅっと目を瞑ると、くつくつと笑う声が聞こえた。

「なにがおかしい、?」

「恐怖の感情に支配された身体は美味いのだ。兄上もわたしがその心に手を伸ばしたとき、恐怖に支配されていた」

「お前はなにがしたい?どうして俺に執着する?」

「わたしはお前を支配したい。お前の魔力があればすべて元通りになるからな」

「どういう意味、」

 ケレンの言葉を遮るように陶器が割れる音が響いた。それとほぼ同時に目の前を魔法の気配が横切って身体にかかっていた圧が消える。

「ケレンから離れなさい!」

 駆け寄ってきたアメリアが続けざまに魔法を放ち、闇の力を無理矢理抑え込もうと奮闘していた。床に頽れた皇太子の身体が苦し気に呻き、抵抗するようにアメリアの魔法を跳ね飛ばす。悔し気に舌打ちした彼女の背後から躍り出たヨルドが、その胸倉を掴んで思い切り殴り飛ばした。その身体を受け止めたエスクアが皇太子の首のうしろに手刀を叩き込むと、小さく呻いたあとでようやく動かなくなった。

 唖然としていたケレンにヨルドが上着をかけてくれた。そのままその腕の中へと抱き寄せられてようやく、酷く怖かったのだと気づかされた。縋るようにその背に腕を回すとヨルドがしっかりと抱き直してくれる。この身体に触れるのは彼がいい。彼にしか許したくないと、気づいてしまう。

「すぐに助けてやれなくて悪かった。怖かっただろう」

 柔らかで優しい声音が恐怖を癒すように染み入ってきた。彼がくれる柔らかな配慮が恐怖を拭い去って、温かな気持ちが流れ込んでくる。抱き締めてくれるヨルドの身体も小さく震えているのは、ケレンの恐怖を同じように感じてくれているからだろう。そんな彼がいとおしくて、ああすきだなと思った。あやすようにその背を撫でてやると、顔を上げたヨルドが少し不満そうな顔をする。

「なんだか、思ったより平気そうだな」

「そんなことない。ただお前も同じように怖かったんだとわかったのがうれしかったんだ」

 ケレンの言いたいことが伝わらなかったのか、ヨルドが怪訝そうな顔をした。難しい顔をするなとその鼻を摘まむと、なにをするのだとわざとらしく痛がる。先ほどまでの緊迫した気分はどこかへいってしまっていた。ヨルドが助けに来てくれたというただそれだけで、ケレンは百人力なのだ。

 アメリアのわざとらしい咳払いで現実に引き戻された。皇太子を向かいのソファへと横たえたエスクアが、無表情ながら少々気まずそうにしていることがわかる。我に返ったヨルドが離れてしまうのが名残惜しかった。けれど今は、向き合うべき別の問題がある。

「殿下がご迷惑をおかけして申し訳ありません。本日は体調が悪いということにして、捜索を打ち切ろうと思います」

「おそらくもう充分でしょう。証拠を探したという大義名分は果たせたはずです」

 ケレンの言葉にエスクアが黙って頭を下げた。この男は皇太子然とした男が目論んでいること知っていて止めなかった。止められなかったと言った方が正しくとも、己のその行動を恥じているのが伝わってくる。

「一応皇太子という身分上、その命令には従わざるを得ませんでした。ここからはわたしが名代として指揮を執ります。すべてを把握しているわけではありませんが、この茶番を終わらせるお手伝いはできるかと」

「もうひとつ教えていただきたいことがあるのです。あの男は本当にライオネル皇太子殿下ですか?」

 エスクアの表情に戸惑いは浮かばなかったが、ぐっと言葉を詰まらせたのがわかった。アメリアとヨルドが一体なにを言っているのだと言いたげな視線をケレンに向けてくる。

「この男は先ほど、ライオネル殿下を兄上と呼びました。それから自分も皇太子になる資格がある皇子だと。これは一体どういうことなのですか?」

 ケレンの鋭い視線はエスクアに無表情で受け止められた。彼の鋭い眼光はまるで睨まれているかのような錯覚に陥るが、今は怯んでいる場合ではない。すぐに状況を把握したらしいアメリアが、教えてくださいと加勢してくれた。彼女だってライオネルの闇を抑え込む手伝いをさせられていた以上、すべての事情を把握しておく権利がある。

 まだ少年少女と呼べる年齢のふたりからの懇願にエスクアが小さく嘆息した。

「これは皇家の内情に関わることなので、今ここでお話するわけには参りません。後日必ずお話しするとお約束致しましょう。その代わりにひとつ、頼みを聞いて頂きたい」

「わかりました。エスクアさまが俺たちに協力してくださるのなら」

「それはもちろん。あなたたちを助けることは殿下を助けることにも繋がりましょう。ではさっそく、リデル嬢。この闇を奥深くへと抑え込むのと同時に、殿下の意識をしばらく封じておいていただけますか?」

 平然とそう言ってのけたエスクアにアメリアが戸惑いつつも従った。主君である皇太子にさえそんな仕打ちを許せるこの男は、いったい何者なのだろう。

「そんなことをして大丈夫なのですか?」

「ええ。この男が目覚めていることの方が厄介でしょう。床に臥せっていてもらっていた方が都合がいい。この茶番の幕引きはわたしにお任せください。まぁ、ロックウッド侯爵さまが横領に手を染めていたなどと誰ひとり信じてはおりませんが」

 そう言って、エスクアが薄く笑いかけてくれた。初めて見る彼の柔らかな表情に思わず面食らう。少なくとも彼は今の皇太子の状態をよいとは思っていないようだ。以前事情を聞いたときに答えてくれなかったのは、そのときのライオネルがまだ正気を保っていたからか。

 アメリアが魔法をかけ終わるのを待って、エスクアが屋敷中からブラッドリー伯と兵士たちを撤退させた。伯爵はエスクアに命令されるのを不服そうにしていたが、皇太子の名代だという一言で渋々と従ったようだ。エスクアが後日必ず連絡すると約束して帰ってしまうと、捜索のあとだけ残された屋敷内はまるで暴動に入られたあとのようだった。これをすべて片付けるのには、すべての召使たちの手を貸りたとて数日かかるだろう。

