第14話:「魔力ゼロの絶望」
意識が、浮上してくる。
暗闇の中から、ゆっくりと。重い瞼を、何とか持ち上げる。
セラは、目を開けた。
ぼやけた視界。焦点が定まらない。天井が見える。古い木材が組まれた天井。ひび割れ、黒ずんでいる。
ここは、どこだろう。
セラは体を起こそうとした。だが、体が動かない。力が入らない。全身が鉛のように重い。
呼吸が浅い。喉が渇いている。唇が乾いて、ひび割れている。
記憶が、断片的に蘇ってくる。
騎士団の試験。魔力の測定。鑑定石が光らなかった。周囲の冷たい視線。「魔力ゼロだと?」「無能じゃないか」「ゴミだ」。
そして──放り出された。
力尽きるまで歩いた。這った。そして、ここに辿り着いた。
その後は──覚えていない。
セラは再び周囲を見回した。視界が、徐々にはっきりしてくる。
小屋の中だ。壁は傾き、床には土埃が積もっている。窓から差し込む光が、埃を照らしている。
そして──。
人がいる。
セラの心臓が、跳ね上がった。
二人。男が二人いる。
一人は、セラのすぐ近くに座っている。黒い外套を着た男。黄金の瞳が、セラを見つめている。その目には、優しさが宿っている。
もう一人は、少し離れた場所に立っている。細身の青年。その目は鋭く、警戒しているように見える。
セラは、息を呑んだ。
誰だろう。この人たちは。
敵、なのだろうか。
だが──この男たちは、セラを傷つけていない。むしろ、助けてくれたのではないか。
黒い外套の男が、静かに口を開いた。
「大丈夫です。もう安全です」
その声は、穏やかで脅威は感じない。
セラは何も言えなかった。喉が渇いて、声が出ない。
男は微笑んだ。
「水を飲みますか?」
男が水の入った器をセラに差し出す。
セラは迷った。だが、喉の渇きに耐えられない。セラは、わずかに頷いた。
男は、セラの頭を優しく支えながら、器を口元に近づけた。水が、セラの唇に触れる。冷たく、清らかな水。
セラは水を飲んだ。一口、また一口と。喉を通る水が、体に染み渡っていく。
男は、セラが飲み終えるのを待ってから、器を下ろした。
「少し、楽になりましたか?」
セラは頷いた。声はまだ出ない。
男は、セラから少し離れて座った。圧迫感を与えないようにしているのだろう。
「私の名は、ゼノリスと申します」
男──ゼノリスが、静かに名乗った。
「こちらは、カイロです」
ゼノリスが、もう一人の青年を示す。カイロと呼ばれた青年は、わずかに頷いた。
セラは、二人を見つめた。ゼノリス。カイロ。この人たちは、一体誰なのだろう。
ゼノリスが、セラに問いかけた。
「あなたの名前を、教えていただけますか?」
セラは、口を開こうとした。だが、声が出ない。喉が痛い。
セラは、咳をした。ゴホッ、ゴホッと。胸が苦しい。
ゼノリスが、心配そうに見つめている。
セラは、再び口を開いた。今度は、かすれた声が出た。
「……セラ、です」
小さな声。だが、確かに声が出た。
ゼノリスは微笑んだ。
「セラさん。よろしくお願いします」
セラは、わずかに頷いた。
ゼノリスが、再び口を開いた。
「セラさん、何があったのですか?」
その問いに、セラの胸が締め付けられた。
何があったのか。
それを、話すべきなのだろうか。
この人たちに、話して良いのだろうか。
セラは、ゼノリスを見つめた。その黄金の瞳には、優しさと、そして──真摯さがあった。
この人は、本当に聞きたがっている。セラのことを知りたがっている。
セラは、迷った。
だが──もう、隠す理由もない。どうせ、自分はここで終わるのだ。話したところで、何も変わらない。
セラは、静かに口を開いた。
「私は……魔力が、ないんです」
◇◇◇
ゼノリスは、セラの言葉を静かに聞いた。
「魔力が、ない」
セラが、自分の手を見つめている。小さな手。傷だらけの手。
「幼い頃から……ずっと」
セラの声は、か細い。
その声には、深い絶望が滲んでいる。
ゼノリスは何も言わず、ただ聞き続けた。
セラが、語り始める。
◇◇◇
セラは、自分の過去を語り始めた。
「私が幼い頃……周りの子供たちは、みんな魔力を発現させていきました」
セラの声は、静かだった。だが、その声には、深い痛みが込められている。
「火を出したり、水を操ったり。小さな魔術でしたが、みんな嬉しそうでした。私も……私も、魔術が使えるようになりたかった」
セラの目が、遠くを見つめている。過去を、思い出しているのだろう。
「でも、私には何も起きませんでした。どれだけ努力しても、どれだけ祈っても、魔力は現れなかった」