「ああもう!本当に腹が立つ!」

 手がついていないのは応接間くらいで、それ以外の部屋はケレンたちの私室を含めてすべて暴かれていた。アメリアがそう癇癪を爆発させる気持ちもよくわかったし、さっそく片付けに取りかかり始めた侍女たちが腹を立てる気持ちもよくわかった。けれどケレンは彼女たちのように怒る気にはなれず、とりあえず乗り切ったなと安堵する気持ちの方が強かった。

 エスクアが幕引きを引き受けてくれたことで、俄然有利な方向に動いている。まだしばらく横領事件の余波は続くだろうが、父が不当に投獄されることも断罪されることもないだろう。どうやらライオネルをあの闇から救うことが、今世でのケレンの宿命であるようだ。本の中の悪役令息だったケレンが皇太子を救う立場になるとは夢にも思わなかったが、断罪される未来を恐れているよりはずっといい。

 アメリアに少し休むといいと勧められたので、ヨルドと共に自室へと下がることにした。ケレンの部屋も荒れ放題だったが、侍女たちがなんとか過ごせる程度には片づけを終えてくれていた。あくまでも証拠捜索のはずなのに中には手癖が悪いものがいたようで、カーテンやクッションが引き裂かれていた。屋敷中を改めたら、いくつか金目のものが盗まれている可能性もあるだろう。ブラッドリー伯が寄せ集めた者たちの中には、どうやらまともではない男たちが混じっていたようだ。

「こりゃあ酷いな。奥様が見たら悲鳴を上げそうだ」

 ヨルドがそう苦笑ってケレンをベッドへと座らせてくれた。幸いベッドは無事だったようで、侍女が使えるように整えてくれていた。目の前に跪いた彼に見上げられると、なんだかこそばゆくて笑ってしまう。どうして笑われるのかわかっていない彼の表情さえも、いとおしく感じられるのだから困った。

 ライオネルを殴り飛ばしたあとも、こうして無事でいてくれてよかった。もしあそこでエスクアがケレン側に加担してくれなかったら、彼は今頃不敬罪で投獄されていたはずだ。

「お前が無事でいてくれてよかった。殿下を殴り飛ばしたりしたから冷や冷やしたんだぞ」

「身体が勝手に動いたんだ。お前が襲われているのを見て頭に血が上っちまった」

「咎められたらどうするつもりだったんだ?」

「人の心配している場合か?もう少しでどうにかされるところだったんだぞ。お前をひとりで残すべきじゃなかった。お前になにかあったら、俺は正気でいられない」

 ヨルドにそう咎められてあの男に肌を撫でられたときの感触を思い出した。つい小一時間ほど前のことなのに今けろりとしていられるのは、アメリアやヨルドがあの男に鉄槌を下してくれたからだ。あのときはたしかに酷く怖かったけれどヨルドがくれた安心感の方が勝っていた。この男の傍にいれば絶対に護ってもらえるのだと本能的にわかっているのだ。

「あの部屋でなにがあったんだ、ケレン。さっきあの男は皇太子ではなかったと言っていただろう」

「殿下の中の闇はひとりの意思を持っていたんだ。俺を欲しがっていたのはライオネル殿下ではなくてその闇だった。闇は俺を支配したいらしい。侯爵家を人質に婚約を迫ってきたから断ったら、この場で抱かせろと言われて」

 あのときは気が動転していて気づかなかったけれど、あの闇はケレンの内側へ入ろうと入口を探しているようだった。おそらく皮膚からは染み入れないと気づいて、粘膜から染み入ろうと画策したのだろう。それでああいう言動になった。それでも襲われたという事実は消えないし、ヨルドの怒りを鎮める手立てにはならない。

「たぶん、俺の中に入ろうとしただけだと思う。一応魔術師は自分の魔力で結界が張られているから、内側に入り込むにはそれがいちばん手っ取り早いというか」

「だからと言ってお前を襲っていい理由にはならない。もう一発くらい殴っておけばよかった」

「駄目だ!そんなことをして断罪されたらっ、」

「俺はお前のためならどうなったっていいんだ!」

 ヨルドに怒鳴られたと思った刹那、気づいたら見下ろされていた。どうやら押し倒されているらしいとわかって鼓動がひとつ高鳴る。手首を掴んでいたヨルドの手がそっとケレンの手に重なった。縋るように指を絡められると、心まで雁字搦めにされたような気分になる。

「ヨルド、?」

 彼の名を呼ぶ自分の声は、思っていたよりもずっと弱々しかった。ライオネルの皮を被った誰かに押し倒されたときはあんなに怖かったのに、相手がヨルドだというだけで胸の奥が切なく疼く。彼の紅い瞳に映る自分の顔が惚けて見えた。頬にじわりと熱が滲むのがわかって、思わず顔をそむけたくなる。こんなの、すきだと言っているようなものじゃないか。

「ケレン、お前はお前をすきな男がどんなに危険かわかっていない。お前をどうにかすることなんて簡単にできるんだぞ。もっと危機感を持ってくれ」

「わかった!俺が悪かったから、ちょっと離れて、」

「そういう反応が下手に男を煽るんだ」

「しょうがないだろう!お前がすきなんだから!」

 そう叫んでしまってから後悔した。ヨルドが目を丸くして固まっているのがわかったからだ。それからその頬にじわじわと赤みが指して悪かったと意味もなく謝られる。それがなんだか告白の返事のようで泣きたくなった。

嫌われていないことはわかっている。好かれているんじゃないかと勘違いしそうになったこともあった。ヨルドに過度に心配されるたび、安心させるように抱き締められるたび、想いがどんどん募っていった。言わなければよかったと後悔したくなかった。この気持ちをうしろめたく思いたくはない。

「お前が謝ることはない。全部俺が悪いんだ。勝手にすきになって、お前のことを巻き込んだ。俺のことを護ってくれてうれしかったよ、ヨルド。本当にお前が俺のことをすきだったらよかったのにと、何度想ったか」

 ヨルドの顔に困惑が浮かぶところを見たくなくて目を伏せる。それでも彼への想いを話しているうちに思わず笑みを浮かべていた。すきですきで、たまらない想いをようやく吐き出せている。それだけでしあわせだと思わなければいけない。

「お前ってやつは、俺の気も知らないで」

「え?」

 そう言葉を絞り出したヨルドに抱きすくめられた。彼の体重が圧し掛かって苦しいのに、その重みさえもいとおしいのだから仕様がない。言葉にされなくとも、これが応えなのだとわかった。どんな反応をされるのかと怖がっていた自分を笑い飛ばしたくなる。一瞬でもヨルドが自分を拒絶するなどと思ってしまったことが間違いだ。

「ヨルド、苦しい」

「お前をすきな男は危険だと言っただろう。俺はもうお前を離すつもりはないぞ」

 拗ねたような声音に頬が笑みに崩れた。その背に腕を回して抱き返すと、ヨルドの腕に力が籠るのがわかる。このまま、彼になら抱き潰されたってよかった。ヨルドなら怖くない。

「お前ならいいよ。俺をお前のものにしてくれ、ヨルド。お前になら全部やる」

「ああもう、すぐそういうこと言うなよ、ケレン。なにされたって文句言えないんだぞ?」

「俺の嫌がることはしないってわかっているからな。それに平然と思わせぶりな態度を取っていたくせに」

 顔を上げたヨルドの鼻を摘まむと大袈裟に痛がる素振りをした。今までだってこうやってじゃれ合ってきていたのに、想いが通じ合ったあとでは他愛なくはいられない。不意に真摯な瞳で見つめられると高鳴る鼓動が速まっていった。胸の奥が柔く痛んで、切なさに疼いた。名を呼んでくれる彼の声が、いつもと違って甘く聞こえる。

「初めて出逢ったときからずっとお前のことだけを想っていた。偽りだとわかっていても、俺のことを恋人に選んでくれてどんなにうれしかったか」

「その割には外堀はしっかり埋めていたじゃないか」

「敵を欺くにはまず味方からというからな。あの男からケレンを護るためだったと言えば、あっさりなかったことになるだろうと踏んでいた。それに婚約回避のための嘘だとわかっているのに俺ばかりがよろこぶのは癪だろう。俺はお前の傍にいられるのならなんだってよかったんだ」

「俺のこと揶揄っていたくせに」

「お前の反応がかわいい反応を寄越すのが悪いんだろう。お前が本当に俺の恋人だったらいいのにと、何度思ったかわからない。顔を赤くしたりして、本気で俺のことをすきなんじゃないかと何度勘違いしそうになったことか」

「ヨルドがすきだったんだから仕方ないだろう」

 そう唇を尖らせたら、ヨルドが零れるように笑ってくれた。本気でそう思っているのかと問えば、かわいいよと甘い声音が返ってくる。恥ずかしくて伏せた瞼に彼の唇が落ちてきた。触れられた部分にじわりと熱が滲んでそこから全身に広がっていく。

「ヨルド、唇にしてほしい」

「そういうこと、他の誰にも言うなよ」

「言うわけないだろう。お前だけだ」

「ああもう、どれだけ夢中にさせたら気が済むんだ」

 それはこっちのセリフだろうと言ってやりたかったが、頬をいとおし気に撫でられて黙るしかなかった。ヨルドの綺麗な顔が近づくのを合図に目を伏せると唇に柔らかな感触が触れる。縋るようにヨルドの服を掴んだら、彼の唇に強請るように下唇を食まれる。

 ずっとケレン一筋でいたくせに、手慣れているように感じるのが悔しい。甘いくちづけに酔いしれているうちに、シャツの隙間に忍んだヨルドの手に薄い腹をくすぐられる。そのこそばゆさに笑い声を上げて身を捩ったケレンは、熱を帯びた彼の瞳に絡めとられて動けなくなった。



 目を醒ますとまだ部屋の中は薄暗かった。切り裂かれたカーテンの隙間から微かに日の光が零れていることで夜明けを知る。もう少し眠ろうかと寝返りを打とうとしたところで、逞しい腕に抱き締められていることに気づいた。あれ、と目線を上げると、まだ眠っているヨルドの顔が見える。そうだ昨日は、と思ったところで、ぼんやりとしていた頭が一気に冴えた。羞恥に熱くなる身体を離そうとすると、うるさそうに呻いたヨルドの腕に腰を引き寄せられてしまう。

 甘い熱に浮かされていた昨日のことをはっきりと思い出すと顔から火が出そうだった。こういうことは初めての経験なので、自分の身体がヨルドに開かれてあんなにぐずぐずに蕩けてしまうことを初めて知った。見下ろしてくるヨルドの瞳から誰にも渡すものかと願う独占欲が読み取れて、この男のものになりたいと素直に願ったことを覚えている。随分と恥ずかしいことも口走ったし、終わりの方はヨルドのことがいとおしくてたまらないと思いながら、その身体にしがみつくことしかできなかった。

弾けそうな鼓動を落ち着けるように息を吐くと、穏やかな顔で眠るいとおしい男の顔を眺める。幼い頃は一緒に眠ったことはあったが、年を重ねるにつれて彼はケレンの部屋で眠ることがなくなっていった。主君と護衛という一線を越えてしまったらいけないという、彼の矜持みたいなものだったのだろう。昨日もケレンの後始末を終えたあとで自分の部屋に帰るのだと思っていた。だから今ここに彼がいてくれることが自分でも驚くほどうれしい。

綺麗な鼻筋を指で撫でるとヨルドがうるさそうに眉を寄せた。彼はケレンを綺麗だと豪語するけれど、こうして見てみると彼の顔立ちがいかに整っているのかがわかる。ケレンはこの顔が表情豊かに笑ったり怒ったりするのを見ているのがすきだった。これからはもっと、ケレンの知らない顔を見せて欲しい。

「なに笑っているんだ」

 ふふっと笑みを零したところで、ヨルドの目が開いていることに気づいた。彼が起きているとなんだか急に気まずくなってくるのは、こういう状況が初めてだからだ。頬を赤くして俯くと額に唇を押し当てられる。こういう甘い態度を取るなんて知らなかっただけに、こそばゆくて逃げ出したい。

「いつから起きていた?」

「お前が起きる前から。かわいかったから寝たふりをしていた」

「意地が悪いぞ」

「ケレンが俺の腕の中にいるなんて夢みたいだからな。噛み締めるくらい許してくれ」

 そう苦笑うヨルドに胸の奥が疼いて、それ以上怒ることができなかった。真っ赤になっているだろう顔を隠そうと俯くと、にやりと笑ったヨルドにシーツへと縫いつけられてしまう。見下ろしてくる彼の表情はきっとケレンしか知らない。仄かに赤くなったその頬にそっと触れるといとおしげに擦り寄られた。