セラの手が、震えている。
「七歳の時、鑑定を受けました。聖教会の神官が、鑑定石を私の前に置いて……」
セラの声が、途切れた。
ゼノリスは何も言わず、待った。
セラは、息を吸って、続けた。
「石は……光りませんでした。他の子供たちは、みんな石が光ったのに。私の時だけ、何も起きなかった」
セラの目から、涙が溢れた。
「神官は言いました。『魔力ゼロ。無能。価値なし』と。そして、私の額に印を押したんです。『不適格者』の印を」
セラの手が、自分の額に触れる。今は何もないが、その記憶は消えていないのだろう。
「聖教会は、私を拒絶しました。診療所にも入れてもらえず、学び舎にも通えず……私は、ゴミとして扱われました」
セラの涙が、頬を伝って落ちる。
「それでも、私は諦めませんでした。魔力がなくても、強くなれるはずだと。体を鍛えれば、剣を学べば、騎士になれるはずだと」
セラの声に、わずかな希望が混じる。だが、それはすぐに消えた。
「毎日、訓練しました。誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで。拳が血だらけになっても、足が動かなくなっても、続けました」
セラの手を見ると、古い傷が無数にある。訓練の痕だ。
「そして、騎士団の入団試験を受けました。実技試験では、誰よりも良い成績を出せたと思います。剣も、体術も。でも……」
セラの声が、震える。
「最後に、魔力測定がありました。全員の前で、鑑定石の前に立たされて……石は、光りませんでした。当然です。私には魔力がないのだから」
セラは、顔を伏せた。
「周囲が、ざわめきました。『魔力ゼロだと?』『よくここまで来れたな』『だが、無能は無能だ』。試験官は言いました。『お前のような欠陥品は、騎士団には不要だ』と」
セラの拳が、握りしめられる。
「そして……私は、捨てられました」
セラの声が、かすれる。
「馬車に乗せられて、街道の途中で放り出されました。『ゴミはゴミ捨て場へ』と笑いながら……」
セラは、泣いていた。声を殺して、肩を震わせて。
「私は……生きる価値が、ないんです」
その言葉が、小屋の中に響いた。
「魔力がない。それだけで、私は欠陥品。ゴミ。誰にも必要とされない存在……」
セラの声が、途切れた。
沈黙が、小屋を包んだ。
◇◇◇
ゼノリスは、セラの話を静かに聞いていた。
胸の奥に、怒りが燃えている。静かな、だが激しい怒り。
この少女を、ここまで追い詰めた者たちへの怒り。
聖教会。騎士団。そして──この世界の理不尽な評価制度。
鑑定石。聖教会が独占する、魔力を測る石。その石の光の強さだけで、人の価値が決められる。光れば英雄、光らなければゴミ。
それだけで、すべてが決まる世界。
この少女も、カイロも、その犠牲者なのだ。
ゼノリスは、カイロを見た。カイロも静かに立っている。その表情には、複雑な感情が浮かんでいる。自分の過去と、セラの過去を重ねているのだろう。
ゼノリスは、セラに視線を戻した。
セラは、顔を伏せたまま泣いている。小さな体が震えている。
ゼノリスは、立ち上がった。
そして──セラの前に、跪いた。
セラが、顔を上げる。涙に濡れた目が、ゼノリスを見つめる。驚きが、その目に浮かんでいる。
ゼノリスは、セラの目を見つめながら、静かに言った。
「そんなことは、ありません」
セラの目が、見開かれる。
「あなたには、価値があります」
ゼノリスの声は、穏やかだった。だが、その声には、確かな力が込められている。
「魔力がない? それが何だというのですか」
ゼノリスは、セラの手を取った。傷だらけの手。努力の証。
「この手を見てください。あなたがどれだけ努力してきたか、この傷が証明しています」
セラは、何も言えずにいる。
「あなたは、諦めなかった。魔力がなくても、強くなろうとした。誰にも認められなくても、戦い続けた」
ゼノリスは、セラの目を真っ直ぐ見つめた。
「その強さこそが、あなたの真の価値です」
セラの目から、再び涙が溢れた。だが、それは先ほどとは違う涙だった。
ゼノリスは、微笑んだ。
「セラさん。あなたは、欠陥品などではありません。あなたは──」
ゼノリスは、言葉を選んだ。
「あなたは、まだ磨かれていない宝石の原石です。そして、私はその輝きを見ることができます」
セラは、震える声で尋ねた。
「……本当、ですか?」
ゼノリスは、頷いた。
「はい。本当です」
セラは、ゼノリスを見つめた。その目には、わずかな希望が宿り始めていた。