「ヨルド、後悔していないか?」

「また余計なことを考えているんだろう、ケレン。俺がどれほどお前のことをすきなのか、昨日のでは足りなかったか?」

「足りなかった、と言ったらどうするんだ?」

「思い知らせてやる」

 そう笑ったヨルドが掌にくちづけをくれた。そのくすぐったさに笑うと、揶揄するように抱き締められる。柔らかでいとおしいこの時間の中でずっと戯れていたかった。裸の肌を合わせてくすぐり合って転げていたい。

 彼の名を呼んでその両頬を掌で包んだ。うん?と柔らかく笑うその顔に胸が甘くときめく。この男をしあわせにしたかった。生きて傍にいてくれる幸福が、こんなにも素晴らしいものだと知ってしまった。今世こそは哀しい目に遭わせたりは絶対にしない。

「ヨルド、生きていてくれてありがとう」

「なんだ、俺が死んだ夢でも見たのか?」

 そう言っておかしそうに笑うヨルドを抱き寄せた。そう、きっとあれは夢だった。この腕の中のぬくもりは嘘偽りなどではない。きつく抱き寄せたまますきだと囁いた。泣きそうなケレンの気持ちを察したように抱き返してくれた彼が、俺もだと耳元にくちづけをくれる。

「お前を残してどこへも行かない。あの男に渡したりもしない。だから泣かなくていい」

「泣いてないっ、」

「まぁ、お前は泣き顔もかわいいけど」

 そう揶揄した唇に眦をくすぐられた。ヨルドの手がケレンの掌に重なって、きつく握りしめてくれる。もう一度すきだと零した唇に唇を奪われた。やわく食まれて唇を開くと、今度はその隙間を舌でこじ開けられる。

 重なる唇の隙間から、いとおしさが溢れ出てしまいそうだった。強請るようにヨルドの背を指でなぞって、昨日つけてしまった引っ掻き傷を見つける。癒すように撫でると、痛むのか彼の肩がぴくりと震えた。治そうか?と問えば、名誉の負傷だからなといとおしそうに頬を弛めて額をぶつけてきた。

 もう一度重ねようとした唇の隙間にノックの音が挟まった。扉の向こうで朝食の準備ができたと言うアメリアの声がする。ケレンがそれに返事をすると、早く来るようにとすげなく急かされた。昨日屋敷をめちゃくちゃにされた怒りがまだ収まっていないのだろうか。

 もう少しこの時間を堪能していたかったが、そうもいかなくなった。顔を見合わせて苦笑いを零してから、手早く身支度を整えて共に食堂へと向かう。ヨルドは大丈夫かと心配そうな視線を向けてくれたが、身体のあちこちがだるい割には思っていたよりは動けそうだった。

「抱き上げて運んでやろうか?」

「馬鹿言うな。変な目で見られる」

「別にいいだろ。みんな俺たちが恋人同士だとわかっているんだし」

「そうだけど、あからさますぎるだろ」

「ふぅん?」

 にやにやとした笑みを向けてくるヨルドの肩を小突いた。たしかに屋敷に仕える者たちにふたりの関係は知られているとはいえ、抱きかかえられて登場するのは単純に恥ずかしかった。それに復旧作業に勤しんでいる者たちに、わざわざヨルドと仲睦まじく過ごしていたことを知らせる必要はない。でれでれと弛んだヨルドの頬を少しきつめに摘んで、顔を引き締めろと苦言する。はいはいと笑う彼の甘い声音に呆れながらも、もう少しふたりでいられたらよかったのにと思わずにはいられなかった。

 食堂は粗方元通りに片付けられていた。一見壊されたものがないように見えるのは、アメリアが修繕魔法を使って元に戻したからだという。テーブルにはいつも通りの朝食が並べられていた。ヨルドに椅子を引かれて着席すると、先に席についていたアメリアから微笑ましい視線を向けられる。隣に座ったヨルドがその視線に微かな笑みで応えた。

「先ほどはお声がけ頂きありがとうございます。なぜアメリア嬢が?」

「メイドだと気まずいだろうと思ったのよ。昨日はケレンの部屋に泊まったのでしょう?」

「ええ、俺の部屋も滅茶苦茶でしたから」

「本当に手当たり次第荒らしていったわね。まったく嫌がらせにもほどがあるわ。でも、ケレンの部屋に泊まる口実ができてよかったじゃない」

 アメリアがこっそりとそう囁いて笑った。面食らって誤魔化すように笑うケレンとは対照的に、ヨルドはそうですねと余裕の笑みを浮かべる。さっきまでデレついていたくせにと詰りたくなる気持ちをぐっと怺えた。顔を引き締めろと言ったのはケレンだが、あまりにいつも通り過ぎるのも癪に障る。自分ばかりが狼狽えているようで悔しい。

 ついむっとしたとこへ執事が状況報告へ来たので、一端お喋りはお預けになった。食事を取りながら彼の報告を聞くと、父から全員無事でいると連絡が届いたという。領民たちの抵抗で追手が領地の町に押し入ることは叶わずに町の入り口で立ち往生していたが、昨日踵を返したそうだ。おそらくエスクアが撤退の指示を出してくれたのだろう。

「荒らされた部屋を改めましたところ、いくつか貴重品がなくなっているようです。現在手が空いている者で各部屋の復旧を行っておりますが、壊されているものが思いのほか多くございます。魔法を使えるものは限られておりますゆえ、ケレンさまとアメリアさまのお力をお貸しいただけたらと」

「わかった。食事を終えたら俺たちも手伝おう。苦労をかけてすまない」

 ケレンがライオネルに目をつけられたせいでこうなってしまったことを心底詫びたかった。執事がとんでもないと頭を下げて部屋を出ていく。仕えてくれている者たちはあくまでも、侯爵に横領の疑惑がかけられたためにこうなったと思っているし、父がそんなことをするはずがないと信じてこの状況を甘んじてくれている。その苦労に少しでも片づけが楽になるように手伝うことで報いたかった。ただひとつ問題なのは、ケレンは修繕魔法が得意ではないことだ。

 食事を終えるとさっそく使用人たちを手伝うために二手に分かれた。ヨルドは魔法に関してはからきしなので、倒れた家具や重たいものを運ぶことに徹してもらう。ケレンはアメリアと共に破れたカーテンや壊れた家具に補修魔法をかけていった。日々魔法教育を受けているアメリアの魔法と比べて、基礎しか学んでいないケレンの魔法は少し荒かった。更に二手に分かれた方が効率的なのはわかってはいながら、常にアメリアに加減を見てもらう必要があった。うっかり更にひどい状態にしたら目も当てられない。

 しかしヨルドと離れてみると、侍女たちから持て囃される彼のことばかりが気になる。特に年頃の少女たちはヨルドのことを囃し立て、優しくされればあからさまに喜んでいた。ケレンの恋人だと知ってはいても魅力的な同世代の青年に目を奪われるのは仕方がない。そうわかってはいるのに、以前は全然気にならなかったことが恋人になった途端に酷く気になった。ついまた唇を尖らせたくなっていると、突然アメリアに頬を突かれる。

「なにするんだよ」

「だって随分と怖い顔をしているんだもの。メイドたちが怖がるわ」

「そんな顔していたか?」

「まぁ、あの様子を見ていたらわからなくもないけれどね。ヨルドに優しくされたら、普通の女の子ならああなるわ。あなたのヨルドは素敵だもの」

 アメリアに揶揄われてつい笑ってしまえば、気にすることはないと微笑まれる。

「あの人はケレンのことしか見ていないわ。それに気づいていないでしょうけど、あなたは今ヨルドの魔力に守られている」

「まさか。ヨルドは魔法が使えないだろ」

「そうね。ただ魔力は人並み以上に持っているでしょう?きっと無意識のうちにマーキングしたのね。ケレンは俺のものだって」

 マーキングと言われて昨日のことを思い出して赤くなる。アメリアに察されてしまったことがどうしようもなく恥ずかしい。にやにやと笑みを向けられるのが居た堪れない。

「それって誰にでもわかるものか?」

「感じ方は人によるけれどね。殿下への牽制になるからいいんじゃない?」

 にやりと笑いかけられたケレンは、すぐに魔法をかける手が止まっていると叱咤された。またひとつ破れたクッションを補修していたら、近くの部屋から侍女たちの笑い声が聞こえてきた。歓声にも似た声に答えるヨルドの声が微かに聞こえてくる。思わずむっとするたびにアメリアから怖い顔をするなと注意を受ける。

万が一にも彼が誰かに目移りする心配はないとわかってはいても、ちょっかいをかけられているのはいい気分ではなかった。ヨルドも人当たりがいいだけに余計な心配が出てしまう。

「少しはヨルドの気持ちがわかったんじゃない?ヨルドが気をつけろと言っていた理由がわかったでしょう?」

「俺はあんなに話しかけられたりしない」

「もう、そんなに気になるなら、あなたもあっちに行ってきたら?魔法で強化すれば家具くらい持ち上げられるでしょう?」

「アメリアは俺を買い被りすぎているよ。そんな魔法使ったことないし」

「あら、コツさえ掴めば簡単よ。ケレンは魔法の筋がいいもの。魔力の質もいいし、殿下の中の闇に目をつけられるのも頷けるわ」

 アメリアはケレンの手許を見たり話したりしながらも、倍の速度でクッションを補修していた。ケレンも彼女を見習って作業に集中しようとすればするほど、今度はライオネルに成り代わった闇のことがちらつき始めた。こんな羽目になっているのは全部、その闇のせいなのだ。

「昨日助けてくれた礼がまだだったな。ありがとう、アメリア」

「あら、気にすることはないわ。扉の前で様子を伺っていたら不穏な気配を感じたから、お茶を淹れるふりをして部屋に入ろうと思ったの。そうしたら押し倒されているのだもの、びっくりしたわ」

「気づいたらああなっていたんだ。あれが殿下ではないと言ったことにはもっと驚いたけど。アメリアはどう思う?呪いが意思を持つなんてことがあると思うか?」

「わたしもよくはわからないわ。少なくとも、わたしたちだけの力では太刀打ちできないということだけははっきりしている。わたしにできるのは闇を抑え込むことと、殿下の意識を鎮めておくことくらいね。もう大分心が闇に蝕まれているようだったから」

 ヒロインであるアメリアがお手上げ状態であることがいたずらに不安を煽った。つい黙り込んでしまうと、大丈夫かと顔を覗き込まれる。不安に感じているのはアメリアも同じなのに、安心材料を与えてやれないのが不甲斐なかった。今となっては本の筋書きなどあってないに等しい。今のままではアメリアとライオネルが結ばれることはないだろう。

 黙々と作業をしているふたりのところへ、執事がお客様ですと言って数人の男たちを連れてきた。先頭にいたのはブラッドリーで、散々な有様の屋敷内を見たのか、彼に似合わず申し訳なさそうな顔をしていた。父である伯爵の無礼を詫びたあと、うしろに控えている者たちを皇宮付の魔術師たちだと紹介する。皇太子の名代であるエスクアの計らいで侯爵邸の復旧を手伝うよう派遣されてきたらしい。

「屋敷の片づけはこの者たちに任せて、お前たちを連れてくるように頼まれた。表面上は事情を聴くためにということになっている」

「そうか、すぐに準備しよう。ブラッドリー、待つ間茶でもどうだ?」

「もらうよ。お前に渡したいものもあるしな」

 含みを持たせたブラッドリーを応接間へと案内した。皇宮へ向かう準備が必要なアメリアとはそこで別れる。荒れ放題の屋敷内に比べたら、荒らされていない応接間の方が異様な空間のように思えた。侍女がお茶の準備を整えて出ていくのを待って、ブラッドリーに話の先を促した。

「これは父が皇室の会計係を抱き込んで作成した、侯爵家が横領しているという偽の証拠書類だ。これを見れば誰もが明らかな不正があったと思わざるを得ない。どうやら本当に皇室の財産を侯爵家の貸金庫に入れたらしい。そっちはエスクアさまが対処してくださる」

「どうしてそれをお前が持っているんだ?」

「これは昨日、俺が見つけて皇太子殿下に提出する予定だったものだ。だが見つからなかったと報告した」

 見てみろと差し出された封筒はずっしりと掌に重たかった。中にざっと目を通しただけでも、すべてを知っているケレンでさえ本物だと勘違いしそうな出来だ。これを横領の証拠だと提出されたら皇帝陛下だって信じるに違いない。ああそうか。本の中ではこうしてありもしない罪を着せられたのか。

 書類をブラッドリーに返そうとすると、これはケレンの手で処分して欲しいと言われた。あまりにも完璧すぎる故に、これだけでは罪をでっち上げようとした証拠にはなりにくいが、伯爵が抱き込んだという会計係をエスクアが見つけ出してくれれば、万事うまくいくだろう。。父親を裏切る決意をしたブラッドリーがなんだか晴れがましい顔をしていたので、ケレンはその好意を有難く受け取った。

「大丈夫なのか?伯爵さまに背いて」

「ああ。悪事はやがて明るみに出るからな。皇太子殿下が正気でないことは誰の目にも明らかだ。今は傍観している皇帝陛下もいずれ無視できなくなるだろう」

「父が無罪放免になったら、お前が協力してくれたと証言すると約束する。そうすれば少なくとも伯爵家は救われるだろう」

「恩に着る」

 そう礼を言ったブラッドリーが気恥ずかしさを誤魔化すように紅茶を飲んだ。それから話をそらすようにヨルドはどうしたのだと問われる。

「今は侍女たちの手伝いをしている。家具を片付けるのに男手が必要だからな」

「それで侍女たちにちやほやされていたのか。お前を俺とふたりきりにして平気でいるなんておかしいと思っていたんだ。ああ、それでお前は機嫌が悪そうなのか」

「べつに悪くない」

 調子を取り戻したブラッドリーに揶揄されてついむっとした。そんなケレンがおかしいのか、にやにやとした笑みを浮かべた彼は以前ケレンのことを馬鹿にしていた頃の顔をしている。それでもあの頃のように癪に障ることを言ってくる様子はない。ただ侍女たちに的外れな嫉妬をしているケレンを面白がっているだけだ。

「ヨルドはアカデミーでも令嬢たちに人気があるからな。今まで婚約の申し入れがなかったことが驚きだよ。お前の知らないところで断っていたんじゃないか?」

「やはりそう思うか?」

「そんな顔するなよ、ケレン。お前のその顔で不安そうな顔をされると調子が狂う。ヨルドがお前をすきなのは明白だろう。なにをそんなに不安に思うことがあるんだ」

「アメリアにも同じようなことを言われた。そんなにわかりやすいのか?」

「むしろお前が気づいていなかったのが信じられないくらいだぞ。お前たちが付き合っていると知る前から、俺でさえそうなんじゃないかと思っていたくらいだ。それに、今はお前からヨルドの魔力を感じる」

 そう言われてぐっと言葉に詰まった。ブラッドリーがなにかを悟ったようににやにや笑いを深めるのが居た堪れなかった。少し前までいがまれていた相手に胸の内を明かしてしまったような気まずさがある。あの頃のように言いふらしたりはしないだろうけれど、ヨルドとの関係が一歩進んだことを悟られるのは恥ずかしい。

「ここにいなくとも牽制してくるのか」

「どういう風に見えているんだ?その、ヨルドの魔力って」

「俺から見ると、ケレンに手を出したら殺すと言われているような気がする。リデル嬢から見れば、大切な人に護られているという気配を感じる程度だろうな。まぁ、いいんじゃないか。殿下への牽制にもなるし」

 アメリアと同じことを言われてしまうと、反論する気も起きなかった。愛されていてなによりじゃないかと揶揄してくる声には、怺えきれない笑みが滲んでいる。そうかもしれないけれど、なにも知らない赤の他人にふたりの関係を勘繰られるのは勘弁してほしかった。そのたびに微笑まし気な視線を向けられるのかと思うと、今から皇宮に出向くのが億劫になってしまう。

 扉をノックする音がして、準備を終えたアメリアがヨルドを伴って入ってきた。部屋の中にふたりきりだということに気づいたらしいヨルドが、不愉快そうに眉を寄せてブラッドリーを睨む。睨まれたブラッドリーは潔白だと言いたげに両手を上げて、そんなに睨むなよと苦笑った。

「ケレンに防護魔法をかけておいてまだ心配なのか?お前が侍女たちにちやほやされていた間、ケレンはずっと不機嫌そうだったぞ」

「ちやほやされていた覚えはない。それに防護魔法ってなんのことだ」

 ヨルドに怪訝そうな表情を向けられたブラッドリーが面食らったように目を丸くする。それから少し気まずそうに目を泳がせた。

「あー、お前は魔法が使えないんだったな。てっきり確信犯かと思っていた。そうか、無意識なのか」

「ブラッドリー、なにが言いたい?」

「いや、お前のケレンへの想いがどれほど重たいかを思い知っただけだ。言っておくが他意はない」

 ヨルドの表情に不愉快さが足されたところで、ブラッドリーがそう弁明した。それから気を取り直すように咳払いをして、そろそろ行こうと三人を促した。

 皇宮へは伯爵家の馬車に同乗して向かうことになった。一応ブラッドリーには三人が逃げないように監視するという役割が与えられているらしい。侯爵家と同様に豪奢な馬車に揺られながら、皇宮へと近づくたびに緊張が増していくようだった。表情が硬いケレンを気遣うように、ヨルドがそっと手を握ってくれる。剣を握る少し硬い指先を絡められると、まるで心臓を柔く撫でられているようなくすぐったさを覚えた。

「こうして見ると、お前たちって本当に恋人同士なんだな」

 向かい側でそのやりとりを眺めていたブラッドリーに、隣に座るアメリアが当たり前じゃないと言いたげな視線を向ける。急に恥ずかしくなって手を離そうとしたら、口元に笑みを滲ませたヨルドに強く手を握られてしまった。

「おい、ヨルドっ、」

「いいじゃないか、別に。ブラッドリーも納得しているようだし」

「だからといって目の前でいちゃつかれるのは癪に障る」

「あら、ひがんでいるの?あなただってすぐに素敵な婚約者に巡り逢えるわよ」

 ブラッドリーが溜息を吐いたところへアメリアが慰めの言葉をかけた。もうなにを言っても無駄だと悟ったのか、彼がそうだなと力なく同意する。それがおかしくて笑っていると、元々の確執などなにもなかったかのように、打ち解けていることに気づく。ケレンをいがんでいた彼はいつの間にかすっかり強い味方になっていた。

 皇宮の入り口では執事が待ち構えていた。エスクアの執務室へと案内されながら、ケレンはすれ違う人々から疑いを持った目を向けられる。ここでのケレンは横領疑惑をかけられた侯爵の息子なのだ。

 ケレンに視線を寄越した人々はヨルドに睨まれるとすぐに顔を背けた。ブラッドリーが気にするなと言ってくれたが、冤罪だとわかっているからこそ疑われていることがつらい。こんな気持ちを抱いたのは初めてだった。

「ケレン、大丈夫か?」

 ついふらついたケレンを傍らのヨルドが支えてくれた。彼の逞しい腕に抱かれているだけで呼吸するのが楽になる。気が塞いでいるからくらりときたわけではなさそうだった。皇宮の奥へと行けば行くほどに酸素が薄くなる気がする。まるでなにかに肺を押し潰されているみたいだった。

「大丈夫だ。俺がしっかりしないと」

 ヨルドにそう言いながら、自分にもそう言い聞かせた。ここでしっかりと歩かなければ侯爵家の面目は丸潰れだ。侯爵家の嫡男は事情聴取で呼ばれただけで倒れる腑抜けだと噂を立てられるわけにはいかない。

 エスクアの執務室は皇子宮の外れにあった。案内をしてくれた執事が扉をノックすると、中からエスクアの声がする。扉が開かれると、ブラッドリーがお連れしましたと頭を下げた。ケレンたちもそれに倣って頭を下げると、室内へと入ることを許された。

 部屋の中はがらんとしていて、必要最低限の家具しか置かれていない。ケレンはなんとなくヨルドの部屋と似ているような印象を覚えた。騎士というのは大抵このような部屋を好むのかもしれない。座るように促されて、部屋の中央に置かれた応接セットに着座した。テーブルには既にお茶の準備が整っており、エスクアが手ずからカップに注いでくれる。

「ご足労頂き申し訳ございません。こちらの方が情報が外に漏れる心配が少ないので」

 エスクア自ら茶を用意してくれているのは、この部屋に無関係な者を踏み入れさせないためだろう。いくら皇宮に仕えている召使たちでも、皇太子の秘密を漏らすわけにはいかない。彼が開いている席に座るとその場が整った。その瞬間を待ち望んでいたように、アメリアがいちばんに口を開く。

「どうして闇の気配が漂っているのです?まともな魔術師はこの中で息をすることさえ苦しいはずです」

 落ち着き払ったアメリアの物言いにブラッドリーが同意するように頷いた。どうやら息苦しさを感じていたのはケレンだけではないらしい。ヨルドにケレンにだけ聞こえる声でそうなのかと問われた。どうやら彼にはまったく害がなかったようだ。

「そのせいで魔術師たちはここへ立ち入ることもできません。皇太子殿下の闇を押し込めることができなくなったのも、治癒魔術師たちが近づくことができなくなったからなのです」

「それでは闇の思う壺ではないですか」

「ですからあなた方に協力を申し出たのです。幸い、リデル嬢とケレンさまは優れた魔力をお持ちの上、殿下の魔力に耐性がある」

「わたしたちだけでは未熟すぎます」

 きっぱりとそう言い切ったアメリアは不安の色を隠せてはいなかった。彼女はおそらく皇宮付魔術師たちの力を貸りることができると踏んでいたのだ。

エスクアの表情に僅かな申し訳なさが滲んだ。彼にとっての頼みの綱はアメリアなのだ。

「とりあえず、あの闇の正体をお話しいただけますか。なにかヒントがあるかもしれない」

 ケレンがそう助け舟を出すと、エスクアが表情を引き締めて頷いた。ブラッドリーが席を外そうと腰を浮かしかけたところへ、一緒にいてくれと頼む。味方になってもらうのなら情報はできる限り正確に共有しておいたほうがいい。ブラッドリーは狼狽えるように目を泳がせたが、結局大人しく座り直した。

「皆さまは我が国に皇妃がいらっしゃったことをご存じですか?」

「たしか嫁がれてすぐにご病気で亡くなられたとお聞きしましたが」

 ケレンたちが生まれる前のことなので詳しいことはわからないし、人々も敢えて悲しい出来事を口にはしない。ただ国の歴史を学ぶ上ではしっかりと教科書に刻まれていることだ。そう答えたブラッドリーにエスクアがそうですと同意した。

「皇帝陛下は皇后さまと仲睦まじく、陛下は当初側室を設ける話を渋っておられました。しかし皇后さまはライオネル殿下を産まれてからお身体の調子を崩され、第二子を望むことは難しかった。そこで皇室の血筋を絶やさないために隣国の王女を皇妃に迎え入れることとなりました。現国王陛下の妹君です」

 そこで彼女がアメリアの伯母であることに気づいた。そのことはまだ口に出せない。聞くまでもなくライオネルに呪いをかけたのはその皇妃なのだろうと予想がついた。それがアメリアが闇を抑え込む力を持っている理由になる。

「幸い、皇妃殿下はすぐにご懐妊されました。しかし残念ながら流れてしまい、気に病んだ彼女は皇后さまが自分を妬んで呪いをかけたのだと吹聴し始めたのです。自分の子は死んだのにライオネル殿下は健やかに成長されている。やがて気が触れたようになり、自ら命を絶たれてしまいました。ライオネル殿下に強力な呪いを残すために、自らの命を犠牲にしたのだと言われています。あの闇は呪いであり、失われた皇妃殿下の愛息の名残なのです」

「愛息の名残?」

「死にかけた魂をライオネル殿下に宿した、と言われております」

「まさか!そんなことが許されるとでも思っておられるのですか、?」

 ケレンの問いに答えたエスクアの答えに、アメリアが狼狽えて憤慨した。エスクアが押し黙って、同情するような視線をアメリアへと向ける。

そんなことは許されるはずがない。それに自らの死を持ってかけた呪いほど強いものはなかった。術者がこの世にいないために解くことが難しいからだ。

 皇妃は生まれ損ねたいとおしい命をどうにか生き存えさせる方法考えた。魂が成長するには器がいる。だが生まれてくるはずだった肉体はない。そこで目をつけたのが唯一の皇子であるライオネルだった、ということか。ライオネルの中で充分育った闇はその身体を乗っ取ろうとし始めた。だからあの闇はライオネルを兄と呼び、皇太子になれると言ったのだ。

「リデル嬢、できる限りあの闇を抑え込んでいただけますか。このままでは殿下の心はあの闇に喰われてしまう」

 エスクアにそう言われたアメリアが憔悴しきった様子で頷いた。ライオネルの元へすぐに案内してくれと言って、エスクアに連れられて部屋を出ていく。その様子はまるでいとおしい男の命を救わんとする健気なヒロインのようだった。闇の正体を聞いて、可哀そうなライオネルに同情でもしたのだろうか。ライオネルのことをあんなに嫌っていたアメリアとは思えない。

 ブラッドリーが緊張の糸を解いたように、深い息を吐いてソファへと身を沈めた。それから頭を抱えてもう一度深い溜息を吐く。さっきさっさと退室していたらと後悔しているのが見て取れた。

「ブラッドリー、大丈夫か?」

「ああ、これは流石に俺たちだけでは手に負えないだろうと思っただけだ。実は皇帝陛下さえも皇太子殿下に近づけないという噂がある」

「それでは殿下の暴挙を止められる人が誰もいないじゃないか」

「だからエスクアさまはお前たちに助けを求めたんだろう。リデル嬢がどこまで闇を抑え込んでいられるのかわからない。殿下が正気を取り戻さなければ、あの身体はもうひとりの皇子のものになる。あれはそういう呪いなんだ」

「やけに詳しいな」

「魔術師たちを統率しているのはうちの父だぞ。帝国内の魔術に関する問題はすべて把握されている。あれから少し調べてみたんだ。魔術師長が言うには、あれは隣国に古くから伝わる黒魔術のようなものらしい。有能な魔術師たちが挙って呪いを解こうとしているが、今日まで有効な手段は見つけられていない。お前の魔力が殿下の体力を回復することと、リデル嬢が闇を抑え込めるということ以外は、な」

 嫌われていたときは鼻持ちならない男だとばかり思っていたが、どうやらケレンは思い違いをしていたようだ。彼は伯爵家の嫡男というだけあって、次期当主としての自覚はもちろん、問題に対処する力に秀でている。なにか対処できないかと考えて、危険を顧みずに調べてくれたのだろう。この男が協力を申し出てくれたことは幸運としか言いようがない。

「ありがとう、ブラッドリー。お前が味方になってくれてこんなに心強いことはない」

「礼を言うのはまだ早い。それに一応、俺だって悪かったと思っているんだ。お前のことを妬んで、酷い仕打ちをしていただろう」

「それの詫びにしては充分過ぎる。お前がいなければ、俺は窮地に立たされたっていたと思う」

「安心するのは早いぞ、ケレン。あの呪いを解かなければ意味がないし、殿下は二十歳になるまで命は持たないと言われている。アカデミーに入学されたのも、自分の呪いに有効な手段を持つ何者かがいないかと期待されたからだったようだ。それでお前とリデル嬢を見つけられた」

「だが闇の方が強くなりケレンに執着するようになった、ということか。あれはなんのためにケレンに執着しているんだ?」

 それまで黙って聞いていたヨルドがそう口を開いた。ブラッドリーがわからないと首を振り、意見を求めるようにケレンを見る。

「呪いを解きたいのだと思う」

 ぐるぐると考えた結果、そう結論づけるしかなかった。案の定ふたりが怪訝そうな顔をして、どういうことだと問うてくる。その問いの明確な答えはケレンも持ち合わせていなかった。ただこうなる前に戻りたいんじゃないかと思っただけなのだ。

「あれは俺が持っている回帰の魔法を求めている。ヨルドを治癒するために派遣されてきた治癒魔術師が、俺の魔法は呪いさえもなかったことにできると言っていた。だから呪いを解きたいのだと思う」

「呪いを解いたら自分が消えてしまうだろう。殿下を乗っ取ろうとしている闇が自分を消そうとしているとは思えないが」

「ライオネル殿下の助かりたいという意思が混じっているんじゃないか?心を喰い殺されるうちに助かりたいという強い気持ちだけ残ったのかも。あくまでも俺の推測だけれど」

 突拍子もないことを言っている自覚はあったが、それはそれとして話しているうちに結構的を射ているような気がしてきた。呪われる前に戻れるのなら闇の力さえ利用しようと考えたのかもしれない。結果闇の力が強すぎて、助かりたいと願う気持ちだけが残った。そうとは考えられないだろうか。

「それは一理あるかもしれないな。だがあくまでも推測だろう。それが正しければまだ、ライオネル殿下のお心は残ってらっしゃるということだが、それを確かめる術はない。あれは一級の魔術師たちにも太刀打ちができない呪いなんだ」

 ブラッドリーが重苦しい溜息を吐いた。皇宮付魔術師と言えば魔術師の中でも超がつくエリート集団だ。彼らが太刀打ちできない呪いなら、頼みの綱はヒロインであるアメリアだけということになる。彼女も抑え込むのが精一杯だと言っていたから、封じきったり祓ったりすることができないのだろう。

 アメリアとエスクアはなかなか戻ってこなかった。それほどライオネルの容態が深刻なのかもしれない。不安に苛まれるケレンだったが、様子を見に行こうにもこの部屋の外の空気は淀んでいる。そんな空気の中を行先もわからずに彷徨うことは避けたかった。

「呪いのことをもう少し詳しく知る必要があるな。だれか話を聞ける魔術師はいないのか?」

「俺が話を聞いた以上のことはわからないだろうな。隣国の呪いは隣国の魔術師に聞くしかないが、古い呪いの上に王家の失態とあって中々口が重いらしい。だがひとり、詳しそうな人間に心当たりがある」

 突然思い出したようにブラッドリーが身を乗り出した。

「我が国がしばしば近隣諸国の魔術師たちを招いて情報交流を行っていることを知っているか?次の交流会に隣国の王弟殿下が参加される」

「話すことができるのか?」

「アカデミーの教授たちとも意見交換会をするはずだ。その隙を狙えば接触することは可能だと思う。おそらく接待するのは俺だろうからな」

「でもなぜ王弟殿下が?魔術師たちの情報交流だろう?」

 その問いにブラッドリーがああ知らないのかと言いたげな顔をした。それから思いもよらなかったことを口にする。

「王弟陛下は優れた魔術師なのだ。おそらく皇妃殿下の呪いに関してもご存じだろう。教えてくれるかはわからないが」

 その説明を驚き半分で聞きながら、一筋の光が見えた気がした。呪いをかけた皇妃の血縁である魔術師ならばなにか対応する策を知っているかもしれない。いくら口が重くとも、きっとケレンたちになら打ち明けてくれるはずだ。

「それならアメリアと俺を王弟殿下に逢わせてくれ。きっと詳しい話をしてくれる」

「どうしてそう言い切れる?こちらがいくら問い合わせても口を開かなかった相手だぞ」

「言い切れるさ。王弟殿下はアメリアの父親だ。娘が皇子の命を救おうとしているのなら、手を貸さない親はいないだろう」


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